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2017年7月の44件の記事

2017年7月25日 (火)

サッカー少年ブログ終了

サッカー少年ブログ終了(reboot)

息子が中3当時の記録(思い出)

息子の中学のサッカー部が総体予選で敗退し結果サッカー部活が終了となりました。息子は最終戦に途中からですが出場したそうです。
ああ、これでもしかしたらサッカー部活は終わりかな。たぶん高校ではサッカー部には入らないでしょう。
息子は時々私に「足が遅くて体力ないんだよね。」とぼやいていました。
それに背丈も小さく体格にも恵まれていません。なのに一学年30人以上のサッカー部のなかでAチームでした(スタメンではないけど)。

これは小学生の時の親子練習のおかげでサッカーテクニックが備わっていたからです。
思えば息子は幼稚園の年中から中学3年までよくサッカーが続いたものです。幼稚園の2年間では滅多に試合中にボールが蹴れなかった息子がです。

親子練習で私は息子を何度も泣かせました。泣かせたことも含めて親子練習は私の楽しい思い出です。単身赴任の今、私は息子とのサッカー練習を思い出しては胸がつまります。

そんな息子のサッカー語録です。

息子のサッカー語録

「おとうさん、どうしたらゴール(得点)出来るの?」

「もう、ベンチは嫌だ。」

「(私:つらかったかい?)つらかったよ。」

「コーチにお父さんが今日の僕のゴールを見たら泣いて喜んだろうって言われた。」

「コーチからチームの中で僕がごっちゃんゴールが一番上手いって言われたよ。でもごっちゃんゴールはお父さんと押し込みゴールって言っていますと言っといたよ。」

「ヨウ君(キャプテン)から明日の試合(ヨウ君不在)はお前がキャプテンだって言われたよ。」

「今日のゴールはやばいシュートだった。(ヨウ君とのノーバウンドパス交換からのシュート)」

「お父さん、僕はいつからサッカーが上手くなったのだろう?」

そうだね。君はいつからサッカーが上手くなったのかな。小1の君は何十本何百本とシュート練習をしたね。

あの親子練習を開始した頃をお父さんはよく覚えているよ。君がチームで初ゴールを決めるまでお父さんはやきもきしていたのだ。この練習方法で果たして君が本当にゴール出来るのか不安だったんだ。
君は小学校での初ゴールを決めて徐々に得点を伸ばしとうとうお父さんの見ている前でハットトリック(3点)をしたね。その得点は右からのコーナーキックをゴール前でシュート、団子混戦の中からドリブルで抜け出してシュート、左からのクロスに合わせてシュート。この3点は忘れられないよ。 親子練習が実を結んだ瞬間だったのだ。
この先のサッカーで君はオフサイドルールへの変更、お父さんの単身赴任、所属チームの変更、右足の負傷、ボディチャージへの対応、ポジションチェンジと色々待ち受けていたね。

こうして無事にひとまずサッカーの区切りを向えることが出来てお父さんは嬉しいです。いつからサッカーが上手くなったのだろう?って、それはお父さんと親子練習を開始したあの日から君は着実にサッカーが上手くなっていたのだよ。


小1からのサッカー親子練習のおかげで私は息子にとても強く濃く接することが出来ました。当時の自分のサッカーブログを読み返すとあの頃の一つ一つが鮮明に思い出せるのです。こうして息子のサッカー関係を含むブログを書いて本当に良かったです。

「おとうさん、どうしたらゴール出来るの?」

それはね。お父さんと一緒にいっぱい練習すれば出来るんだよ。

では、さようなら。




2017年7月24日 (月)

外9 番外編 ユルサポ

外9 番外編 ユルサポ(reboot)

ジェフ千葉観戦の思い出

フクアリスタジアムにJ2の試合を観戦しに行ってきました。サッカー観戦はあの小雨の国立以来でした。

小雨の国立:家族4人で観戦。ジェフ千葉は引き分け以上でJ1復帰でした。0対0で試合は後半40分。残り5分をしのげばJ1でした。
ジェフ千葉は攻めてたんですがね。ドリブルする大分の選手の後姿が味方ゴールに近づいて行ったのです。シュートと同時に歓喜にわく相手側のサポータに沈黙するジェフ千葉のサポータ。その後、ロスタイムも含め猛攻するがジェフ千葉負けてJ1復帰ならずでした。

今回は妻の弟家族3人と娘(部活)を除く我家3人で観戦でした。

ジェフ千葉の相手は愛媛です。愛媛といえば宇和島松島と何度か私は訪れています。遠いぞ愛媛。愛媛サポータはGWの東京観光をかねてやって来たのでしょう。

反対側にオレンジの一団が陣取ります。私たちはゴール斜め裏2階席からの6人並んでの観戦です。

フクアリはサッカー専用球場なのでこの席からもピッチが近いです。サポータの迫力ある応援でユルサポの私たちも盛り上がります。

試合は前半おされ気味で後半はジェフがチャンスを決め2対0で勝利しました。2度の得点と勝利の瞬間はスタンドが大いに盛り上がりました。試合中の応援歌も新しいのが増えており楽しい観戦となったのです。

妻と初めての観戦は市原でのジェフ市原対清水エスパルス戦でした。千葉県民の妻と静岡県民の私とお互いの出身地のチームを応援しあいましょうってな感じだったのに今では私はジェフ千葉のユルサポです。

Jリーグ開幕当時はそれほど興味がなかった私ですが今ではジェフのユルサポになってしまいました。もちろん日本代表戦のテレビ観戦も楽しみです。いや、なにより息子がサッカーを続けていたのが嬉しかったです。J1に復帰してください。がんばれジェフ。


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今期はサンフレッチェ広島の調子が悪いです。このままでは来期はJ2に降格してしまいます。

広島の試合をするエディオンスタジアム広島は山の中。公共機関はアトラスラインでぐるりとまわりそこからまた徒歩と超立地が悪し。自動車だと超渋滞なのでは。

そこで平和公園の近くの元カープの市民球場跡地にスタジアム建設をとサンフレッチェやサポータが希望しているのに行政は許しません。

なぜか。理由。市長をはじめ行政が野球好きでサッカー嫌いだかららしいのです。なのであれやこれやと難癖をつけて新しいサッカースタジアムを今度は海の近くの僻地につくると言ってます。それでスタジアム建設は現在揉めに揉めている最中なのです。

まあ広島は野球県ですからね。ここ広島に住んでいるといまだにプロ野球は人気と勘違いしてしまいます。つうかプロ野球人気でなくカープ人気ですかね。

さてサンフレッチェ広島がJ2に降格したら来期はジェフ千葉との試合が広島であります。でも先ほど書いたようにエディオンスタジアム広島は遠いからね。ちょっとサッカー観戦しに行くのは嫌。



外8 番外編 部活とクラブ

外8 番外編 部活とクラブ(reboot)  

当時小6のセレクション二次試験当日の息子へのファックス  

「息子へ君が好きな週刊ジャンプで連載されていてEテレでアニメ放送している

「バクマン」を例に語ってみようと思います。 「バクマン」は真城最高と高木秋人の2人がジャンプで連載を勝ち取り一位とアニメ化を目指す漫画です。

で、タイトルの「バクマン」は「バクチ」+「マンガ」の造語ですね。「バクチ」は賭け事でマージャン、花札、ルーレット、トランプ、競輪競馬などがあります。どれも勝つために才能と運が必要です。まあバクチにも努力が必要ですが。運が必要であるので勝てないことが多々あります。

なので漫画家になるには「バクチ」と同じで運も必要と考え高木秋人の提案で当初大学に2人は通ったのです。闇雲に夢を追いかけるのではなくリスクに備え大学入学したってわけですね。

つまり君も「バクサッカー」でいてほしい。漫画家になるのもサッカー選手になるのも「バクチ」と同じです。才能や努力だけではプロサッカー選手にはなれないからです。

ここでプロサッカー選手になる割合の計算です。JFAに登録しているサッカー人口は80万人くらいです。J1J2合わせてプロチームは40チーム。各チームに登録選手が30名とした場合のJリーガーは1200人です。

1200人÷80万人=0.0015人

つまりサッカー選手が1000人いて1人か2人がプロ選手になれるってことです。簡単に言うと君が通っている小学校の1年生から6年生までの男女全てがサッカーチームに所属しているとして6年間で1人プロサッカー選手になる割合を意味します。
これだけプロサッカー選手になるのは大変なのです。

君がプロ選手になれないなんて言いません。ただ「バクサッカー」なので真城最高と高木秋人と同じようになれなかったときのリスクに備えようってことです。

君が真剣にプロ選手を目指すならば大学受験のための勉強もおろそかにするなです。  

クラブチームについて  

一次試験合格おめでとうお父さんは心から喜んでいます。合格は君が日頃からサッカーに対して真剣に取り組んでいたことが実力アップにつながり技術力が評価されたのです。

今回のクラブの選考状況を考えるとほぼ君は二次試験も合格です。クラブと部活のメリット、デメリットは昨夜君に話ましたね。

お父さんは君が少しでもサッカーが上手くなるように手助けしてきました。君には邪魔だな~と思われてことが何度もあることも知っています。でもお父さんはサッカーについて君に口出しせずにはいられませんでした。

しかし、もうじき君は中学生です。君の意思を尊重しなくてはいけないのです。その中であえて言います。中学でのサッカーは部活を選んでほしい。

私は君が一次試験に合格してから葛藤の日々でした。せっかく勝ち取った合格です。もったいない。いやまだ合格したわけじゃあないし取らぬ狸の皮算用してどうする。合格してから話し合えばいいだろう。などと私は考えていました。

でも昨夜二次試験に君は合格すると確信したのです。合格しただろう君に言うのは辛いですがこれは私の役目です。本日の二次試験は棄権し中学ではサッカーは部活にして下さい。これが私のお願いです。

この結果君が今後どうサッカーと向き合うようになるか物凄くお父さんは不安です。ですが時間がありません。
「通うのに遠いから駄目って言われた。」駄目な理由はお父さんの中でまだあります。

でも今は時間がありません。クラブは遠いから駄目です。サッカーは学校の部活にして下さい。本日の二次試験は棄権して下さい。

お父さんより以上」


息子が通っていたチームメートの受けた半数以上が一次セレクションで落とされました。一番ちびっ子の息子を一次で合格としたクラブチームの評価能力の高さに敬服です。

つうかやはり息子はサッカーが上達したのです。一次合格でお父さんは有頂天。笑いが止まりません。で、すぐに止まりました。

娘からの長い長いお手紙で。
娘手紙超概略「高校は私立ホニャララ高校に行きたい。」えーーー。私立かよ。 普通貧乏人の子は公立でしょうに。それに私立って公立の滑り止めでしょ。で、娘は希望通りに私立に決定しました。めでたしめでたしめでた・・・。

そしてお金が無い我が家のサッカー息子は学校の部活としていただきましたとさ。
まあね、息子がクラブに行った所でものになる保証もないし学校の部活でサッカーを楽しんでほしいのでした。

息子のウイークポイントの1つに体が小さい。中学新入学のクラスで一番背が低かったです。

2つ目に体重が軽いので当たりに弱い。試合中に弾け飛んでいたのです。

3つ目に足が遅い。いっぱい色々と短距離走の親子練習をしたのに駄目でした。あ、体力も無いっけ。

なにか、根本的に息子はサッカーにむかないのじゃない。 そこでくやしいので息子のストロングポイントを紹介します。

ストロングポイントは正確なパスと吸い付くようなドリブルといくつかのフェイントとサイドからのクロス精度が高いあとはトラップが足元にピタリと止まる。くらいでした。あ、得点感覚がするどかった。

なにか自慢話になってしまったようですね。まあね、上手くなきゃ一次に合格しませんね。ははは。つうか私は相変わらずの親ばかでした。

さて、学校の部活ってどうなのでしょう。なんか先輩後輩の体育会系で1年は玉拾いに声だしとかばっかりでまともに練習出来ないんじゃない。

で、心配した私は当時休日に妻と息子の練習を偵察に行ってきたのです。学校は近いから見にいけます。
息子は大きいのにまじって(息子が小さい)ちゃんと練習してました。

さて、ですが試合はまだまだ出番がないかと思いきや中1すぐの、市内の中学校との試合に出場したのでした。
1年ボウズが入学した4月に試合に出られるの?

その日帰宅した息子が私に
「今日試合に出たよ。」と告げました。ハア?入部したばっかりだろう。息子は続けて「1点だったよ。」えーーーーーーーーーーーーー。なにが1点なの?そうよね試合に出てゴールしちゃったのよね。なんて日だ。なんて日だ。おそれいりました。お父さんは脱帽です。「お父さん、足揉んで。パンパンになっちゃった。」はいはいお安御用です。しっかりと心をこめてあなた様のお足を揉ませて頂きます。超嬉や。息子の中学初得点にバンザイ!!

あの日、私のファックスを読んで泣いたのだってね。お母さんから内緒で聞いたよ。ごめんね。息子よ、どうか部活でサッカーを楽しんでください。ゴールをきめてください。


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部活でよかったです。中学3年間を息子は部活でサッカーをしました。
中学校は千葉自宅から近いので部活を覗こうと思えば出掛けられました。
そうすればラダーやパス交換、線審、ミニゲームの息子を見ることが出来たのです。

まあコーチには問題がありましたが。(部員が怒られコーチから「お前達は勝手にやれ。」と言われた無指示の試合を勝利してしまいコーチはご機嫌ななめで部員は走らされたそうです。)息子レベルでしたら部活が良かったです。部費も安かったでしたし。





2017年7月23日 (日)

外7 番外編 小学6年間のゴール数

外7 番外編 小学6年間のゴール数(reboot)

息子の小学6年間の総ゴール数は、643ゴールでした。  

学年合計およびシュート種類毎の内訳  

小1合計:76点
  クロス足:34点
  ヘディング:3点
  ドリブル:16点
 押し込み:17点
  その他:6点

小2合計:151点
  クロス足:74点
  ヘディング:7点
  ドリブル:25点
  押し込み:38点
  その他:7点

小3合計:188点
  クロス足:63点
  ヘディング:11点
  ドリブル:71点
  押し込み:30点
  その他:13点

小4合計:146点
  クロス足:36点
  ヘディング:7点
  ドリブル:63点
  押し込み:34点
  その他:6点  

小5合計:164点
   クロス足:29点
  ヘディング:2点
  ドリブル:109点
  押し込み:17点
  その他:7点

小6合計:82点
  クロス足:34点
  ヘディング:4点
  ドリブル:28点
  押し込み:17点
  その他:2点  

得点を記録することで  
1.シュートを打つ意識が高まる。
2.ゴールまでの流れを再認識。
3.シュート種類よりプレイスタイルがわかる。
4.親子のコミュニケイションがはかれる。  

でした。


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貪欲にゴールを狙う。一本でも多くシュートを打つ。試合終了がせまるが自分が得点出来ていないと焦りだす。息子にはそんなストライカーでいつづけて欲しかった。
元日本代表のロペスは「一番良い試合は自分がシュートを決めて勝利した試合。次はシュートを決めて負けた試合。」と言っていた。
勝ち負けより自分の得点が大事。ストライカーはそれでよいと私は思っていました。

息子は私に幼稚園の時に「お父さん、どうしたらゴール出来るの?」と聞いたのです。
そして小1からゴールが出来るように親子練習を始めました。

息子はストライカーでいつづけて欲しかったです。でもやはり息子は性格的に無理でした。私と同じに縁の下の力持ちタイプです。やはりサッカーの試合で得点を入れるって大変です。



外6 番外編 息子がゴール

外6 番外編 息子がゴール(reboot)  

息子が6年生の最終戦でゴールを決めたときの思い出です。

本当は最終戦だし見に行きたかったけど。
息子に「お父さんが来るとあがっちゃう。」って言われてからみに行けなくなっていたのです。

私は息子が試合でゴールが出来るようにずっと応援してきました。練習もサッカーの勉強もいっぱいいっしょにしました。
私が見ていてプレッシャーでゴールが出来ないのでは本末転倒です。残念ですが私はひとり家でお留守番をしていたのでした。

だから最終戦の日はぐっと我慢のかいがありました。息子はゴールを私にプレゼントしてくれたのです。その日も息子を試合に送り出すときに

私:「幼稚園の頃は、チャンスがきたらシュートを打ってゴールをきめろと言ったね。だが今は違うよ。沢山練習して十分に君は上手くなった。だから自らチャンスを作ってゴールしてこい。」と送り出したのでした。

チームの先発メンバーのなかで一番のチビッコな息子。足だって速くありません。
でもチームの中で一番練習していたのです。

最初は息子一人だけの公園での平日練習にだんだんチームのメンバーが参加してきたのでした。6年生の土日のこの新しいチームの練習や試合は全部出席しました。

私は息子のあざだらけになった両足を見るともうこれ以上無理は出来ないと親子練習はやめたのでした。君はこの最終戦、絶対にゴールしたいって言っていたのです。努力が実っておめでとう。そして小さな息子よ。本当にありがとう。


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私は息子の試合をいつしか恐い顔で見ていたのです。両手のコブシを握り締めしかめっ面で睨んでいたのです。
こんな姿で見られては息子は緊張するに決まっています。

そして試合の後は得点経過を聞きながらあれこれと注文をつけたのでした。
ああ、幼稚園の頃の試合は息子がボールを蹴れただけで私は大喜びしていたのに。

最終戦の後に息子は妻に「お父さん、僕のゴール見てくれたかな?」と尋ねたそうです。私は意地を張らずにどこかに隠れてでも息子の最終戦を見てあげるべきでした。でも目を閉じると見ていない息子のゴールシーンが浮かぶのでした。



外5 番外編 10番

外5 番外編 10番(reboot)

10番

息子は幼稚園の年中からサッカーを始めました。同年生に比べちびっ子の息子はBチーム(本人いわくヨワヨワチーム)の前後半どっちかベンチ選手でした。試合中2回も蹴れれば良いほうです。
妻と観戦していても「今、蹴ったよね。」をお互いで確認するくらいの頻度でしかボールにさわれなかったのです。  

小学校に入学してもサッカーを同じチームで続けた息子に私は親子練習をしたのでした。早朝練習の後に通学前の朝連、帰宅後に工事用ライトをつけて夜間練習とサッカー練習のしまくりでした。  

またサッカーの素人だった私はネットの情報、練習本で勉強し息子に教えたのです。
罫線テープを貼ったお手製のサッカーボートでオフサイドの勉強、息子が得点した時はそのプレーを説明させたりもしました。
すると少しずつ少しずつ息子はサッカーが上達しチームで活躍できるようになったのです。  
そんな息子が小6に、自らの意思でチームを移ったのです。
その新しいチームでの試合では息子はスターティングメンバー(レギュラー)ではなく途中出場の繰り返しでした。

試合を観た私はレギュラーになれない理由がすぐにわかりました。

理由のひとつに息子はあたりが弱かったのです。それまでのチームはミニサッカーに近く試合中のボディーコンタクトは反則でした。
しかし新しいチームでの試合はがんがん肩を相手に当てボールを取り合っていたのです。
今まで経験したことがないサッカーに私も息子も戸惑いました。試合では自分と同じくらいの体格の子にも弾き飛ばされていたのです。

理由の二つ目にポジショニングです。小6になるとチームプレー、やポジション、システムが機能しないと試合に勝てないのです。

小6から合流した息子は新しいチームになじめなかったのです。また日頃からテレビのサッカー観戦よりは私の横でマンガやゲームをしていることがたたありました。
したがってシステムについての知識が息子には欠けていたのです。

三つ目にメンタルが弱いがありました。試合開始直後にシュートが外れたりドリブルを阻止されると途端にそれ以降消極的なプレーになっていたのです。

つまり息子はボディーコンタクトの練習、ポジションシステムの勉強、メンタルを強化する必要がありました。そのため私は久々に親子練習とサッカー勉強を再開したのでした。

まずは親子練習で4月から徹底的に息子のボディーコンタクトを鍛えました。
練習で私の両肩は息子から繰り返しボディーコンタクトのチャージを受けたのです。険悪になるのは覚悟の上、毎日お互い真剣にボールの取り合いです。
またサッカーの試合や練習の日の夜には本日のボディーコンタクトをボードで発表させました。こうして常にボディーコンタクトを息子に意識させたのです。  

ポジショニング、システムの勉強はネット情報と練習本でおこないました。
またテレビのサッカーの試合は強制的に観戦させたのです。

息子のメンタルを鍛えると決意した日のことです。私はボードに書きながら試合中の息子の状態について
私:「お前は大会とかの試合で開始し直後のシュートが外れると、それからはいつも消えているんだ。味方のゴール前でがんばって守備しているふりをしてばかりだ。
そして試合終了まじかになるとまた攻め上がってシュートを打ったりする。ドリブルも同じで相手に取られるとまったくしなくなる。最初の5分と最後の5分しかお前は活躍していない。」
この事を新しいチームでの試合の後のあの日私は心を鬼にして1時間近く涙目の息子に何度も何度も繰り返し話したのでした。  

この親子練習とサッカー勉強で試合での息子の出場回数時間が増えていきました。そして一か月もするとスターティングメンバーに選ばれ試合開始から終了までフル出場をするようになったのです。  

そしてある日曜日の大会でのことです。コーチからそれまで20番台の背番号から始めて10番を渡されたのです。

10番は司令塔でありエースナンバーです。コーチは息子が毎日一人で自主練習をしていることをしって10番を託したのでしょう。10番をつけた息子はその大会で相手の厳しいマークの中で先制点のボレーシュートを決めチームの勝利に貢献したのでした。  

そんな息子ですが学校で将来の仕事は建築家と回答したのです。昨年まではサッカー選手と言っていたので私は少し寂しい気持ちになりました。
息子に「おい、サッカー選手を目指しながらだよな?」と聞くと「うん。」とだけ一言かえってきました。

いつの日のことだったでしょうか。「お父さん、どうしたら僕サッカー選手になれるの?」とたずねた息子。この先私にたずねることはありませんでした。  



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当時の妻とのウオーキングコースは息子が通う中学校が含まれグランドをこっそりと覗いたのです。すると息子のミニゲーム場面に遭遇したことがあります。

いやはや息子は何度もボールにからんでいたのです。ダイレクトパスにヘディング、ドリブルと息子のプレーが一番目立っていました。(私はずーと親ばか)息子は部活サッカーで元気いっぱいにグランドを走り回っていました。こうして私はご機嫌な気持ちになったのでした。




2017年7月22日 (土)

外4 番外編 サッカー楽しかったかい? 

外4 番外編 サッカー楽しかったかい? (reboot)

サッカー楽しかったかい?

7年前の思い出

帰省をした平日の月曜日。子供達は学校に妻は仕事にと出かけ私はひとり隣家との境の花壇道具用品を整理していたのです。するとポツポツと雨が降り出しました。  

こりゃ息子のサッカースクールは中止かな。半年以上私はスクールを見学していなく中止ならば残念です。でも見学がプレッシャーとなり息子が得点出来なくなってしまったりするのではないか。またスクール後に小言を言ってしまったりするのではないか。
なので雨での中止ならば仕方がないとわり切れるのでこれも良しと思いました。

それはスクールを覗きたいです。でもね、この4月からの息子は自主練習の量も以前の1/4以下です。今日のスクールで息子が不甲斐ないプレーをしていたら私はなんとしましょう。すごく不安です。息子に何を言い出すかわかったものではありません。必ず小言を言います。そして息子を泣かすことでしょう。でも観たい。観てみたい。  

こうして私は片付けの間に雨が早く止め、いや降り続けろと揺れる気持ちでいたのでした。  

スクールまで家族4人車で向いました。そして小雨の中を先日妻に買ってもらったハーフコートを羽織り見学したのです。(ハーフコートは妻からTDLに着ていけと言われるが私の体形に少し合わずキツイので止めたのでした。そこで機嫌を取るためこのスクール見学で着たのです。)

試合では私の心配をよそに開始早々に息子はドリブルシュートを決めました。その後もスルーパスやクロスを供給するはドリブルで相手をかわすはでした。この日の3得点は全てドリブルシュートだったのです。  

またお帰りでスクールのコーチからは息子のプレーを誉められ私は有頂天です。お土産の「もみじまんじゅう」をコーチに渡せずにおられませんでした。

帰宅した私はスクールの日は恒例だった息子へのマッサージを施しつつ本日のプレーを誉めたのでした。
そして改善ポイントを2つだけ言いまいた。

1つ目は相手のゴール前で味方とボールを見あった場面がありました。そこで「もっと積極的に行った方が良いよ。」と。

もう1つはドリブル中の手の使い方です。「ドリブル中に手が胸のあたりで小じんまりしていることがあるよ。」と言うと息子は「あ、僕の癖だ。」と自分のプレーを理解していたのです。

以前でしたらスクールの見学の後はあれこれと言っては息子を泣かすこともあった私です。この日はこの2点のアドバイスをして終りにしました。折角の帰省です。小言は言いません。私は息子の足を念入りに揉んだのでした。  

私はスクールのあった日は息子に始めに「サッカー楽しかったかい?」と聞きました。息子は「うん、楽しかったよ。」と必ず答えてくれます。

この少し後の試合での息子の得点はゴール前で倒されて得たPKを決めての1点とドリブルシュートでの合計2点でした。
息子:「お父さん、どうしてPKって緊張するんだろう?」ですって。
私は「当たり前だ、誰だって緊張するもんだ。でもお父さんはPK蹴ったこと無いけどね。」と言うと息子は笑ったのです。
こんな息子とのスカイプでのサッカーの話が私の楽しみとなっていたのです。  


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もうじきこの「サッカーと私と息子」シリーズが終了します。 「サッカーと私と息子」を書くとそれはそれは切なくホームシックになりました。

息子は私に似て(?)良い子です。息子が当時、私の誕生日にプレゼントを購入してないことを妻に告げたときに
妻:「お父さんはプレゼントよりお前の誕生日のお祝い電話を喜ぶよ。」と言ったところ息子は涙目になったそうです。
息子は心優しく育ちました。その息子からの誕生日電話に私は「おい、プレゼントはないのか?」って言ってしまったじゃないか。妻よ事前に連絡しておくれよ。

さて「サッカーと私と息子」は後あれ?6回あります。まだ6回もあるのか。 まことにすみません。もう少しおつきあい願います。  

では、また。



外3 番外編 息子の足を揉む

外3 番外編 息子の足を揉む(reboot)  

当時、小4だった息子の足を半年ぶりにマッサージしたことがありました。
足の裏を揉んでいる時に少し大きくたくましくなったように感じたのです。念入りにマッサージを施しました。時々私は「どうだ?」と訊ねたのです。
すると「うん、気持ち良いよ。」と返事が返ってきました。 当たり前だ。お父さんが心をこめていたのだから。  

息子のサッカースクールを見学したのもその年の2月以来のことでした。スクールで息子はしっかりとドリブルで相手をかわしていました。みごとなスルーパスも決めていました。この日の得点の3点は全てドリブルシュートでした。私はあらためて息子のサッカーが上達していることを実感出来たのです。  

息子が小4の4月から単身赴任のため離れていたので親子練習をしていませんでした。その頃の息子は自主練習も余りしていなかったです。
また9月からサッカーノートに得点経過を記入していないことが解かりました。 私は怒りより悲しい気持ちになり息子が白状した時にスカイプを途中で終りにしたのでした。
でも、良いです。許しました。息子は帰省した私にドリブルシュートでの3得点をプレゼントしてくれたのですから。  

スクールでコーチは「上達していますよ。最近は連携プレーが出きるようになりました。」と言ってくれました。また「サッカーチームに入るよう勧めたのですが(息子が)土日は休みたいって言うんですよ。もったいない。」ですって。
私は上機嫌で「息子にまかせていますので。」と答えたのでした。  

そしてスクールのお帰り時をみはかりコーチに広島土産の「もみじ饅頭」を渡したのでした。  

それまで私は息子の得点シーンを20回は見ていません。何度でも息子の得点シーンを見たかったです。  


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初めてメッシのことを聞いたのは出張先の移動中でした。

当時、同乗した営業所の方から趣味を聞かれサッカーの親子練習と答えた時のことです。
そして息子のプレイスタイルを話すとその方からバルセロナのメッシに注目するようにと言われたのでした。

私はその当時メッシの名前を知りませんでした。たぶん日本ではまだメディアに余り登場していなかたのでしょう。そして私が息子のサッカーボールに
「メッシになる。」と書いた頃もまだそれ程有名ではなかったような。

それが今やメッシは何年もサッカー界で別格な存在になっているのです。
小3の息子にドリブルを教えたときに「バルセロナのメッシはお前と同じ左足で右サイドからペナルティーエリアを平行に中央までドリブルで進んでからシュートをきめるのだぞ。」と話したのでした。

試合中メッシには相手選手が一人二人とマークします。 妻が以前息子の試合を観戦したときに私に「いつも***(息子の名前)に相手がついている。さっきなんて3人に囲まれていたよ。」と言ったのを思い出しました。

息子は少しはメッシに近づいたのでしょうか。



2017年7月21日 (金)

外2 番外編 小4で総得点500得点達成

外2 番外編 小4で総得点500得点達成(reboot)

当時、小4で総得点500得点達成

10月7日、息子がサッカースクールで2得点しました。

ゴール1:中央からドリブル相手をシザースで左からかわす。左インステップでシュート。右中へゴール。
ゴール2:右サイドからのクロスをダイレクト左インステップでシュート。右中へゴール。

この2得点で小学1年から4年の10月7日までの総得点が目出度く500得点となりました。

では、500得点の内訳です。

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オフサイドルール前の250得点の内訳です。

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オフサイドルール後の250得点の内訳です。(H21年6月19日~H22年10月7日)

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息子は幼稚園の2年間の総得点が1点です。
それが小1から小4の10月で500得点。その記録は息子にExcelを教えて記入させていました。

当時の息子のパソコンの指導はここ広島から千葉のパソコンを遠隔操作したりスカイプでした。

前回の単身赴任時は毎晩息子とスカイプしていたのに今回はしません。ちょいとさみしいですね。
まあその分妻と携帯でちょっとひくぐらい会話していますが。(毎日1時間以上)

息子が中学時代は私は「得点したか?」と聞きませんでした。中学では息子は得点記録をつけていなかったからです。



続12.将来Jリーガーにならないかな

続12.将来Jリーガーにならないかな(reboot)  

将来Jリーガーにならないかなヨウ君。息子のチームメイトのヨウ君は断トツのサッカー少年でした。

ヨウ君は幼稚園からずーとエースでキャプテン。運動神経と体力の塊です。 ヨウ君のお父さんは自分の息子のことをどう考えていたのだろうか。Jリーガーにしたいとか考えてはいなかったのだろうか。私がヨウ君の父親だったら違うサッカースクールに入れたのだけど。楽しいから息子と同じスクールでやらせていたのです。まあ土日は別のチームでサッカーやっていたのだが。

でももったいなかったな。Jリーガーにやりようによってはなれるんじゃないかと当時私は考えていました。

もしもヨウ君が将来Jリーガーになったらすごく自慢です。息子とのツーショットの写真をなにげにいつも撮っていたしなってほしいです。

小4のときのことです。ヨウ君は都合が悪く試合に出られない前日に息子に 「明日の試合はお前がエースなんだから、がんばれよ。」と言ったそうだ。

Jリーガーになってもヨウ君はチームメイトの息子のことは忘れないでしょう。ぜひJリーガーになってほしいものです。  

おまけ:幼稚園に入学した時に一人でいたヨウ君にいっしょに遊ぼうと最初に話しかけたのが息子だったとヨウ君のお母さんが要ったそうです。そして練習して上手くなった息子はヨウ君とサッカーを楽しめるようになっていたのです。


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ヨウ君と息子は違う小学校でした。そして4年の途中でヨウ君はチームを離れたのです。息子と同じ中学なので私はまたヨウ君を学校で見かけるようになりました。

ヨウ君は私に挨拶してくれます。息子と3人でPK対決したことを覚えいるのかな。

幼稚園の頃のヨウ君はサッカーに関しては異次元レベルな存在でした。たぶん息子が分身の術をつかい5人いや7,8人になってもヨウ君一人にかなわなかったでしょう。

あれ10人でも無理そう。そのぐらいレベルの差がありました。息子と始めた小1からの親子練習をがんばってがんばってがんばりました。

息子はチームの中で断トツの練習量でした。

チームで息子がリフティング連続回数で一番になっても次の週にはヨウ君にあっさりと記録を抜かれたのです。息子は抜かれさて口惜しがりましたがサッカーが上達したのでヨウ君と仲良くサッカーをすることが出来たのです。

試合でヨウ君のパスからシュートを決めたり逆にアシストしたり息子は出来るようになりました。こんなことは幼稚園の頃は考えられないことです。

息子はサッカーを楽しんでいました。一番練習したけど一番にはなれなかたけどサッカーを楽しめるようになった息子はそれで良かったのです。

息子の語録より

お父さん、今日の試合で「やばいゴール」をきめたよ。ヨウ君からのリフティングパス(ボレー)を僕がリフティングパス(ボレー)で返すとまたヨウ君からきたリフティングパス(ボレー)をトラップしてからシュートしてゴールしたよ。お父さん「やばいゴール」でしょう。




続11.サッカーと私キーパー後編

続11.サッカーと私キーパー後編(reboot)  

後編  

キーパーと息子  

頼みごとがあるときの息子は私を見てもじもじしながら恥ずかしそうに話すのです。  

もじもじしながら息子:「お父さん、僕、キーパーになりたい。」

幼稚園年長の時のことでした。

小学5,6年でキーパーだった私と同じポジションがしたいとはさすが我が子です。よし、今からいっしょにキーパー練習をするぞ。がんばって名キーパーになろう。

なんて当時はサラサラ思いませんでした。なぜなら息子はキーパーに憧れているとは思えませんでした。
キーパーになりたい理由はフィールドプレーヤーでは試合中にボールが触れられないからです。出場した試合は前後半どっちかベンチ。幼稚園のお帰りの後で友達とやるサッカーではキーパーをやらされていたのです。
気弱で小柄で運動神経が無い息子がキーパーになりたいとはチャンチャラおかしかったし私は腹ただしささえ感じていたのでした。

そこで私は息子を公園に連れ出しました。

私:「これからキーパーがどんなものかお前に教えてやる。」

と言って私はネットを背に構えたのです。

そして息子にドリブルで向ってこさせ私は足元に飛び込みわざと体を蹴られてからボールを押さえました。左右にボールを投げさせダイビングキャッチをして見せました。転がしたボールをしっかりと体全体で押さえ屈み込みます。

ダイビングキャッチで後頭部を打ちしばらく立ち上がれなくなりました。(予想外)

服も手も足も体中泥だらけです。

私:「お前、これでもキーパーになりたいのか?」  

私の問いかけに息子は黙ったままでしたがこの先キーパーになりたいと言うことはなかったのです。

その後、幼稚園を卒園すればサッカースクールも辞めるとの私の思惑は外れ親子サッカー練習を始めてしまったのです。

息子とはサッカー以外にキャッチボールやドッチボールも遊びました。遊びと言ってもすぐに熱く指導となります。こうしてドッチボールも上手くなりクラスで活躍出来るようになっていったのです。

するとサッカースクールの試合の交代でやるキーパーでもボールをキャッチ出来るようになったのでした。

もしあの時に息子がもう少し大きかったら私は喜んでいっしょにキーパー練習をしたかもしれません。

私が小学生の時に担任から教わった練習方法は覚えています。でも相手のドリブルボールに飛び付けだとか団子状態の中に割り込んでボールを押さえろなんて危険な指導は出来ないでしょう。あのようなプレーが出来たのはあの時代の私だったからです。

小柄だった当時の私はクラスチームのキーパーを2年間しっかりと努めました。同じ小柄な息子がキーパーになりたいと言ったことに私が手を上げてキーパーに立候補した時の担任と同じ目で見たのです。これっておかしいですよね。
でも、幼稚園の2年間でゴールが1得点だけだった息子は親子サッカー練習のおかげで滝さん得点出来るようになったのです。  

遠い昔にキーパーを楽しんだ私です。

息子はサッカーを楽しめばよいのです。


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息子は幼稚園の年中の夏休みまでまったく私になついてはいませんでした。完璧なお母さん子。まあ当時は私が出社するときは息子はまだ寝てましたし帰宅時間は寝てました。
休日出勤も多かったし息子と接することが出来なかったです。

なつかなかったな。息子と二人っきりでいるとお母さんをさがして泣いたのです。やになる。

そんな息子が幼稚園の年長の夏休みに私の実家で妹家族がそろった食事会の後に風船でリフティングを披露したのです。
すると酔っ払っていたじいちゃんから「サッカーはやめろ。小学生になったら野球を始めろ。」と言い出したのです。
それを聞いた同じく酔っ払っていた私は「孫が一生懸命にやっているのに何を言う。」と切れたのです。ワアワアとオレオレ爺と口論が続き義理弟になだめられたのでした。

すると騒動が治まってすぐに息子が私の膝の上にちょこんと座ったのです。
びっくりしました。この一件から息子は私になつくようになったのです。息子は私が自分のために戦ってくれたと考えたのでしょう。
いまでも私は息子いや家族のために戦えるのです。



2017年7月20日 (木)

続10.サッカーと私キーパー前編

続10.サッカーと私キーパー前編(reboot)

第一部

キーパーと私  

私のブログ「サッカーと私小」を読み返して。私はあることに気が付きました。  

それは私が「サッカー少年」だったということです。
私の人生のスポーツ歴の中で野球ソフトボールテニスが圧倒的でありサッカーは授業以外には記憶がありません。
しかし「サッカーと私小」で小5,6年生の私はサッカーをしっかりとやっています。そして思い起こせばブログのなかで私はたまにクラスの名キーパーだったと変に自慢していたではないでしょうか。

それでも私の頭の中で「私=サッカー少年」とはならないのです。それには理由があります。期間が2年間という間だったことはさておきまして私が小学校時代にしていたのは「サッカー」ではなく「キーパー」だったからです。  

簡単に言いますが「キーパー」は「サッカー」とは別物です。なぜならばサッカーとは手を使わずに相手のゴールにボールを入れるゲームで、キーパーとは手も使って相手からゴールを阻止するゲームだからです。

したがってキーパーは練習から別メニューでした。皆がグランド内でパスやドリブル練習をしている時に一人コンクリートの壁目がけて蹴ったり投げたボールの跳ね返りをキャッチしていました。

これではサッカーの基本のトラップ、ドリブル、シュートが上手くなれるわけはありません。ダイビングキャッチが上達してもキーパー以外のポジションでは役立ちません。
でも、私があのメンバーでレギュラーを取れ試合に出場出来たのもキーパーだからです。そして私は2年間、キーパーを楽しんだのでした。  

第二部  

キーパーと息子  

息子が私に頼みごとがあるときには私を見てもじもじしながら恥ずかしそうに話すのです。  

息子もじもじしながら:「お父さん、僕、キーパーになりたい。」  

幼稚園年長のことでした。  

このお話は後日になります。


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息子は小さかったです。で、弱っちい。そんな息子が私にキーパーになりたいと訴えたのです。小中と私も小さかったです。でも手を上げてキーパーを希望して練習をしてキーパーで活躍しました。

おお、我が息子よキーパーになりたいのかお父さんは嬉しいぞ。やはり俺の子だ。では今から公園でキーパー親子練習を開始するぞ。お前を立派なキーパーにしてあげるぞ。と息子と二人で公園に向かったのでしょうか。




続9.サッカーと私 家族編

続9.サッカーと私 家族編(reboot)

スタジアムを満たした両チームのサポーターのゆっくりとした一拍ごとの拍手の大音響とその後の静寂とがゆっくりと交互におとずれていました。後半のピッチ上はジェフ千葉とガンバ大阪の選手がせめぎあっています。両サポーターが同じテンポで拍手を贈りつかの間スタジアムの空間が一体となったのです。
コールリーダーの太鼓の音がまた響き始めジェフサポーター、ガンバサポーターお互いの応援にもどりました。

05年ヤマザキナビスコ杯ファイナルを千葉に戻り息子が加わった我が家4人で観戦したのでした。  


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スタジアム一体の拍手はサッカー観戦で初めての経験でした。いやこの先サッカー場の観戦でもテレビ観戦でもこの拍手はありません。あれは不思議な空間だったのです。

さて今回の話は05年と書きましたがどうも06年の鹿島アントラーズ戦だったような。オシム監督でのヤマザキナビスコ杯連覇の時ですね。ナビスコ杯決勝はヤマザキのお菓子が沢山貰え子供達も喜んだのでした。私、妻、娘、息子の4人の我家はジェフ千葉のゆるいサポーターになったのです。



続8.サッカーと私 社会人後編

続8.サッカーと私 社会人後編(reboot)

サッカー記録:新婚~ナビスコ戦

結婚後時々、ジェフ市原の試合をスタジアムに二人して観戦に行きました。

記憶に残っている試合

ジュビロ磐田戦:当時ジェフにとって相性が良かった。得点者がマッシュルーム廣山、ハシェク、試合終了まじかにマスロバルがディフェンスを切り裂いてのゴールは圧巻だった。

セレッソ大阪戦:妻がお気に入りのベネトンポロシャツ(どピンク)を着て観戦していた。ピンクカラーはセレッソの色だ。妻はまわりから浮いていて恥ずかしかった。

名古屋グランパス戦:生妖精ピクシーにはしゃいだ。隣の席の女性グループは名古屋のサポーターだった。「へーピクシーってやっぱ有名なんだ。」なんて言っていた。

鹿島アントラーズ戦:国立で観戦:ジェフが勝利した時、隣の鹿島サポーターの子供から「ジェフ勝ってよかったね。おめでとう。」と声をかけられた。私はちゃんとありがとうと言えたかが覚えておらず気がかりだ。  

偶然だが私達が観戦すると必ずジェフは勝利しました。こうしてその秋まで二人してスタジアムに足を運んだのです。しかしある日を境に私たちは観戦に行けなくなってしまったのです。妻が娘を身ごもったからです。
大事を取って観戦はあきらめジェフの試合結果は気にするもののもっぱらサッカー観戦はテレビでの日本代表戦になったのでした。  

翌年の春に娘が誕生するともう我が家は娘を中心に動きます。サッカー観戦は行けませんでした。  

10か月で歩き始めた娘と3人で河川敷に行きました。私は無性に堤防に向ってサッカーボールを蹴ってみたくなったのです。そして4号軽量サッカーボールを購入したのです。堤防に私が蹴ると転がり戻るボールを娘が追いかけてこともあったでしょう。こうして私と娘はサッカーボールにじゃれて遊んだのでした。

親子3人でのサッカー観戦は98年ヤマザキナビスコファイナルのジェフ市原対ジュビロ磐田の国立競技場でした。JR千駄ヶ谷から1歳半の娘はジェフの旗を振りながら歩きます。
するとカップルの女子サポーターから娘は「おう、気合入っているな。がんばろう!」と声をかけられたのです。
当時ジェフは初期Jリーグのチームで唯一タイトルを取っていませんでした。しかし相手はジュビロです。ジェフはジュビロには強い。初タイトルに期待がふくらみます。

そして試合は前半はジェフのペースで試合が進みました。0―0で後半が始まります。勝てる優勝出来ると思っていた後半からあれよあれよとジュビロのペースです。ジェフは攻められ1点また1点と得点をゆるし結局4-0で負けたのでした。

ピッチに泣き崩れるジェフ選手達。前半良い試合をしていただけに悔しさがましました。私達が国立を出ると千葉テレビのインタビューにサポーターが「負けるのはしかたがない。でも、4-0とはどういうことか。」と答えていたのです。  

そして、この試合の後しばらくして我が家は転勤で千葉を離れたのでした。  


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妻とのジェフ市原の観戦は熱狂的なサポータが陣取るゴール裏ではなくバックスタンド自由席でした。城彰二が生意気で味方から前線でパスがこないとここに出せとばかりにアピールしていたっけ。
あれではチームで浮きます。まあ今では城もサッカーコメンテータとして性格も丸くなりテレビで活躍していますが。当時はやんちゃ小僧でした。 でも城彰二のヘディングシュートは素晴らしかった。グウーンと来たセンターリングボールを城はバコーンと信じられない角度でゴールに叩き込んだのです。城はまっことのストライカーでした。 市原球技場はJR駅から少々遠いです。

でもジェフが勝利した日は妻と並んでジェフの旗を振って歩いて帰ります。するとバス帰り組みのサポートが私達を見つけて手を振り返してくれるのです。こうして勝利の余韻にひたるのでした。



2017年7月19日 (水)

続7.サッカーと私 社会人前編

続7.サッカーと私 社会人前編(reboot)

サッカー記憶:社会人Jリーグ開幕前

まったく私にはサッカーとの接点が無かった。テレビ、新聞、雑誌のメディアにサッカーが扱われることもなく気にもしていなかった。サッカーが嫌いというわけではない。
興味が無いだけで今の私にとってのラグビーやアメフトのような存在。たとえばサッカーのチケットをもらっても観戦にはいかなかっただろう。

当時私のスポーツは春から秋にかけては硬式テニスを冬はスキーをしていた。 サッカーワールドカップもヨーロッパクラブチャンピオンと南米クラブチャンピオンが日本で戦うトヨタカップも知らなかった。

サッカーの記憶:社会人Jリーグ開幕後結婚前

ちまたではJリーグが開幕し大ブームとなっていた。しかし私は乗り遅れた。
会社の同僚は週末になるとマリノスの旗をもって応援に出かけて行った。部内にフットサルチームも出来ていた。
テレビCMはJリーガであふれ豊島園に
「羨ましいぞ、Jリーグ。」って幕が張られた。

TVゴールデンタイムに試合中継があったが自宅のテレビの調子が悪いし残業時間なので見たことが無かった。また私はどこのサポータでもないが雑誌ホットプレスの「Jリーグ観戦のしかた特集」をこっそりと読んだ。でもチケットは完売で入手出来そうになかった。

ある日同僚からサッカー日本代表選手の名前を知っているか?と聞かれた。私は一人も言えなかった。同僚にバカにされた。

そこで代表戦をテレビで観てやった。すると私が知らないアジアの国々にいつも苦戦していた。つうか試合中に攻められ続け結局負けていた。

私は相手選手がイエローカードやレッドカードで退場してくれと願いながら観戦していた。同じ人数では日本は勝てそうになかった。また折角同点で試合が終了するまぢかのロスタイムに日本代表はよく失点して負けていた。

ワールドカップアメリカ大会の予選をゆるくテレビで観ていた。勝ち点とか予選突破条件も解らずに試合は勝ったり負けたり引き分けたりしていた。この試合でワールドカップ出場という試合で土壇場のコーナーキックから失点してしまい出場を逃した。テレビ東京からテレビ朝日の「トゥナイト」にチャンネルを替えた。

結婚前、妻とのデートをジェフ市原の試合をJリーグ初観戦に選んだ理由は千葉生まれの妻と静岡生まれの私とでお互いの出身地チームを応援して盛り上がろうってな具合だった。
サッカー場で応援チームの旗を購入する予定だったがアウエーの清水エスパルスの旗は売っておらずしかたがないのでジェフ市原の旗を2つ購入して私もジェフを応援した。初めてのサッカー観戦だった。

しかし試合中サポータは誰も旗を振っていなかった。するとジェフがゴールした瞬間周りが一斉に立ち上がり歓声が上がり旗を振りだした。衝撃的だった。
スタジアムが歓喜にあふれた。この一瞬で私はサッカー観戦のとりこになった。 試合は2対0でジェフ市原の勝利。またもや大歓声があがり旗を振り選手とサポータは一体となり勝利を喜びあった。

この日、帰りのJR五井駅のプラットホームでプロポーズをした。  


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私は完全に当時のJリーグブームに乗り遅れていました。つうか仕事が忙しくてそれどころではありません。それに静岡出身で千葉での生活なのです。清水エスパルスの試合は遠いしジェフ市原には思い入れはないしでした。
同僚が何も関係ないマリノスやベルディーを応援しに行くのを不思議に思っていたのです。

それでも妻へのプロポーズはサッカー観戦の後としたのです。私と妻は8才違いです。断られることも想定していました。
妻は結婚はまだ早いと思うのではないか。ホームでプロポーズすると妻は
「今、答えなければいけない?」と聞いてきたのです。 私は、ああこれでこいつとは終わりにしようと思ったのでした。すると察したのか妻が
「いいわよ。」ですって。
私はあっそって感じになったのです。

したがって感動的なプロポーズにはなりませんでした。あれから20年以上経ちます。縁だけではありません。妻は何度かの危機を乗り越えて私と一緒になれたのです。
私は面倒臭い男なので。



2017年7月18日 (火)

続6.サッカーと私 中高大編

続6.サッカーと私 中高大編(reboot)  

サッカー記憶:中学生高校生大学生編  

中学  

中学にはサッカー部は無かった。卒業生にプロ野球選手が出たこともあり運動能力が高い子はみな野球部に入部した。ちなみに私はソフトテニス部。  

授業で週一回クラブ活動の時間があり中一の1学期間だけサッカーを選んだ。

中学校のサッカーゴールは大きく小柄に私はジャンプしてもゴールバーに手が届かなかった。

クラブ活動のサッカーで左のディフェンスをして相手のドリブルから何度もボールを奪った。ボールを取られた上級生が不思議がっていた。

右利きだった私は左のディフェンスだとボールを蹴りにくくプレイがしづらかったので右のディフェンスに交代してもらった。するとまったく相手が私の守っているサイドに攻撃してこなかった。サッカーでは右利きが多いので右サイドからの攻撃になることに気付いた。右のディフェンスは暇だった。

雨の日のクラブ活動の座学で先生が直接ゴールを狙える場合のキックは何があるかと質問した。皆があれこれと答えた。出尽くした時に先生は他にないか?と聞いた。
私は「コーナーキック」と答えた。誉められた。クラブ活動の後で意地悪先輩が「俺だってわかっていた。」とほざいた。

高校サッカーの全国大会をテレビで観ていた。神奈川県の高校と広島県の高校との試合だった。神奈川の高校の前方にいるフォワードにパスが出るとことごとく笛が鳴りオフサイドを取られていた。私が初めて見たオフサイドトラップの戦術だった。あまりにもオフサイドトラップが決まるのを見て恐ろしくさえ感じた。

高校

球技大会のサッカーで私は右サイドをドリブルで駆け上がった。女子の歓声が聞こえて心地よかった。
授業の体育でのクラス対抗戦で同じ小学校だったマー君からキーパーに推薦された。ちょっとやってみるかの気持でゴール前でかまえた。あっさりと相手にゴールをされた。「フリーだからしょうがない。」と慰められたがフリーの意味がいまいちわからなかった。フリーだとゴールされてもいいのか?キーパーは結局この一回かぎりだった。 授業の体育のクラス対抗戦で私は右コーナーキックをまかされた。ゴールが遠く感じ蹴ってもゴールまで届くとは思えなかった。ゴール前のマー君にボールがいくぞと声をかけた。彼は「オウ」と手を上げた。私は思いっきりゴール前をめがけてボールを蹴った。
ボールはペナルティーエリア外へとグランダーで大きく外れた。するとクラスのサッカー部のやつが待ち構えていた。みなが唖然とした瞬間、どフリーでダイレクトシュートをした。

ボールはバーのすぐ上を越えていった。偶然にトリックプレーとなった。マー君がかなり怒った。

授業の体育のクラス対抗戦で私はドリブルをしてゴール右サイドからインフロントキックでクロス(センターリング)を上げた。ゴール前に走りこんだサッカー部のやつがドンピシャヘッドで合わせた。ゴールを祝うためゴール前に私が駆け付けると試合が続いていた。サッカー部のヘディングはバーをたたいたのだった。

授業の体育のクラス対抗戦で前の日に相手のゴール前でラストパスをスルーして得点チャンスを逃した私にまったく同じように目の前をボールが転がってきた。今度こそボールを蹴るとすれすれでゴールをわった後にクリアーされた。相手クラスのアツ君が今のは入っていないと猛烈に抗議した。余りにアツ君がうるさくて折角のゴールにそれほど嬉しい気持ちになれなかった。

大学

入学してすぐに軟式野球チームに所属したので4年間野球ばかりやっていた。巨人戦を野球場までチームメイトと年中観戦に行った。
観戦はもっぱら外野の自由席だったので早くから球場に行きトランプしながらワイワイ皆で待った。私生活は野球ばかりでまったくサッカーは無かった。

体育の授業でサッカーを選択した。県地域によって小中高の授業でサッカーを経験したことがない同級生が何人もいた。したがって私はサッカー経験者のぶるいだった。相手は素人だらけだったので私はハットトリックを決めるはドリブルしてディフェンスをかわしてからのシュートも決まった。ピッチは広くゴールが大きく見えた。  


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当時の日本サッカー代表はオリンピックに出場することもなくワールドカップはその存在を世間に知られておらずテレビや新聞にサッカーの話題が取り上がることもなかったです。 私もソフトボール、軟式野球と中高大と野球系ばかりしていました。野球のボールは何でも良かったのです。お弁当の銀紙を丸めたりカラーボール、スーパーボールでもやりました。スーパーボールでの野球はスリリングでした。半端なく打ったボールが飛びました。

高校の体育の男女一緒のソフトボールで私はピッチャーをしました。バッターボックスには数年前の同窓会で久々に会ったアトが立っていたのです。アトは小さかった。また力がないからバットがあがりません。私はそっとボールを投げました。アトがバットを振るとちょこんと当りボールがコロコロと私のところに転がってきたのです。アトは当たったことにびっくりしたようでその場から動きません。おい早く一塁へ走れよ、セーフにしてやってもいいんぞ。そんな気持ちに私はなったのです。
遠いむかしのこのことをアトはきっと覚えていないことでしょう。



2017年7月15日 (土)

続5.サッカーと私 小学生編

続5.サッカーと私 小学生編(reboot)  

私のサッカー記憶:小学生編  

テレビアニメ「赤き血のイレブン」の玉子シュート。玉子シュートとはシュートしたボールがゴールのバーに当たり生卵がするりと入るようにゴールする必殺シュートだ。
この玉子シュートは子ども心にアホらしく思えていた。  

小学5年生になるまでサッカーをしたことがなかった。5年になりクラス対抗の試合があったが私はベンチ組でたまに試合にでると相手フォワードをマンマークで張付く役だった。試合中にシュートどころか相手陣地にいったこともなかった。  

鉄棒に腰かけて補欠メンバーの私はクラス対抗試合を見ていると味方の大柄太目のキーパーが相手シュートをのそのそと動いてゴールしまくられていた。補欠のメンバー達はゴールをされる毎に大爆笑をしたのであった。  

たまりかねた審判をやっていた担任が補欠組に来てキーパーをやってみたいものはいるか?と聞いた。クラスで2番目に小柄だった私はすかさずに手を上げた。小柄な私を見たその時の担任の嫌そうな困った表情を私は忘れない。

キーパーとして交代した私のゴール前で敵味方が団子になってボールを蹴り合っていた。短気な私はいらいらしてきた。そして団子に突入してボールに覆いかぶさった。敵味方に全身を蹴りまくられた。  

フリーでドリブルしてくる相手からボールが離れた瞬間をねらいボールに覆いかぶさった。これまた相手に体を蹴られた。  

こんなプレースタイルでゴールを守っていた私に一度だけ担任が「大丈夫か?」と声をかけた。クラスのヒーローになっておりキーパーが楽しくて速攻で「大丈夫。」と答えた。  

上級生にも負けなかった。6年3組の担任は私が小3の時の担任のセノで大嫌いだった。セノのクラスにも勝っていた。絶対にセノには負けたくなかった。 しかしあるセノが審判を務めた5年4組と6年3組の試合で相手6年生のシュートがバーに当たり私の前に跳ね返った。 助かったと思った瞬間にセノが一瞬顔色を変え手を私の方に向けてゴールの笛を吹いた。イカサマゴールで試合に負けた。私にとって初失点だった。私は落ち込んた。  

試合後に担任が落ち込んでいる私に「社会人でも全日本のキーパーだって得点されるんだ。」と慰めてくれた。私はすぐに「ああそうなんだ。ゴールされたっていいんだ。」と気持ちが楽になった。

私が6年生のとき日本代表チームがオリンピックの出場を逃したと担任が言った。その時に担任は「サッカーにはオリンピックより大きな大会がある。」と言った。
あのころ私はワールドカップの存在を知らなかった。  

ある日、担任が暗い表情で教室に入ってきて「全国につながる大会の申し込みをしたがクラス単位では受け付けてもらえなかった。」と言った。 私達はなぜ不可なのか理由がわからなかった。大人の事情なのだろうと思った。

キーパーだった私は特別練習だった。担任と一対一でキーパー練習メニューをこなした。特別で嬉しかった。ダイビングキャッチ、トンネルしないキャッチ。うつ伏せからの反応。ゴールキックと色々やった。全身傷だらけの青タンだらけだった。  

キーパーになったことを知った父がボールを買ってくれるという。しかし当時私が住んでいた地域にスポーツ用品店がなかった。したがっておもちゃ屋で買ってもらったのは大きい5号のゴム製サッカーボールだった。ボールはボヨンボヨンとよく弾んだ。このボールで近所の石垣に蹴ってキャッチングの練習をした。  

クラスの体育の授業での男女対抗のサッカーの試合では私は女子側のゴールキーパーだった。女子も運動能力が高い子が多く男子に負けなかった。  

体育のサッカーでキーパーの私がスローインをしてペナルティーエリア内でボールをつかむ予定で投げたら強く投げすぎて私は追いつけずにそのままゴールしてしまった。今だにヨウ君は飲み会とかでその時の話をする。  

隣町の強豪チームとの試合でPK戦となった。勝利の瞬間にゴール裏に詰めかけた同級生下級生の歓声に包まれた。  

いつもハンドをする北海道からの転校生ヒロ君が前半にペナルティーエリア左前でハンドしてしまった。相手フリーキックが飛んできた。私は一歩も動けずにボールが左上に吸い込まれていった。その後チームが2点入れて逆転勝利したが私は喜べなかった。

小学5年と6年の2年間、私たちは毎日サッカー練習をした。朝練もあった。6年生になると男子全員気合いをこめて坊主頭になった。小学校の卒業式の朝、最後の朝練をしてチームは解散となった。


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今、思い出しました。私が小学4年生のときに父にサッカーゲームを買って貰ったことを。もちろんテレビゲームではありません。手で棒を押したり(人形が前進)引いたり(後退)ひねったり(回転しシュート・パス)して対戦して遊ぶのです。

あれは小学4年生の雨の日でした。バス遠足の行き先は工場見学(田宮模型)や登呂遺跡。行きたかったな。でも雨ではバスの窓が開けられず乗り物酔いの酷い私は不参加としたのです。

小3のバス遠足で行きで吐いた私は担任のセノからあからさまに仲間外れされるは現地の公園で鬼ごっこの万年鬼でした。バス遠足はそんな苦い想い出があります。

それから私はバス遠足は不参加にしたのです。その雨の日に父は家にいました。私のために仕事を休んだのかそれとも雨で休み(父は大工)だったのかわかりません。

皆が遠足の日に私は一日中父とサッカーゲームをして遊びました。楽しかったな。

あ、あの頃は父と一緒に高校サッカーをテレビで観戦していました。父はサッカーが好きだったのじゃないかな。

まあ孫(父の娘の子)が野球をしていたから野球好きになったのでしょう。本日はあの小学3年生と4年生の時のことと数年前にオレオレ詐欺に引っかかった父親のことをまた思い出したのでした。



2017年7月14日 (金)

続4.トトロ選手への道

続4.トトロ選手への道(reboot)

当時、小4の息子へのアンケートです。

私:「ジェフとガンバ大阪の観戦に行きました。さてどちらを応援しますか?」

息子:「表でジェフ、裏でガンバ」

ジェフ千葉を応援しても心の中ではガンバ大阪を応援するそうです。息子はガンバの遠藤選手の大ファンになっていたのです。

続けてのアンケート。 私:「ジェフとトトロだったらどっちを応援しますか?」 息子:「絶対にトトロ」 私:「では、トトロとピカチュウだったら?」

息子:「やっぱりトトロ」

私:「ラストアンケートです。サッカー選手とトトロ選手だったらどちらになりますか?」

息子:「・・・・(長考)トトロ選手って着ぐるみを着るのかな?」

悩むのかよ、息子よ!!!

子供の夢をかなえてあげるのが親のつとめです。当時私は息子を将来立派な「トトロ選手」にしてあげようと思ったのでした。  

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小4の息子は「トトロ選手になりたい。」と言ったのですよ。可愛いですね。 はて、トトロ選手っていったい何をするのでしょうか?聞いた私も答えた息子も知らない謎の試合、ゲームの選手です。

あの後、しばらく私はトトロゲームのルールを考えたけど良い案が浮かばなかったな。

今度息子に「小4のころにトトロ選手になりたいと言ったの覚えているか?」と聞いてみますか。
はたして覚えているのかな。

続3.サッカー本

続3.サッカー本(reboot)

親子練習をしていた当時、私が本屋さんに行くと必ずサッカー関係の本をあれこれ物色しました。
だいたいは立ち読みですがこれといった本は棚に戻したりまた出したりして迷いながら購入したのです。

私はサッカーど素人でした。
なので読めば読むほどサッカー知識が私には備わりました。大人になって物事のことを多く学んだ結果サッカー本に記述された内容のその一つ一つの単語が解るようになっているのです。

たとえばインステップキックの複雑な動作の流れ

「助走、踏み出し、歩幅、角度、後方45度、軸足、踏み込み、真横、つま先、バックスイング、足首の固定、ひざ下、振り上げ、振り子、反動、アゴを引く、蹴り足、足の甲、インパクト、キャンプ、ミート、直線、着地」

の単語の全てを理解しなくては正しく蹴ることは出来ないでしょう。
そして私は本からの知識が得られそれを自分の中で消化し実践し息子に伝えることをしたのです。

さて、当時そのように購入したサッカー本の紹介です。

本名:試合で大活躍できる!サッカーフォワード上達のコツ50
監修:福永泰
定価:1300円(税別)
購入の決めて:第一章がDFとの駆け引きが10項目載っていた。小4の息子に当時毎日一項目ずつスカイプで読んで聞かせたのです。



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あの頃の私は少年サッカー漬けでした。本屋、図書館、ネットでサッカー技術をむさぼっていたのです。まあオタクですから。

単身赴任でこちら広島に来て本屋に行ったときのことです。本屋のスポーツコーナのまあ赤いこと赤いこと。あきれかえるほど広島カープ関係本がずらりと並んでいます。
また野球関係の本ばかり。その中で申し訳なさそうにサッカー関係本です。あらためて広島がカープの県だと認識したのでした。



2017年7月13日 (木)

続2.DFが手でゴールを防いだ

続2.DFが手でゴールを防いだ(reboot)

私が小学6年生の4組のゴールキーパーだった時の話です。

市内最強の隣町の学校チームを迎えてのサッカーの試合がありました。

私のクラスは私が正ゴールキーパーになった5年生の始めから上級生の6年クラスにも勝てるようになり他のクラスを寄せ付けない強いチームになったのです。それでも隣町のチームは圧倒的なゲームで連戦連勝をしていたので私たちは苦戦するとだれもが思っていたのでした。そして私たちと最強チームとの試合が開始したのです。

試合はお互いに得点をゆるさずに0対0のまま前半を終り後半戦に入りました。私はゴールキーパーとして相手ゴール前での味方の攻撃をカウンターに警戒しながらポジション取りをして固唾を飲んで備えていたのです。

味方がシュートを打ちました。ボールはグランダーでゴール左に決まる直前です。相手選手にクリアーされたのです。審判の笛がなりました。相手ゴール前に皆が集まっています。何があったのかキーパーの私からは解りません。ディフェンダーの一人が走ってきて告げました。相手ディフェンダーが手を使い防いでこちらのPKとなったのでした。

完璧に決まったゴールをダイビングして手で弾いてしまったのです。そして味方のPKが外れ後半も得点は0対0のまま終了してPK戦となり私がゴールを守り最強チームに勝利したのです。

試合終了後に担任に勝利の報告に行くと担任は
「良く頑張ったな。相手のチームのディフェンダーは手を使ってまでゴールを防いだ。皆も見習うように。」と言ったのです。
私はその言葉に違和感を覚えたのです。サッカーで手を使っていいのはキーパーの僕だけです。毎日の練習でのダイビングキャッチ、試合で相手選手に蹴られながらゴールを防いでいるのにキーパーをなんだと思っているのか。いざとなったら皆で手を使い防げとはどういうことかと。

お昼になり教室に戻ると遅れて担任が来ました。
そして「相手チームの先生に先ほどの試合の手を使ったプレーについて謝られた。キーパー以外で手を使って防ぐことはいけないことだ。さっきの私の話は間違っていた。」

この言葉にクラス中が安堵の雰囲気に変わったのです。だれもがルールを破ってまでプレーをしたくないと子ども心に思っていたのです。

これは、私のはるか昔の忘れられないサッカーの思い出です。

当時、遠く南アフリカの地で「2010WORLDCAP」が開催されていました。

このWCで日本代表は予想を越える大健闘でグループリーグを突破しベスト16位に入りました。
そのトーナメントリーグのウルグアイ対ガーナの試合でのことです。延長戦の後半終了まじかにウルグアイの選手が自分のゴール前で手を使ってシュートを防いだのです。
彼はキーパーではありません。レッドカードで退場そしてガーナのPKとなったのです。でもガーナの選手がPKを外し試合終了。その後のPK戦でウルグアイが勝利し次のトーナメントに進んだのでした。

その手を使ってゴールを守ったプレーに元ベルディーのラモス氏はテレビ番組で必死にプレーした結果だと言いました。 この選手のプレーのおかげでウルグアイは次に進めたのだし獲得賞金もアップしました。しかし彼はヒーローなのでしょうか?プロの選手は子どもたちの見本になるのではないのでしょうか?なんのために試合ピッチに入場するときに子供の手を引きいっしょに入ってくるのでしょうか?
私は息子にあのプレーはいけないことだと教えたのでした。

私はあの日、先生が謝罪をしたときのクラスみんなの気持ちを大切に思うのです。

あとがき

さて、今回の先生のハンド奨励撤回のことはいつか書きたかった話だけに実際のウルグアイ戦で起きてびっくりでした。なんでしょう。書きながら私の気持ちはゆれました。手を使ってゴールを防ぐのは悪いことだけどでも。

でも、古くはアルゼンチンのマラドーナの「神の手ゴール」とかフランス代表をWC出場に導いたアンリのハンドとかありますし。でも、サッカーの試合でキーパー以外が手を使ってシュートを防ぐのが当たり前になるのは私は嫌です。    


コメント追加

人生とは不思議なもので数年前に同窓会で久々に会って話したクロトの旦那さんが私が小学6年生であのPK対戦までした相手最強チームのキーパーだったのです。
当時から彼は大柄でした。私は小柄だったので彼のあまりの体の大きさが印象に残っていました。

その後彼とは高校が同じでしたが話しをすることがありません。卒業してから一度だけ居酒屋で偶然一緒になったときに当時の試合のことを話したことがありました。
彼はあの試合中腰が痛かったって言ったのです。

その彼がまさかクロトの旦那になるとは思ってもいなかったな。95年の同窓会でクロトに酔いすぎた私は「俺はお前の旦那に勝った男だ。」なんてからんだのです。恥ずかしいな。そんなクロトを怒らせて今日で3年と1ヶ月経ちました。これまた人生の不思議です。




続1.雑誌サッカークリニック

続1.雑誌サッカークリニック(reboot)

当時、サッカー雑誌「サッカークリニック」を購入したのでした。 800円也。

購入の決め手

1.表紙がルーニーだった。なぜか当時息子はチームメイトにルーニーと呼ばれていた。体格も顔もまったくタイプが違うのに。得点を入れまくっていた時期だからかしら。

2.巻頭で羽生直剛(現在千葉ユナイテッド)妻が大ファン。妻は「羽生選手が後半交代するのは走り過ぎて死んじゃうからなんだよ。」年中言っていた。

3.まさかのトム・バイヤー氏登場。サッカーを教わったのでトムさんは息子の師匠だ。実は以前トムさんのブログに息子のことがのっていました。
トムさんのブログ抜粋。息子のことです。
「この子は1年生で、みんなの前でテクニックのデモンストレーションをしたんだ。1年生で、体は大きい方ではなかったけど、すごくうまかったから僕がやってみるようにお願いしたんだ。」

ほら見~。こりゃDVDだって真っ先に購入するわな。トムさんの事務所にDVDの購入電話をかけた時に電話口にトムさんでるだろうとなぜか勘違いしていた私です。当たり前のように事務員さんがDVDの対応したのでした。


コメント追伸

ルーニーはご存知イングランド代表のマンチャスター・ユナイテッドの選手でした。まさか当時日本人の香川選手がチームメイトになるとは当時は思いもよりませんでした。

羽生君(我家ではこう呼ぶ)は宇宙人顔です。すごく失礼ですね。千葉時代からひたむきなプレーで我家は彼のファンでした。FC東京に移籍していましたが今年からなんと千葉に復帰です。応援に行きたいよ~。

トム・バイヤーさんは息子にコーチしたので息子の師匠です。当時トムさんのブログをチェックしていたら息子のことが記載されているのを見つけてもう喜んだのなんのって。

あの頃は「トム・バイヤー」で検索かければ私のブログがヒットしていたのでブログは読んでくれているとは考えていたけどまさか記事にしていただけるとは。嬉しかったです。テレビ東京の番組「オハスタ」でトムさんのコーナが終了することが決まり次が野球でした。ちょっと腹がたちました。
当時の我家は本も含めサッカー関係グッズだらけだったのです。





2017年7月12日 (水)

続 私と息子とサッカー(にほんブログ村)

続 私と息子とサッカー(にほんブログ村)

こんな私ですがいまだにブログ総合サイトの「にほんブログ村」カテゴリー「少年サッカー」に参加しています。なぜ、カテゴリーが「少年サッカー」との疑問がありますがあえてサッカーとさせていただきます。  

さて、私がブログを始めたきっかけは今は無きフジサンケイグループのブログサイトイザ!の「アウトドアが好きだ!」作文コンテストでのアウトドアグッズメーカーの「コールマン」の賞品に目がくらみよこしまな心からです。(コンテストで見事に3等の蛍光ランタンゲット)  

では、わたしがブログ「サッカー少年の親御さんへ」シリーズを書いた理由経緯を述べます。  

それは当時息子とのサッカー親子練習のためにインターネットであれこれ検索してサッカー情報を漁っていた時です。ネット上で一人の少年の書き込みを目にしたのでした。  

少年の質問:「僕は小学生からサッカーをしていますがディフェンスなので1度もゴールをしたことがありません。どうしたらゴールが出来るのでしょうか?」

この質問は息子が幼稚園年長の時に私にしたものと同じです。  

息子:「お父さん、どうしたらゴール出来るの?」

当時息子はサッカーを初めて1年半も経つのにスクールの試合で1点も入れたことが無かったのです。1試合で5点も6点もゴール出来る子がいるのに息子は幼稚園の2年間で結局総得点は1点だけでした。  

私の小中高でのサッカー経験はほぼ体育授業です。高1まで小柄で華奢でした。そんな私がゴールしたのは高3の1点だけです。
試合中でフェンスとしてほとんどの時間を味方のゴール前にいたのです。 サッカーの試合で相手ゴールは私にも息子にもはるに遠かったのです。

サッカーってゴールをするのが目的なのに点をとれる人が限られているように思えてなりませんでした。  

この少年の書き込みから私は親子練習の結果得点出来るようになった息子に実践したサッカーのことをブログに書こうと思ったのでした。同じように悩んでいる子どもや親御さんがきっといるはずです。  

こうして書き始めたのが「サッカー少年の親御さんへ」シリーズだったのです。  

またブログのコンセプトは  

・親子でサッカーの練習と勉強をした。

・試合中は相手のゴール前にいさせた。  

この二つとしました。

とくに相手のゴール前にいさせるのは大事であると考えていました。小学生の低学年や幼稚園でオフサイドルールがなければ相手のゴール前にいても良いのですから。

小柄で下手な子はゴール前で足元に転がってきたボールを蹴りこむことから始めるべきです。コーナーキックや味方のシュートはゴール前にこぼれてきます。
守備は上手な子にまかせればいい。

そして得点をかさねながら親子でサッカー練習と勉強をして上手くなればいいのです。 そして、2008年9月から始めた「サッカー少年の親御さんへ」シリーズは11月18日にネットで見つけた「にほんブログ村」にあたふたと登録したのでした。
じつはこのシリーズをそろそろ終わりにしようとした矢先の「にほんブログ村」です。

結局、現在進行形の形でサッカー少年シリーズブログを続けるはめになりましたが。シリーズは2年生の終わりでひとまず終了。
もうサッカーネタはそう書くこともないだろうな。くらいの気持ちで「サッカー少年の親御さんへ」シリーズは終わりしたのです。
結構疲れたのです。ブログの基本は実践したことを書くだけで提案はしないことにしました。だっておこがましいですよね。たんなる私はサッカー素人の父親ですもの。  

その後、私が恐れていたオフサイドルールです。小3になった息子のスクールでオフサイドルールが適用となったのです。試合中に相手のゴール前にいる息子はまんまオフサイドポジションです。

そこで息子と私の新たな挑戦が始まり「サッカー少年の親御さんへ」ドリブル(パス禁止)編を決意をこめ書くことにしたのです。そしてドリブ編も11月で目出度く完結させたのでした。  

不思議なものです。たぶん私はブログを始めなければここまで息子との親子サッカーにのめりこむこともなかったでしょう。
息子の得点を記録するようになったのも1学年の終りにブログで発表しようとの思いつきからです。また「にほんブログ村・少年サッカー」の沢山の方々の存在が私の息子へのサッカーの思いを強くして下さったのでした。  

当時小4の息子と単身赴任のため離れて暮らし大好きな親子練習が出来ませんでした。息子は朝の自主練を余りやらなくなりました。3年生の夏休みにした早朝練習も無理でした。だからか私はブログでサッカーの事を書くと歯がゆくなったのです。

続シリーズはそんな中での親子サッカーブログとなります。

こんな私は、「にほんブログ村・少年サッカー」に参加させていただいております.。






 

新サッカー少年最終回おわりに

新サッカー少年最終回おわりに

小3から息子の試合に加わったオフサイドルール。オフサイドルール後、息子はゴール前に貼れずに得点が出来なくなりました。したがって息子のプレイスタイルを変更しなくてはなりませんでした。

プレイスタイルを押し込みの得意なミランのインザーギやベルディで元日本代表の武田からドリブル突破のメッシにです。

息子とは小1の終わりから親子練習でドリブルを取り入れていました。しかし当時息子がドリブラーになれるとは私は思いませんでした。ドリブラーは才能によると考えていたからです。

またこの世代ではドリブルは体格がものをいいます。そしてスピード。息子は小柄で体格に恵まれていませんし走るスピードも遅いです。
それに性格もおとなしいホント普通の子でした。

でも私は息子をドリブラーにするべくあがいたのです。
ドリブル練習方法を本屋やネットで徹底的に調べ息子に実践しました。
息子の得点方法にドリブルからのシュートが増えてきたときはそれはそれは嬉しかったです。また得点も増えました。お父さんは言うこと無しでした。

当時、練習の円周ドリブル中に息子が派手に転倒したときのことを思い出しました。
私はボールが道路に向かうのを止めるためにボールにあわてて走り寄ったのです。すると息子から
「お父さんは僕の心配よりボールが大事か。」と言われたのです。
私は弁解したのでした。

こんな思い出もあり親子練習は楽しかったです。
中1の頃に息子がドリブルについて 「MFミッドフィルダーはドリブルで抜けるけどDFディフェンスを抜くのは難しい。」
と言っていました。
でも私は「そうなのか。」と言うだけでもう息子の練習の手伝いはしませんでした。親子練習は小学6年生のあるときから終了したのです。
このような息子からの部活のサッカー話をたまに聞くのを楽しみにしているだけだったのです。

私はサッカーボールをここ何年も蹴っていないのです。




2017年7月11日 (火)

新20.現状維持

新20.現状維持(reboot)

息子が小3の3月、娘が弟に「サッカーどうするの?」と尋ねたそうです。

娘は地域の少年団を卒業する同級生から弟を団に入れるように勧められたり私が単身赴任で4月から親子練習が出来ないことから心配していたのです。

息子:「現状維持。」

そのことを娘は私に少し怒りながら報告したのでした。

現状維持か。それを聞いた私は息子に腹が立ち絶対に泣かそうと思ったのです。
折角私が作成した日々の自主練習メニューにチェックシートをなんだと思っているのか。で、思いっきり息子を泣かしませんでした。

息子のサッカー親子練習は小学一年生の始めに一年後に上達しチームメイトと同じようにサッカーが出来ればと始めたのです。そして息子はサッカーが上達しました。何をこれ以上息子に望むのでしょうか。親子練習中に近所の方や公園で顔なじみになった方からよく「サッカー上手だね。良く練習がんばっているね。」と褒められれば私は「いやー将来Jリーガーにして左うちわです。」と答えていました。
でもJリーガーなんて冗談です。無理です。そんなのわかっていました。

当時、サッカースクールを覗くと息子は元気にサッカーをしていました。ドリブルでしかけていたしゴールも決めたのです。息子は大いにサッカーを楽しんでいたもです。

現状維持、それでいい。当時私はそうおもったのです。



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息子が小4のときに私はその1年間を単身赴任で離れて暮らしました。まあ当時は毎晩スカイプで連絡を取り合っていたが。結局この1年は息子のサッカー技術のレベルアップをはかれなかったのです。

自主練習は息子には無理でした。したがって小3一年間の総得点数に比べ小4は明らかに少なかったです。またあれほど得点した時はその日のうちに得点経過をノートにつけておくようにと言っていたのに息子はしなくなった。

現状維持か。離れた場所から息子を叱ってもね。私はまあ息子が楽しくサッカーをしていたので良しと考えていたのです。でもあの一年はもったいなかったです。

あ、今もまた私は単身赴任中ですがもう息子は部活に入部しなかったりサッカーには関わりはありません。妻からの電話で息子が仲間とサッカーをしに出掛けたことをここで知るだけです。


2017年7月10日 (月)

新19.ピン弾きインステップ補足

新19.ピン弾きインステップ補足(reboot)

・本屋でサッカー本の「図解オシムの練習/下田哲郎著」を立ち読みするとインステップキックの項目に眼が止まる。

・本を購入。

・内容は日本人のキックと一般的なインステップキックの蹴り方の比較だ。

・私のインステップキックの蹴り方はピン弾き日本人キックだった。

・本内容、ピン弾きキックだと蹴る直前にボールを真上から見るので視野が狭くなり前方が見えにくい。一般的な蹴り方だと蹴る瞬間に斜めからボールを見るので視野が広くとれ前方が見えやすい。

・「サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法/池上正著」の記述ではシュートのさいはボールを見ないで蹴りましょうだった。

・本内容:ジェフ監督時代のオシム氏がゴール裏で選手がシュートする瞬間に左右に指を示してシュート方向を指示すると韓国の金選手(FW)だけが対応出来たからボールは見ないで蹴るようにしよう。

・そこで息子にボールを見ないで蹴るように言ったがまったくコントロール出来ず上達しないので逆によく見て蹴るようにさせた。

・下田哲郎氏の本で一般的なインステップキックを知った私は池上正氏が勘違いしているのではないだろうか?と思い始めた。

・ボールは見て蹴って良い。ボールを蹴る時は重心を傾けて斜めからボールを見ることで前方を間接視野で捉える。が正解じゃないだろうか。

・早速、息子とのPK対決で試してみた。ボール確認、助走、軸足方向着地、重心傾斜蹴足バックスイング、大腿部膝下振り下ろし上半身のひねり、ミート、フォロースイング。

平成22年1月10日早朝快晴

マーク地点にボールをセットした私はゆっくりと後退しました。前方には息子が黄色のコーンの間の中央で手を広げて待ち受けています。息子のまなざしは遠い日のゴールキーパーだった私と同じです。私は一つ深呼吸をして助走にはいったのでした。    


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ボールを見て蹴るのか見ないで蹴るのかどちらでしょうか?ケースバイケース、状況に応じてかもしれませんが基本はあると思われます。

で、やはり私はボールを見て蹴るが正しいと考えています。WCのどこぞの選手の強烈なシュートは蹴る前にしっかりとボールを見ていました。まあ、見ようが見ないがゴール出来ればよいのですがね。当時はこんなことを私は真剣に考えていたのです。



新18.ピン弾きインステップ

新18.ピン弾きインステップ(reboot)

私は本屋でサッカー本を手に取りいつものようにパラパラと斜め読みをしていた時のことです。ある一冊の本の記述を目にした時に本を持つ私の手が震えたのでした。

「図解オシムの練習/下田哲郎著」

速攻お買い上げ。

本記載の練習メニューはグループメニューが主でして残念ながら親子練習には適さないものがほとんどでした。

しかし各キックの日本選手と外国選手の比較の中の「日本人のインステップの蹴り方」はまさに私の蹴り方だったのです。私は正真正銘の日本男児キックだったのです。

息子と楽しいPK対決

公園のネット前に5mの間隔で黄色のマーカを置きゴールとします。ゴールから息子は8m、私は10mの距離にボールをセットしてキッカーとゴールキーパーとを交代しながらインステップで蹴りあいます。
息子のシュートはスパッとネットに突き刺さります。小3の小僧にゴールをゆるし悔しいです。私も負けずとインステップでズドンとゴールします。こうしてお互いに一歩も引かずにPK対決を続けたのです。

私のインステップの蹴り方:割り箸をご用意下さい。その割り箸をテーブルに立て左手で上部を持ち右手で片方の下を軽く引っ張って離すとピンと弾きます。
この感じで私はボールに斜めから助走をつけてボールの横に蹴りたい方向に軸足のつま先を向けて主に膝から下を後ろから真っ直ぐに振り下ろして足の甲に当ててボールを蹴っていました。この蹴り方もインステップって言えばインステップだわな。
割り箸をピンと弾くように蹴るピン弾きインステップでした。

ピン弾きインステップになっちゃた理由(わけ):私はそれまでインステップでボールを蹴ったことがありませんでした。いったい日常生活の中でインステップで蹴るシチュエーションがはたしてどこにあるのでしょうか。

ここで記憶を思い出すため目線を上げる。(蛍光灯がまぶしい。)ボールを見ない。ありました。妻とたかが空気清浄機のことでもめて洗濯かごをインステップでジャストミートしたのでした。

他にはないのか。再度目線を上げる。(蛍光灯がまぶしい。)ボールを見ない。ああ、あの時。私は息子が生まれる少し前に1人暮らしをしていました。
その日は暇だったのでJR小岩駅前をお散歩していると青年が女物のバックを抱えて私の横を物凄いスピードで通り過ぎたのです。しばらくすると今度はスーツ姿の男女が私の前方から走って来たのです。そしてスーツ男が叫びました。

「ドロボー、誰か捕まえてくれ。」 えええええええ。ここで考えます。私が泥棒の正面でスーツ男の「ドロボー」の声を聞いたとします。私は泥棒青年を捕まえられたでしょうか?

皆さんはうすうす感じていると思いますが私は口喧嘩は強い(妻に負ける)が腕力はありません。そうです残念ながらかっぷくが良い泥棒青年の突進を止めるすべが当時の私にはないのです。きっと泥棒をスルーしたことでしょう。

しかし今は違います。私は息子と親子サッカー練習に励んでおります。必ずや通り過ぎた泥棒にサッカーボールをインステップキックで命中させて捕らえることが出きるでしょう。私はヒーローになる。  

ピン弾きインステップになっちゃた理由の続きです。

この年までインステップキックを蹴ったことが無かった私は息子に教えるためにサッカー本を読みまくりネットで調べて勉強しました。で会社のお昼休みに公園でボールを蹴ってインステップキックを練習したのです。

インステップキックは強力です。習得した私はサッカー感が変わったと言っても過言ではありません。で息子との親子練習でのPK対決の時にインステップキックが威力を発揮するのです。

我が家のPK対決ルール:蹴り方はインステップキックとする。コロコロ禁止。

PK対決。対決なので息子に負ける訳にはいきません。息子8m地点、私10m地点(当初11m)とハンデはありますがお互いに真剣です。ゴールの左右の隅を狙います。父親のプライドです。息子に負けたくありません。いつのまにかいつのまにかにです。ボールを正確にコントロールするために私のインステップキックはピン弾きになってしまったのです。

サッカーネタはもういいかな。今回はだらだらと文章が長くなってしまった。お読みになった方すみません。私自身読み返すと何を書きたかったかわからなくなっております。



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単身赴任4年目の生活。

平日:朝6時起床朝食。8時出社。20時帰宅シャワーに夕食。22時前に就寝。1時に起床テレビビデオを見ながらブログ書き。3時就寝。

休日:6時にウオーキング中の妻からの電話で起床。8時から片付け掃除(土日のどちらか)。たまったビデオ鑑賞。10時半にサイクリング外出ファミマまたは7でヨーグルトつくね棒野菜ジュースでブランチ。サイクリング、図書館、ウインドショッピング等。16時帰宅。お昼ね。18時調理。19時夕食。21時前に就寝。1時に起床テレビビデオを見ながらブログ書き。3時就寝。

日々こんな感じです。早寝早起きまた寝また起きの生活が続いているのです。
またここ広島では週末にテレビで深夜映画を放送しているのでそのまま麻をむかえることもあります。
最近見た映画だと「ノー・マンズ・ランド」がよかったです。ボスニア紛争の話です。ラストがせつない。
こんな生活でも寝不足でもないしいたって元気です。ここ1年私は風邪もひかない健康体なのです。まあ、本当に健康かどうかは先日おこなった診断の結果を見てからですが。

2017年7月 9日 (日)

新17. パスは禁止とします。完結編。

新17. パスは禁止とします。完結編。(reboot)

試合中に足元にきたボールを前方に蹴ります。相手と味方が同じ人数ならば味方にボールがわたる成功確率は50%です。パスの精度が上達すれば味方にわたる確立は70%以上になることでしょう。

同じく足元にきたボールをドリブルします。ドリブル中にボールが足から離れます。相手に取られます。ボールを蹴りながら走るよりフリーで走る方が速いので相手に追いつかれます。

ドリブル中に蹴る力が強くボールが前方に大きく行ってしまい追いつけなくなることもあります。相手と一対一になった場合の体がぶつかる強行突破だと同じ体格で抜く成功確率は50%です。

一対一でフェイントを使い抜ける確率はフェイント技術が低ければ10%以下でしょう。

このようにドリブルには多くのリスクが伴い相手にボールがわたってしまう可能性が高いです。したがってドリブルよりパスやキックを選択した方が相手のゴール前に進めます。
現実に試合に勝利することを優先するチームの監督やコーチはパスサッカーを子供達にさせてドリブルを禁止するところもあるそうです。

私が小学生の頃にサッカーについて疑問に思っていたことがあります。ゴールを背にした相手を抜く方法です。ドリブルのコースは相手を抜くために大周りになります。よほどのスピードがなければ必ず相手に追いつかれてしまいます。

私がサッカー技術のフェイントを知った時は目から鱗だったでしょう。しかしだんだんと私にはフェイントは単なるパフォーマンスで実用的でないように思えてきました。フェイントで有名なサッカー選手のロナウジーニョやジタン、メッシなどは才能があるからであり一般人が練習したところ所詮は抜く技術ではなく相手を挑発し観客にアピールする行為に思えていました。

実際、当時の日本代表の試合をテレビで観戦してもサイドをドリブル突破することはあるが一対一で対面した相手にフェイントを使い抜くシーンをまったく見ないからです。

息子が小2の11月のことでした。本屋でサッカーフェイント練習本を購入し余り期待もせずに親子練習メニューにフェイントを追加してみたのです。

本に付いているDVDのフェイントの相手は演技で抜かれているだろうし本当は騙されるわけが無いと思っていました。でも、息子のフェイント練習はマーカーを置いておくだけでその間に私はゴミ出しや花壇の手入れが出きるのでやらせてほっておいたのです。

練習中の息子を見るとキックフェイントは盆踊りのようでした。エラシコマシューズは足でボールをこねくり回しているだけです。とてもフェイントを息子がモノにしてフェイントで相手をかわすとは思えなかったのです。

小3の6月のことです。息子の事情が変わりました。試合でオフサイドルールが適用になったのです。これで前方にいることが出来ず相手と勝負する必要が出てきました。

小柄な息子はドリブルで相手を弾き飛ばすようなドリブルは出来ません。そうなるとフェイントでかわす必要があります。しかし息子のフェイントが相手に有効か不明でした。
そこで私は心を鬼にして強く息子にドリブルフェイントをするようにあの日命じたのです。パスは禁止だ。ドリブルをしろ。泣かしまくりです。

その後の約半年間の結果

・オフサイドルール以前のドリブルフェイントでの得点記録を抽出。

合計:2得点

・オフサイドルール適用後の、ドリブルフェイントでの得点記録を抽出。

合計:21得点

この結果から息子のドリブルフェイントが相手に通用していることがわかりました。成功確率は不明ですが果敢にフェイントで挑戦していたのです。
また私のフェイントへの意識が変わりました。「サッカーが上手な子ほどフェイントにかかる。」です。フェイントは条件反射です。上手い子はフェイントに瞬間的に体が反応してしまうのです。
また反応出来ないレベルの子であればそのままドリブルで抜いていけることでしょう。この先、ドリブルフェイントを息子はとても楽しんでいたのです。

息子のドリブルフェイントのために
(おさらい)

・パスを禁止した。

・プレイの優先順位を、シュート、ドリブル、パスに決めた。

・フェイントが失敗するのは当たり前、今まで試合で使ったことが無いし相手だって抜かれないようにがんばっているのだからと言った。

・フェイントは試合で相手に使わなくては絶対に上達しない。

・成功体験の復習としてその日の思い出ドリブルフェイントをボードを使い発表させた。

・試合中に一回はフェイントを使おうと提案した。初めて提案した日に「今日、お父さんが言ったからフェイントして上手く抜けたよ。」と聞いた時は嬉しかったです。

・フェイント練習でなるべく視線を上げるよう指導した。

・フェイント練習の前に今週の重点フェイントを決め練習本を用いて座学してから練習させた。

・相手にボールを奪われたら全力で奪い返す気持ちになれと言った。

小柄なドリブラーは大変です。相手に年中弾き飛ばされているのでした。息子の膝小僧はキズだらけになりました。息子は笑いながら「お父さん、青タンできちゃた。」と足を見せました。

私は「おお、ドリブラーの勲章だな。」と言いながら小さな息子の足を心をこめてマッサージしたのです。



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息子が幼稚園のスクールに入りサッカーを始めて中3まで部活でしていました。幼稚園のスクールでは年何回か大会があり息子は弱弱Bチームでした。

サッカーコーチのスクール生30名をABと2チームの分け方は単純明快で背の高さ順です。したがって息子のBチームが試合前に相手と向き合うとその身長差が歴然としていたのです。
年齢が違うのじゃない。ピッチには相手チームよりひとまわり小さい息子のチームが並んでいたのです。試合開始前にBチームの親御さんは味方のゴール付近に集まります。なぜなら試合はそのほとんどが味方陣内でおこなわれるからです。そして試合中は相手に団子で押し込まれながら失点を繰り返すのでした。

Bチームの親は勝利どころか味方が得点するとも思っていなかったことでしょう。それほど相手との体格、力の差がありました。

でも保護者も馴れたものでそんな中を明るく声を出してBチームを応援したものです。そして予選2試合を大差で負けてお昼のお弁当を食べてBチームは解散し帰宅となりました。

一方強強Aチームは予選を難なく勝ち抜け午後から決勝トーナメントに進み試合をします。Aチームは千葉大会を優勝して東京大会でも優勝してしまうくらい強かったです。

そんな弱弱Bチームの中でも息子は前後半どちらかしか試合に出してもらえませんでした。なので試合が始まる前にピッチを探しても息子は見当たらないことがありました。

そうです息子は2,3人の補欠組みとともにベンチに座っていたのです。

小3の公園での親子練習の休息中に息子はポツリと「ベンチは嫌だ。」とつぶやいたのです。あの幼稚園でのベンチ補欠だったことが脳裏を横切ったのでしょう。

幼稚園の頃の話に戻ります。息子はやっと出れた試合でボールを触れることができません。試合中、妻と私は息子の前にボールが転がってこいと祈るばかりでした。
偶然に息子がボールを触ると妻と「いま、蹴ったよね?」と確認しあいました。息子がたとえ蹴ったところで相手に当たり前にボールは飛びません。だけど妻と二人で蹴った蹴ったと大喜びしたのものです。

試合中に息子が2回ボールに触れれば私たちは満足しお昼のお弁当を一緒に食べながら息子の健闘を称えたのでした。結局、息子のBチームは試合で勝ったことがありませんでした。
それどころか得点を入れたこともありません。

そんな負けるが当たり前の試合でいつものように相手に得点を入れられたボールを味方のゴールから息子が左手に抱えてセンターサークルに戻りながら右袖口で目を拭ったのでした。息子は悔し涙を流したのです。

負けるが当たり前でいつも沢山得点されているどうにもならないこのチームでもやはり悔しいのか。私は息子の涙を拭いた瞬間にそれまで明るく応援していた声をつまらせたのでした。

息子は決して負けるつもりでピッチに立っていたわけではないのです。あの日、勝利を信じてボールを追いかけていたのです。



2017年7月 8日 (土)

新16.パスは禁止とします。その後。

新16.パスは禁止とします。その後。(reboot)

息子が小3の6月18日のことでした。  

サッカースクールの帰り道に私は息子に

「次の試合からパスをすることを禁止する。」と命じたのでした。

理由:息子は来たボールを前方に蹴るだけ。ドリブルをちっともしない。あれだけ親子練習でドリブルに力を入れているのにやらない。 ドリブルをしないからフェイントもしない。フェイントだって毎日練習させている。
試合を観ていた私のハラワタは煮えくりかえった。
今夜は息子を泣かすと心に誓った。今夜まで待てずに帰りの道で怒った。 「パスをするんじゃない!つうか蹴るな小僧。」

ドリブル:1年生の終りから息子は親子練習でジグザグドリブル練習を取り入れていました。
そして2年生の11月からフェイントと高速円周ドリブルも追加して息子はこなしていたのです。

しかしドリブルは実戦で試さなければ絶対に上達しません。特に抜く、かわすのフェイントは間合いのタイミングに相手の状態確認などがあり親子練習だけでの上達は不可能なのです。

息子が試合でドリブルをしなかった理由は推測出来ました。息子は心が弱っちいです。私に似て繊細なのです。そう息子はドリブル突破が出来ずボールを相手に奪われることが怖くなっていたのでした。
体が大柄な子だったら技術が必要なくドリブルで相手を弾き飛ばしながら進めますが小柄な息子は逆に相手に弾き飛ばされました。フェイント技術が上達する前に度重なる失敗からドリブルをしなくなったのです。

ドリブルはサッカーの大きな見せ場です。でも、相手にボールを奪われるとそれだけ目立ちます。味方からは早くパスを出せばよかったのにとコーチからは持ち過ぎと言われるでしょう。したがって心を強くする必要がありました。我慢してパスを出さずに相手に勝負を挑む気持ちをつけなくてはいけません。
息子にはドリブルで相手と勝負してボールを取られたって良い、と言いました。よく観ろ、皆ドリブルを止められているぞ。サッカーはミスするスポーツなんだぞ。ミスを恐れずに挑戦した人だけが上達するんだ。パスは禁止だ。ドリブルをしろ。  

その後:パス禁止令から5カ月経ち禁止令をだす前とその後での息子の得点方法を比較してみたにです。

小1年4月~6月18日までの得点方法

センターリング:48%、ヘディング:4%

ドリブル:18%、押込み:24%、その他:6%

6月18日以降の得点方法

センターリング:37%、ヘディング:3%

ドリブル:31%、押込み:20%、その他:9% 上記のように息子はドリブルでの得点が13ポイント増えたのです。

ちなみに月間平均得点は

小1前期:4.2得点、後期:8.5得点

小2前期:12得点、後期:13.2得点

小3(5月ケガ):8得点、その後:18.2得点

です。ドリブル効果か得点も増えています。

また、得点時のシュートまでの流れにキックフェイント、エラシコ、シザース、切り返して相手を抜くことが多くなりました。

その他

・試合中に必ず一回はフェイントをしようと提案した。(効果有り)

・夏から短距離走スピードアップ練習(ポンピュンラン)を導入した。

・高速円周ドリブルのタイム計測を始めた。

・その日の思い出ドリブルを作戦ボードで発表させた。

・視線を上げてのドリブル練習(旧ボールを見ないドリブル)を標準練習メニューに追加した。

・先日購入したサッカーボールに「メッシになる。」と書いた。

ある日のことです。息子が私に「お父さん、ドリブルって楽しいね。」と言ったのです。私は「去年も聞いたぞ。」とちょいと意地悪く言いました。そうフェイント練習を始めた頃の小2の12月1日に息子は同じことをつぶやいていたのでした。



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このブログは息子のパスを禁止した小3の6月から半年後の姿です。ドリブルの失敗からパス(前方へキック)ばかりを選択していた息子が私との親子練習でドリブラーに変わりました。

息子にはシュート、インサイドキック、リフティング、インステップキック、ドリブルとサッカーの技術と心の壁が訪れました。私はその壁をサッカーの勉強をすることで息子の後押しをして乗り越えさせてきたのです。

息子がサッカーを楽しく続けられたのは私のおかげだと自負しております。そのことを息子に言うことはありませんでした。私の自己満足でよいのです。 そしてまたそんな思いが日本のサッカーに少しでもお役にたてているのではないかとも思っていたのです。ちょっと大げさですね。



新15.自主練メニュー作成へ

新15.自主練メニュー作成へ(reboot)

当時、小3の息子はサッカーの親子練習の後でこう宣言したのです。

息子:「僕、土日のサッカークラブには入らないよ。今のところでやる。中学生になったら考える。」

私:「君が決めたことだから良しとしよう。」

残念な気持ちもありますが息子の決断を尊重します。

我家のお風呂は狭かったです。なので私は1人で入っていたのです。それがいつの間にか妻の陰謀で息子といっしょに入ることになりました。狭い浴槽にぎゅうぎゅう詰めでした。

息子が小3のときのことです。お風呂に息子と浸かりながら。

私:「お前、土日も少年団とかクラブに入ってサッカーやってみないか?」

押し黙る息子。

私:「大会がいっぱいあって色々なチームと戦えるんだぞ。どうだ。」

息子:「平日のクラブなら入る。」

私:「土日は嫌か?」

またも押し黙る息子に。

私:「今日、前々から話しがあったお父さんの転勤が決まったんだ。最低1年間はいっしょに親子サッカー練習が出来なくなるんだ。 その間、君は1人で自主練が出きるかい?休みの日にお母さんに頼んで公園で練習出きるかい?
自分でストップウォッチ押してドリブルのタイム計測をしなくてはいけないよ。 君は親子練習でとっても上手くなったね。せっかく上手くなったのにお父さんがいない間にまた元に戻ってしまうんじゃないかと不安だよ。

だからお父さんは君が土日はどっかのクラブで練習してもらいたいんだ。君の年代はサッカー技術が一番習得出きる時期なだけに親子練習が出来ないことは残念でならないんだ。でもお父さんは将来の君たちのためにもつながるから単身赴任でがんばってくるんだよ。土日のサッカー少年団クラブについては少し考えていてくれよな。」

息子は無言でうなづいたのでした。

私の転勤の一番の悩みが息子との親子サッカー練習でした。当時転勤の話が出てからは息子のサッカーばかりが気がかりとなっていました。
正式に転勤(単身赴任)の内示を受けたので、息子のサッカーの最善の策を練らなくてはならなかったのです。

頭の中で息子は所詮プロ選手にはなれないのだからと言い聞かせました。でも上達したことでサッカーの面白さが増した息子を後押し出来なくなる期間をどの様に最低限のサポートが可能かと悩む日々でした。
息子はなんて面倒なサッカーを選んだかとも思いました。

私の娘は小学生のころは習い事に新体操、スイミング、吹奏楽でクラリネットをしていました。新体操の競技での娘の立ち位置はいつもセンター正面を任されスイミングでは個人混合メドレーで市内小学生大会4位、クラリネットはパートリーダです。親が何も手伝いをしなくても娘はいつもスポットライトを浴びていたのです。

小柄でおとなしい息子のサッカーは違いました。まったくサッカーで活躍出来ませんでした。でも息子が下手だったおかげで私は息子と楽しく親子サッカー練習をすることが出来たのです。 私はいっぱいサッカー勉強もしました。もし息子が普通にサッカーでプレイしていたならばこんないに熱く私はサッカー親子練習をしなかったことでしょう。下手くそサッカーに感謝です。

息子はサッカーが大好きです。息子は今のクラブの仲間とコーチとのサッカーが楽しかったのです。もちろん私との親子練習も大好きに決まってました。そして私は張り切って単身赴任中の息子の自主練メニューを考えたのです。  



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これは私の第一回目の単身赴任が決まった時の話です。でもこの単身赴任は1年間で戻れたのに今回の二回目は4年目に突入となりました。まあ子供達は子離れ親離れの年頃ですから問題ないでしょう。ちなみに妻離れはね。しなくてよいのじゃない。

2017年7月 7日 (金)

新14.アウトフロントドリブル計測

新14.アウトフロントドリブル計測(reboot)

下のタイムは息子の小3の10月12日から19日までのドリブルの計測記録です。

計測方法:マーカーを0.7M毎に6個とその前方5Mに1個置きジクザグドリブルで往復したタイムを記録。

足:アウトフロント

計測回数:1セット(3回)

12日:14.81秒、15.60秒、14.34秒

13日:14.06秒、13.36秒、12.78秒

14日~17日:省略  

18日:14.84秒、14.06秒、12.31秒

18日:12.94秒、12.65秒、13.56秒

18日:12.90秒、12.88秒、12.94秒

18日(夕方):13.38秒、14.03秒、13.94秒

19日:13.72秒、14.09秒、14.34秒

2009年、当時から
「皆さんご心配をおかけしました、すみません。16日に親子練習コーチ失格だとか、自惚れていた自分が嫌になったとか、サッカークラブのコーチからやっとこ息子を褒められて嬉しかったとか、当時ユニクロで買ったジーパンがまったく似合わなかったとか、
ロッジでキャンプが温泉ホテルに宿泊したとか、またもやクリスマスのディズニーが妻と娘でシーかランドでもめていたとか、
私のサイフの残金が5千円をきったとか、牛久大仏の小動物園でリスとたわむれ思いのほか楽しんでしまったとか、
花壇にチューリップの球根を124個家族総出で植えたとか、ワックスがけの途中でワックスが無くなり近所のお店を探したけど手に入らず中途半端に洗車が終りムヤムヤしているとかがありましたが今も私は元気です。」

そんなこんなんで18日の日曜日の早朝練習、ポケモンサンディー、ケロロ軍曹(録画)、ドラゴンボール改、ワンピースをみたあとでお待ちかね朝練のドリブル計測アウトフロントで息子は驚異の12.31秒をたたき出したのでした。

約一週間ぶりに出た好タイムに私はドギマギ。折りたたみイスを用意し息子を座らせました。
そして息子に、「まずは落ち着け(私が落ち着け)このドリブルのコツを君が覚えるためにいまから何度かやる。疲れがとれたら始める。」と言ったのでした。

定着:12.31秒後の息子のアウトフロントタイムを計りました。もしかしたらまぐれだろうか?緊張しながらの計測でした。
ドリブルは12.31秒から同じように好タイムが続きました。ただ12秒台を目指しドリブルする息子にはプレッシャーが相当にかかっていたのです。

いつもと疲労の度合いが目に見えて違いました。したがって、定着ドリブルは2セット(6回)で終りにしたのです。その日の夕方に計測した記録は13秒台と満足のいくタイムでした。次の日のタイムは残念ながら平均13秒台をキープ出来ませんでしたが。

問題:息子はドリブルのアウトフロントにあきました。アウトフロントを中心にしたので
息子:「またアウト?13秒台が出たら終りにするって言ってたのに。」 と反発もしたのです。

しかし私は折角タイムが縮んでいるこの時にアウトフロントドリブルを終りにすべきではないと考えていました。アウトフロントタイム計測後に息子は足の痺れを訴えたのです。なので朝練はこれで中止となりました。この先、嫌々アウトフロントをやっても息子の記録は伸びるのだろうかと悩んだのでした。

練習メニュー:私が手探りで考え実践している息子とのサッカー練習メニューでした。
そのメニューがマンネリ化していました。息子と私お互いにやらされているやらせている感が出始めていたのです。
しかし早朝用、朝練用とも各メニュー内容はどれも基本練習として外すことが出来ず各回数時間変更に留めるだけになっていました。
私は息子のサッカーテックニック上達のための効果的な親子練習メニューを模索し続けたのでした。

この記録12.31秒は私にとって喜びより驚きと戸惑いの気持ちが強かったです。私の親子練習メニューを一生懸命にこなし私を信じている息子はいつか自分で気付くのでしょうか。プロのサッカー選手になれないと気付いた時に私を恨んだのでしょうか。  


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このように息子の得点のジグザグドリブル等のタイム測定の記録に日々一喜一憂していました。
息子のドリブル記録は始めたころからタイムが半分近くになったのですよ。つうか出だしが息子はヘタッピだったのですが。




新13. 親子練習コーチ失格

新13. 親子練習コーチ失格(reboot)

下のタイムは息子の当時小3だった10月12日から16日までのドリブルの測定記録です。

測定方法:マーカーを0.7M毎に6個とその前方5Mに1個置きジクザグドリブルで往復したタイムを記録。

足:アウトフロント  

計測回数:1セット(3回)/日

12日:14.81秒、15.60秒、14.34秒

13日:14.06秒、13.36秒、12.78秒

14日:14.34秒、14.66秒、14.60秒

15日:14.41秒、14.94秒、14.53秒

16日:14.30秒、14.66秒、13.90秒

開始当初23秒台の記録から始まったアウトフロントのドリブルタイム測定は150セット(450回)で14秒台まで縮めていました。
10月12日以前の計測7セット(21回)の平均は14.8秒です。したがってあきらかに13日のタイムは好記録です。とくに3回目は12.78秒と過去最高でありずば抜けた記録です。

私はこの12.78秒記録に喜び息子の写真を記念に撮りました。 浮かれていたのです。この後、いつものようにアウトフロントから左足裏のドリブル計測にうつりその日の計測は終りとしてしまったのです。

そうです、私はとんでもないミスをおかしたのです。13日のアウトフロントドリブルを3回で終りにしてはいけなかったのです。好タイムのドリブル時のフォーム、コツ等を身に付けさせるために何度かアウトフロントでドリブルさせ息子に技術の定着をすべきだったのです。なのに息子と一緒になって好タイムに喜んでドリブルを終りにしてしまいました。痛恨のミスでした。

こんな私は息子のサッカーコーチ失格でした。案の定、この後の3日間は今までどおりの記録に戻っていたのです。

子供の飛躍のチャンスを潰してしまった。残念無念。息子がまた12秒台を出してくれと願うばかりでした。

あの頃の私は親子練習コーチとして自惚れていました。

小3年の夏休みの早朝練習が良かったのかルックアップ(目線を上げ)ドリブル練習のおかげか息子の9月の月間ゴール数は34ゴールでした。 それまでの過去最高月間ゴール数が17ゴールであるのでこの月がいかに沢山ゴール出来たかがわかります。

息子絶好調。私、ウハウハ。笑いが止まりませんでした。

それでね。当時コーチからお迎えの妻が
コーチ:「上手くなりましたね。息子さんならどこのサッカーチームに行ってもそこの監督は大喜びでしょう。」と言われたのです。

小学入学時にAチームの子達には他のクラブや少年団の掛け持ちを勧めたのに私のヘタッピな息子にはそんなお話しはなかった。

トムさんにあの日に訊ねられるまでチームとかクラブとか少年団とかの区別を私は考えたこともなかった。だから息子には休日までサッカークラブに通う必要ないだろうって言ってしまったのでした。

その流れで小3になった今年は近くの少年団に入ると思いや息子は平日のサッカークラブじゃなきゃ嫌って言ったのでした。少年団だったらガキンチョ大会とかいっぱい出られるのに・・・。結局少年団は6年生から入りましたが。

まあ息子はコーチから見てもサッカーが上達したようです。
あ、た、り、ま、え、で、す。もっ、と、早、く、言っ、て、よ、ね。
当時私は夏に見たクラブのサッカーでは息子の悪い点ばかり目がいきました。
どうしてもエースヨウ君と比べてしまいクラブ後はあーだこーだと息子のプレイにいちゃもんをつけて不満をぶつけていたのです。

でもコーチに息子は褒められた。親子練習のおかげで息子はサッカーが上達したのです。こんな私は自惚れたっていいでしょう。

で、12.78秒記録、もったいないお化けでした。後悔。あの時、異様に速かったもんね。12.78秒もうこの先出無いんじゃないかしらと当時思いました。自惚れていた私を突き落とした12.78秒。息子のアウトフロントはなかなか記録が縮まらなかっただけに残念でならなかったのです。

あのコーチがね、小3で息子が上達したって初めて言ってくれたんですよ。子供を褒められれば嬉しくなるのが親ってもんです。

幼稚園のころは試合中にボールを蹴っている姿をほとんど見たことが無かった息子がですよ。今ではパスしてドリブルしてシュートしているのです。
試合中に味方のゴール前でしゃがみこんで真面目にやれとチームメイトに頭を蹴られ、キーパーをやらされるとゴールネットにからまって遊んでいて、暇だとスネあてのスポンジをちぎりハーフタイムに相手のベンチに行ってしまった息子がねコーチに上手くなったって言われたのです。

ハテ?いったい何を延々と書いているかだんだんわからなくなってきました。 したがって、お読みになっている皆さんもなんだかわからないことでしょう。
まあ簡単に言うと、息子がアウトフロントドリブルで12.78秒を出せばいいってことです。そうです、この後の私が息子をしごいてしごいて12秒台を出させたのです。

12秒代を早よ出せ。息子よ。と練習させました。


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この頃が息子との親子練習の絶好調時期だったのです。息子はどんどん上達し試合で得点を重ねるし私は言うこと無しでした。日々の練習が充実していました。
で、調子にのりこのブログとなったのです。毎日、楽しかったな。
いかん、思い出すとまた単身赴任が寂しくなります。

新12.ボールを見るな。ボールを見ろ。

新12.ボールを見るな。ボールを見ろ。(reboot)

見るな見るなと言われて見なかったら「鶴の恩返し」の鶴はどうなったか考えたことはありますか?

ご存じの方はいらっしゃるとおもいますが私は前身の古河電工を含めジェフ千葉でゴールキーパーとして10年ほど所属しておりまたA代表として国際Aマッチにも9回出場した下川選手が好きでした。この下川の苗字は逆さに読むと川下(山本山の要領で)となります。川下とくればちょいと視線を上げれば川上です。

視線を上げる=下を見ない=ボールを見ない。

川上をしっかりと見とけばドンブラコと大きな桃が流れてくるのを見逃しません。桃の中にはキビ団子だけで家来にしてしまう費用対効果がとても上手い桃太郎が潜んでいます。
犬猿雉はキビ団子で家来になって一緒に鬼退治。一説には鬼に対する恐怖心をキビ団子を粉末にしてのりP夫妻からもらった白い粉をまぜ火であぶって吸引したり液状にして動脈注射したりして克服したりしたそうですが犬、猿、雉は偉いです。
もち鬼ヶ島にはこれまたのりP夫妻にもらったサーフボードでね。

さて、昔話と言えばお次は「浦島太郎」です。私は高校の文化祭で浦島太郎の亀をいじめる村の子供役でした。ガツンガツンと釣竿で突っつくと会場が多いに沸きました。特にダンボールの甲羅以外を突っつき亀をいたぶると受けたのです。
これは完全に私のアドリブでした。劇の練習では釣竿を持って亀をただ回るだけだったのです。その後しばらく亀役のクラスメートと目をあわすことが出来ませんでした。

目をあわさない=ボールを見ない。

そして時代は「鶴の恩返し」です。ここで私は過去に見知らぬ動物を助けた事があるかを思い出してみました。目線を上げて記憶を引き出します。

目線を上げる=上を見る=ボールを見ない。

残念ながらまったく無し。私は畜生救出経験ゼロ。でした。では、範囲を広げて若い女性を助けたことはあるのでしょうか。

またも目線を上げる=上を見る=ボールを見ない。

これまた無し。まあ世の中、わなに引っ掛る女性は少ないのでしょう。

さて、このままではらちがあかないので私の趣味を一つ。
私の趣味は「デパートやスーパーとかで迷子の子供を保護して近くの店員や係員に預ける。」です。
一人で泣いている子供を見つけるとしばらく様子を見ます。近くに親がいたりして叱れているだけの場合は声を子供にかけると後でバツが悪くなるからです。十分その子供が迷子だと確信出来たら行動に移します。優しい言葉に励ましをしながら子供を係員に誘導するのです。
なんの見返りはありません。一度だけ偶然に「赤チャン本舗」で保護した子供がお母さんと再会したシーンを目撃しました。「あなたが連れていかれたかと心配したのよ。」とお母さんも泣いていました。思わず私ももらい泣きです。泣いている子供を保護してよかった。
こうして私はたえず迷子を捜している「迷子ハンター」なのです。

迷子の子供を見つける=目線を下げる=ボールを見る。

ドリブル中は目線を下げてボールを見てはいけませんか?

ボールを見ないお話しその2。

私:「Jリーガとかの一流選手は試合中に一回もボールを見ないんだぞ。」

息子:「うそつき。」

ボールを見ないでシュートのお話し。

親子練習のためのサッカーの勉強中にある疑問が私にはわいたのです。息子がシュートの時はいったいどこを見て蹴ればよいのかです。ゴール?キーパー?ボール?それぞれ考えてみます。

ゴールを見る:ゴールは動かないので場所を覚えたら見なくてよさそうです。記憶力がよいプレーヤーならば試合開始直後にゴールを一度見ればすみそうです。

キーパーを見る:試合中キーパーはゴールの右や左、前後とあっちこっちに移動します。キーパーのいない場所にシュートしなくてはなりません。しかしキーパーを見る=ボールを見ないってことです。

ボールを見る:これまたPK以外はボールはたえず動いております。したがってボールを見ないでちゃんとゴールにシュート出来るのでしょうか。

キーパーを見るかボールを見るかで悩みましたが息子の練習はボールを見てシュートにしました。息子との親子練習でインステップの練習を続けても中々精度が上がらないのです。

以前読んだ「サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法/池上正著」ではどうもボールは見ないでシュートをした方が良いような記述があり悩みました。しかしボールを見て蹴っても上手く飛ばないじゃあ見ないで蹴らすわけにはいきません。
で、年中私は息子に「しっかりボールを見て蹴るんだ。」と口がすっぱくなるほど言い続けたのです。

息子が小3の3月28日のことでした。たまたま親子練習の時に息子をデジカメで撮ったのです。その一枚に息子のキックフォームの目線が写っていました。写真の息子はキック時に目線が完璧にボールをとらえていたのでした。

私:「良くボールを見ているな。」

息子:「だからいつもボールを見て蹴っていると言っているでしょう。」

私は息子に謝罪して完璧にボールを見て美しいキックシーンの写真に二人して喜んだのでした。このキックフォームは写真タテに飾りました。

この先、時と場合にもよるでしょうが我家の親子練習では「ボールを良く見て蹴る。」を基本としていたのです。  


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先日のイオンモール広島府中店でのことです。迷子らしい男の子を発見。しばらく私は後をついて行きました。

そろそろ近くの店員に男の子を引き渡そうかとしたときにです。走り出す子供。前方から女性。様子を見る私。やはり女性はその子のお母さんだったのです。 さてと無事に男の子はお母さんに会えたので私のお役目は終わりです。良かった。良かった。
ふとこのお母さんと目が合いました。するとお母さんは私にお辞儀をしたのです。
ああ、私が男の子を見守っていたことに気付いたのです。私も軽くお辞儀をし方向転換してその場を立ち去ったのでした。 でもあやしい人と思われていないかちょっと心配しました。
あいかわらず私の趣味は迷子ハンターなのです。


2017年7月 6日 (木)

新11.練習試合ってなんなのでしょうか?

新11.練習試合ってなんなのでしょうか?(reboot)

「キツネザル」は狐ではなくて狐に似た猿です。

では、練習試合ってなんなのでしょうか?

ちなみにネットの辞書で調べると

練習:技能・学問などが上達するように繰り返して習うこと。

試合:スポーツ・武術などの技を比べ合い勝敗を競うこと。

練習試合:国語辞書検索で該当する情報は見つかりません。

でした。

当時テレビ観戦したサッカー日本対ガー戦は息子と多いに盛り上がりました。日本の得点のたびに抱き合い日本勝利の瞬間は息子とハイタッチです。こうして楽しんだガーナ戦は親善試合であるので公式戦です。でも一般的にはW杯までの練習試合だそうです。

試合と練習試合とは何が違うのでしょうか?練習試合と呼ばれるとなんとなく安っぽく感じられます。練習試合では選手は手を抜くのでしょうか?監督は勝利にこだわらなくなりますか?試合は選手の練習ですか?
負けても練習試合だからと言い訳し勝っても所詮練習試合だけれどと謙遜します。私は日本が負けたオランダ戦は悔しかったしガーナ戦は心から嬉しかったです。

練習試合って言葉は昔からあったのでしょうか?私が子供の頃は仲間内で野球の試合を楽しみ野球チームでもこれまたどこかのチームと野球の試合です。
私は野球で練習試合を意識して試合をしたことがありません。

最近は世の中練習試合が花盛りです。そして公式試合ってのが権威を振りかざしています。人数の多いチームでは公式戦に出られない子供が出るのが練習試合だそうです。練習試合は練習だからと言って試合中コーチがタイムをかけて蹴り方とか子供に指導しているわけではありません。練習試合での子供達はがんばっていないのでしょうか?

私はサッカーの練習も試合も好きですが練習試合って言葉が嫌いでした。  



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ああ、当時このブログのせいで「練習試合」を私はこの先ブログで使えなくなったのです。今では練習試合の言葉に嫌いとか特別な思いはありません。

練習試合=戦術や選手などを色々とためしながら勝利を目指す。
ですね。



新10.ペナルティーキック

新10.ペナルティーキック(reboot)

息子が小3の8月のことでした。私と息子がスクールに早目にお邪魔してグランドでサッカーをしているとチームのエースヨウ君が現れたのです。

グランドには3人だけです。私はヨウ君に「おじさんは、小学校でゴールキーパーだったんだぞ。PK(ペナルティーキック)をしないか?」と持ちかけたのです。

こうして、キーパーの私とキッカーのヨウ君、息子とのPK対決が始まったのでした。

さすがのヨウ君。小学3年生とは思えないほどシュートのボールは恐ろしく速かったです。しかしコースが子供の身長では捕りにくい高さですが私には手を伸ばすと丁度良いところに飛んできます。ヨウ君のシュートを私はキャッチやパンチングでクリーヤしたのでした。

続く息子のシュートも超本気モードの私はボールをガンガン弾き飛ばしました。

大人気なかろうがゴールキーパーをやる限りシュートは意地でも止めてみせますとも。私の心は小学6年4組の正ゴールキーパーだったのですから。

今回のPK対決のゴール結果です。ヨウ君0本。ヨウ君はゴールできない焦りからキックを強くしたのでした。シュートはゴールの枠を捉えられなくなっていったのでした。

息子は私から2本ゴールしました。PKで息子はゴール左右の下をグランダーのボールで狙って丁寧にシュートしてきたのです。昔の私だったら固い土のグランドでもダイビングキャッチができたのに手が出せず息子にゴールをゆるしてしまいました。マジくやしい。でも嬉しい。

PKの対決はたまたまでしょうがエースヨウ君に我家の勝利で終わりました。幼稚園のダントツの運動能力でAチーム(強強チームキャプテン)のヨウ君に出ると負けBチーム(弱弱チーム前後半どっちかベンチ)の息子が勝ちました。これって不思議なもんなんですよ。

このPK対決からしばらくした日のことです。

ドリブルでゴール前にせまった息子は相手キーパーから足にチャージを受けPKを獲得しました。そのPKのキックを息子はゴール左下にグランダーで決めたそうです。
私が「PK緊張しただろ。」と聞くと
「うん、緊張した。でもヨウ君はできなかったけど僕はPKでお父さんからゴールできたんだから。」と言ったのでした。


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息子が幼稚園で一緒だったヨウ君。小学校に入ってもサッカーチームは継続したけど小学校は別々でした。で、ヨウ君はサッカーチームと少年団を掛け持ちしていて小4でチームを止めたのです。それから同じ中学でしたが息子は部活でヨウ君はサッカークラブでした。

でもお互いの休みの日は公園で皆とサッカーを楽しんでいたのです。 ヨウ君は幼稚園のころから断トツでサッカーが上手かったです。私はこんな子がプロ選手になるんだろうなと常々思っていました。さて、ヨウ君は果たしてプロ選手になれるでしょうか?私の楽しみの一つです。




新9.リフティング251円也

新9.リフティング251円也(reboot)

小3の8月の息子のリフティング。  

息子は小3の夏休みに左右交互インステップリフティングの連続回数251回を達成したのです。200回越えはこの夏休み中の目標の一つでした。  

当時の記録

8月22日:108回、23日:142回、24日:156回  

25日:186回、26日:休み、27日:177回 28日:251回

200回越えで9月から息子に実施させたこと  

リフティング中に5の倍数で利き足の左インサイドを入れる。  

リフティングが目出度く200回越えて嬉しかったですよ。  


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この後、私は息子にはリフティング連続回数は学年×100を目指せって言いました。
しかし4年生で400回を越えたときにその後は記録を伸ばすことを止めてしまったのです。まあ、ここまでリフティングが出来ればチームでも多い方だしよしとしたのでした。

2017年7月 5日 (水)

新8.ボールを見ないでドリブル

新8.ボールを見ないでドリブル(reboot)

当時小3の息子に私は
私:「息子よ、これからはボールを見ないでドリブルをするんだぞ。」
息子:「わかったよ、お父さん。僕ボールを見ないでドリブルするよ。」
この日から息子はボールを見ないでドリブルするようになりました。
めでたしめでたし。なんて簡単にはいきませんでした。

私が小学校の時の思い出です。体育の授業でサッカーの試合をしました。私は右サイドをドリブルで独走していたのです。すると後方から畳屋の子にスライディングされてぶっ転ろんだのです。
その時、チームメイトに「パスをだせばよかったのに。」と言われました。私には無理です。なぜならドリブル中はボールしか見えていないからです。

小3のある日の息子の試合を観ると息子はその時右サイドからゴールに平行にドリブルしディフェンダーをかわしてゴール正面まできました。あれあれ、ここで息子はシュートを打たずにそのまま左サイドまでゴールを横切ってドリブルしたのです。けっこう笑えました。息子はドリブル中に周りが見えていなかったのです。

1年生の3学期から始めた息子のドリブル練習です。ジグザグドリブルの計測は23秒から12秒台にタイムを縮めました。息子のドリブルはしっかりと上達したのです。しかし正確なドリブルでタイムを縮めるためにドリブル中はボールをガン見していました。この練習では周りを見ながらのドリブルは期待出来ません。

さて、サッカーでボールを見ないでドリブルすることは果たして可能なのでしょうか?サッカー未経験の私には不可能に思えてなりませんでした。そこであれこれ考えてみたのです。

・バスケットボールなら私もそこそこボールを見ないで床につきながらドリブル出来ます。手に比べて困難ですが足でも出きるのではないでしょうか。

・机の上で手元を見ないで5円玉を連続で弾いてみました。わりと上手く出きました。・息子は難しかったリフティングもなんとかなりました。見ないでドリブルだって練習しだいで出きるようになると信じます。

・しかし本当にプロ選手はドリブル中にまったくボールを見ていないのでしょうか?内緒で見ているとか間接視野でいつもぼんやりとボールを見ているのではないだろうか?

・医学が進歩すれば足の膝に目を移植してドリブル中にばっちりボールが見られるようになるでしょう。

・アウトフロント部を粘着力ある素材にしてドリブル中に足からボールが離れにくいシューズを開発する。

・極端な前傾姿勢で顔を地面に近づけてドリブルする。ノートルダムのせむし男スタイルです。これはどうなんでしょう。

息子のボールを見ないでドリブルの練習方法と練習機器の紹介は後日となります。


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この頃の私は毎日サッカーのことばかりを考えていました。図書館のサッカー関係の本は全て借りました。もちろん本屋さんで購入もしました。なにしろネットでサッカー関係の単語を入れて検索です。
その時自分のブログが検索にかかることもありました。
私は根っからのおたく気質でサッカー練習方法にのめりこんだのです。息子の部活のコーチより私の方が間違いなくサッカー練習について上手です。まあ私の指導は息子限定でしたが。



2017年7月 4日 (火)

新7.オフサイドになれ。

新7.オフサイドになれ。(reboot)

私が小学6年生だったクラス対抗球技大会での思い出です。
私の4組は運動能力が高い子が多く何チームかに分かれたどのチームもポートボール(ミニバスケットボール)の試合で他のクラスのチームに負けるわけがないと思われていました。
1試合目でのことです。クラスの一番強いチームがあっさりと3組に負けてしまったのです。
その3組のチームは相手のゴール前に味方のジュン君をひとり残し奪ったボールをロングパスしてジュン君にフリーでシュートさせる戦法でした。

次に対戦した私のチームも同じくジュン君にゴールを決められ得点を離されていったのです。試合の審判はクラスの担任でした。その担任が試合中に私を睨んだのです。
そして担任は私と目を合わせた後にゴール前にいるジュン君に目線を移したのでした。
審判中の担任は目線だけで何も言いませんでしたが私は瞬時に悟ったのです。 すぐに私はジュン君へのロングパスをカット出きるギリギリの地点にポジションを取りました。

その後、私は相手のロングパスをことごとくカットし続けたのです。カットしたボールをドリブルし前線の味方にパスを出しまたポジションに戻ります。
私は名ゴールキーパーです。ロングボールのとりあいでジュン君に負けるわけがありません。

試合は同点に追いつき逆転をして今度は私達のチームが得点で離していきました。
試合の終盤でジュン君は泣きそうな声でもう投げるなと叫んだのでした。 でも相手チームは戦法が通用しなくなった後もなすすべもなく虚しくロングパスを投げ続けたのでした。

オフサイドのルールを検索し調べると必ずや「待伏せで汚い。」、「紳士的でない。」、「ずるい。」などの言葉が並びます。果たしてそうでしょうか?
ジュン君のチームがずるいなんて思いませんでした。お互いに同じルールで戦っていたのです。待伏せの対策を取ればいいことです。

次にオフサイドルールがないとやっても見てもつまらないとかの意見があります。これもおかしな話しです。オフサイドルールが無かった時でも息子は楽しくサッカーの試合をしていましたし観戦していた私は息子のプレーを楽しむことが出来ました。

息子が小学3年の6月のある夜のことでした。布団の中で息子が、

息子:「お父さん、オフサイドルールになったよ。」とつぶやいたのです。

とうとうこの日がやって来たのかというおもいで私は、

私:「お前、オフサイドのルールはわかっているかい?」と聞くと

息子は「わかるよ。」と言ったのでした。 息子のプレイスタイルは「相手のゴール前でパスとか転がってくるボールを蹴りこむ。」です。

これはオフサイドポジションにいることが多いです。

オフサイドルールの適用から息子の得点がピタリと止まりました。

試合中、息子はオフサイドになっていたのです。

私が息子の試合を観戦すると案の定息子は前方にいませんでした。オフサイドに掛かるのが怖くて前に行けないのです。

オフサイドルールの説明。

お手製の作戦ボードにカラーマグネットを並べてここにいてパスをもらうとオフサイドになると息子に説明すると「ああ、僕だ。」と言ったのです。

私は説明の中でオフサイドは一般に「卑怯な待伏せ」をさせないためのルールだと言った後で
「ゴール前にいる事が卑怯とかは嘘っぱちだ。相手チームも同じルールで試合していたのだから。それに相手のゴール前は辛かったよな。ディフェンダーに弾き飛ばされていたのよな。
今までの君の得点は立派な得点だ。オフサイドルールがあったとかなかったとかは関係ないぞ。同じルールで試合してゴールしたんだからな。

オフサイドルールはこのディフェンダーひとりと勝負しましょうってだけのことだ。ボールの追いかけっことドリブル突破っだ。どっちも君は上手くなっているぞ。試合でどんどん試せ。

オフサイドは反則じゃあない。オフサイドでイエローもレッドカードも出ない。オフサイドになるってことはシュートがゴールラインを越えて相手ボールになるのと同じだ。相手ディフェンダーと勝負してオフサイドになれ。オフサイドは勝負した結果だ。
ACミランのインザーギは一試合で何回もオフサイドになるんだぞ。君もオフサイドになっていいんだ。」

息子が小3の大会でのことでした。

左サイドのフォワードで2試合先発フル出場した息子はオフサイドルールで相手ディフェンダーを良く見てポジションをとりプレーしていました。そして息子は1試合目は追加点を2試合目は先制点をゴールしたのです。

そのゴールの後に小走りでセンターサークルに戻るチームの小さなストライカーを仲間は肩をたたき握手をして迎えていたのでした。  


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サッカーのルールの中で何か難解であるかと言えばオフサイドにつきます。世間一般の人でどれだけオフサイドのルールを理解されているでしょうか。
テレビで日本代表の試合を観戦していてゴールが決まったと思った瞬間、オフサイドでゴールが無効になる。なぜ?と思っている人も多いことでしょう。 よくサッカーをご存知の方も「戻りオフサイド」は知らない人もいることでしょう。

で、息子は私と手作り作戦ボードでオフサイドを勉強しました。
結果、チームメイトの中でも息子はオフサイドルールを理解していたのでポジショニングが良く取れるようになりまた前線に貼れ得点をすることが出来るようになったのです。
中学では息子は紅白戦とかでよく線審をしていました。これも私と一緒にオフサイドルールを勉強していたからです。




新6.作戦ボード

新6.作戦ボード(reboot)  

息子が小3の一学期に作戦ボードを作成しました。  

100円ショップでの購入品。  

ホワイトボード:300円  

マグネット3種類:300円  

ペン2種類:200円  

ボードケシ:100円  

サッカーボールマグネット4個:400円(値段を聞いて女性店員に「高いぞ!」と言いました。)

400円以下で買えるけど借りちゃった。

罫線テープ:借用

息子のサッカーの試合が「オフサイド」ルールの適用を始めたので一緒に勉強するために作戦ボードの購入を思い立ったのです。
で、ネットで調べると5千円前後でした。送料とか振込手数料を入れると6千円です。私はお小遣い前で財布は軽かったです。息子にとってありがたみが増すには手作りでしょう。罫線テープを貼っただけだけど立派な作戦ボードが出来ました。

では、ボードのおかげで

・なにしろ「オフサイド」についての説明がしやすい。結構色々とあるのですよ。  

・その日の得点経過はまずボードで息子に説明させた。  

・試合での印象的なプレー(ドリブル突破)などをボードで再現させた。  

・チームのホーメーションと各人のポジションを勝手に並べてあれこれ親子で討論した。

・息子に望むプレーをボード上で語った。
「バルセロナのメッシは左足でドリブルして右サイドからゴール方向に切れ込むんだ。」なんてマグネットを動かし言いました。

・息子はマグネットボールを指で弾いてゴールして遊びました。  

息子は「お父さん、横からのセンターリングってオフサイド?」って聞いてきたのです。
「よしよし、教えたるぞ。」と私はボードにマグネットを並べたのでした。  


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この作戦ボードは私の手作り製作品の一つです。とここまで書いて他に手作り品があったかといえばインステップ得点ロープくらいでした。
あっ、ドリブル顔上げ君もありました。

まあ作戦ボードは大活躍。間違いなく息子のサッカー知識技術アップと親子のコミュニケーションをはかることができたのです。
数年前まで息子のベットに作戦ボードが架かっていました。

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2017年7月 3日 (月)

新5.私は練習が大嫌いでした。

新5.私は練習が大嫌いでした。(reboot)

私は練習が大嫌いでした。

なぜならその競技が好きなのは練習ではなくて試合が楽しいからです。したがって試合をせずに練習ばかりやっている部活に険悪感さえ持っていました。

私が野球チームに所属していた頃も練習には余り参加しませんでした。子供の頃から草野球をしていた私は試合に顔をだせばそこそこ活躍出来ていたからです。また練習してもっと上手くなりたいなんて思ったことがありませんでした。そうです私は、「試合に勝る上達は無い。」と考えていたのです。

こんな私の息子は幼稚園の年中からスクールに入りサッカーを始めたのです。 練習嫌いの私です。息子といっしょにサッカー練習をするわけがありません。
こうして息子をほったらかしにしていたところ試合中にボールを触ることが出来ないくらいの下手っぴレベルで幼稚園サッカーを2年間過ごしたのでした。

当時、練習嫌いな私が息子とサッカー練習をしなかった他の理由です。

・息子のサッカーは体力作りのためであり上手くする必要はない。
・小柄で気弱な息子にサッカーはむいていない。
・私にはサッカー知識も技術も無かった。
・お母さん子の息子はいつも母親にべったりひっついていて私にはなついていなかった。

私のした野球と息子のサッカーとの競技の違いです。

野球チームで1番バッターが塁に出ると2番バッターの器用な私は盗塁を助けたりライト打ちをしたりです。ホームランだって打ちました。
野球は必ず打順が回って来ます。落下地点の予測に優れていた私の守備位置はレフトです。外野の守備についていればボールが飛んできます。
こうして野球は試合に出れば必ず打てて守れて楽しめます。

でも息子の始めたサッカーは違いました。ボールを蹴っているのは一部の子だけのようです。息子は試合中まったくボールを蹴っていません。いやボールに触ることさえ出来ませんでした。

当時の私の気持ち

息子よ試合中にボールを蹴れずにいていったいサッカーのどこが楽しいのか教えてくれ。

息子が幼稚園年長のお盆の帰省でのことでした。親戚一同の前でけなげに風船でリフティングを披露していた息子はじいちゃんに
じいちゃん:「サッカーはやめろ。野球をしろ。」
と言われたのです。
日頃は温厚な私ですがビールの酔いも手伝い親父に
私:「孫が一生懸命にサッカーをやっているのにやめろとはなにごとだ。」 とぶち切れたのです。

しかし私の頭の中では後半年で息子のサッカーは終りだけれどもと思ってもいたのでした。
ちなみにこのぶち切れた私を見た息子はどのような心理が働いたのか嬉しいことに私になつくようになったのです。(ぶち切れた後に私のひざの上に息子は始めてのりました。)

ぶち切れてから半年が経ち息子が幼稚園の卒園を迎えサッカースクールも終りと考えていたのに私の思惑は外れまれたのです。
何をとちくるったのか小僧はサッカーを続けたいとぬかしたのでした。

ここまでのあらすじ

幼稚園から始めたサッカーだけど超下手なのに小学校に入学してもサッカーを続けると言った息子のサッカーは入学しただけでは下手のままチーム一番のちびっ子でその年の夏は「恐竜展」や「日テレこんにちわっしょい」や「お台場ガンダム」に行ったのでお金が無いからキャンプは無理と妻に今朝言われて不機嫌になった私でした。

練習嫌いだった私の話に戻ります。つうかキャンプ代を私が出せばよかったのです。

ではここで私があの頃に息子との親子練習で練習について悟ったことを一言で言います。
「サッカーが上手くなるための技術向上練習は辛くない。また辛い練習をしてはいけない。したがって練習は楽しい。」です。

どうも私の練習のイメージとは体を酷使し汗をかきへとへとになるまでがんばらなくてはいけないとの思い込みがありました。 辛い分だけ上手くなると言われていましたし。
涙の数だけ強くなれるそうですし。
しかし親子練習を続けてきた結果、私の練習に対する考えが改まりました。
練習に対する私の基本的な考えは

「辛い中での練習では技術の向上には効率が悪い。」

「練習は集中して行う。だらだらと長時間やるのは無駄。」

「練習は技術の向上と体力作りと分けて行う。」

「体力作りだけそのつど負荷を高め練習をする。(これだけ体に辛い。)」です。

つまり夏の時期、親子練習では暑い日中は技術系練習をしない。疲労したら回復してから練習を再開する。足が痛む等の身体に違和感を生じたら練習をやめる。スポーツ飲料を十分に接収する。としていました。

もちろん息子は練習中に汗をかき疲労もしました。
しかし息子の状態が悪くなってまでの練習は継続しませんでした。

練習は罰ゲームではありません。上手くなるのが目的です。良い状態での練習でなくては技術の向上が出来ないので時間の無駄です。また練習は暇つぶしでもありません。
ましては息子をしごいて泣かす私のストレス発散では無かったのです。たまに泣かしましたが。
体力作りはランニングとダッシュとかにして別メニューとしました。
そうです。親子練習は楽しくなくてはいけないのです。

以前、早朝親子練習の後に息子に聞きました。

「おい、お父さんとのサッカー練習は楽しいか?」

息子「たまに楽しい。」

なんだよ、ブログで練習は楽しいって書いちゃったんだから「たまに」はいらんだろ。

私「じゃあ、たまに練習しようか?」

息子「たまにのたまにじゃ楽しくなくなるよ。」

あらそうですか。

お父さんはサッカーの勉強をして親子練習メニューを考えていたんだ。君との親子練習はいつも楽しかったよ。
そして練習が大好きになったんだぞ。

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部活の罰則で走らす。練習メニューが思いつかないから走らす。まあ、体力付けという大義名分があるからコーチは部員を何かあると走らす。
中学時代の息子と高校時代の娘がまったく同じ処遇を受けてたのです。
娘なんかテニス部なのに一日コーチに命じられて走っていたのです。
当時、まったく上手くなる気がしないと娘は言っていました。

1年を過ぎて娘の同級生は何人も部を離れたのです。折角テニス部に決めたのに。娘の親友も心と体の疲労でテニス部を去りました。
親友が辞めたあとでコーチから娘は「あなたも辞めないと」と言われたそうです。娘はそんなコーチに負けたと思われるのが嫌だから部活を続けると言ったのです。

娘は中学時代にコーチの厳しい指導で休みなく部活をしていましたが文句は言いませんでした。高校時代は部活の愚痴ばかりでした。ソフトテニスは好きだけどハードテニスは嫌いと娘は言っていました。


新4.息子の夏休み練習メニュー

新4.息子の夏休み練習メニュー(reboot)

当時、小学3年生の息子の夏休みサッカー練習メニューを公開しちゃいます。

早朝メニュー

・準備体操をしっかりと。

・R5,R10大回り:半径5M,10Mの円周をトップスピードを出すイメージで右回り左回り各5本ドリブルする。大回りでフェイントを入れながら一周する。

・R5,R10ドリブル計測:右回りと左回りのR5は一周、R10は半周のタイムを計測する。
・ボデコン:支柱を相手に手と腰を使い左右から5回体を入れる。

・キープ:攻守を代えて1分間ボールをキープする。

・リフティング:私が指定した回数以上を連続で達成出きるまでやる。

・PK対決:ゴール幅5M距離8M(私は11M)で10本決まるまでインステップでシュートする。

・ポンピュンラン:短距離走スピードアップ練習。

・シャランラン:ドリブルパスをしながら往復2本。最後にシュート。

朝練メニュー

・ドリブル:.マーカーを0.7M毎に6個とその前方5Mに1個置きジクザグに行う。足は左、右、イン、アウト、足裏を1セットして2セット行う。

・ドリブル計測:ジグザグドリブルの右足ノミとイン側のタイムを各3回計測する。

・短距離計測:直線距離32Mのタイム計測。20Mのターン有りのタイム計測。

・ワントラップパス(5回):私の意地悪パスも混ぜる。

・トラップ180度回転(5回):トムさんのDVDの回転技を入れる。

・パスパス交換(連続30回):左右インアウトと使い分けながらダイレクトでパスを行う。私の掲げた右手のじゃんけんを出す。

・ロンパス(3回):インサイドでのロングパス。

・前トラドリパス(3回):前進してトラップしてドリブルしてパスを出す。

・スルーパス反応(3回):スルーパスからドリブルに移行。 時間が余ったら

・スローイン処理(3回):頭上を越えたボールを追いかけトラップしドリブルパス。

・ロン球処理(3回):放り上げたボールをトラップする。

・藤スペシャル(5回):私が投げたボールをインサイドダイレクトで返す。

・トントン(5回):私が投げたボールを1回リフティングして返す。

夕方自主練

・ラダー:6種類2セット。

・リフティング:15分。

・フェイント:マーカーを置いてキックフェイント、シザース、マシューズ、エラシコ、股抜きの往復を各4回で2セット。

小3の夏休み中、息子は上記練習メニューを毎日やっていました。



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早朝メニューは早起きおして自転車の後ろに息子を乗せて公園でやりました。
6時半の町内ラジオ体操にも参加したのです。そして私が出社前に路地での朝練が親子練習の日課でした。どうです。すごいですか。サッカー技術が上達しないわけがありませんでした。




2017年7月 2日 (日)

新3.リフティング記録

新3.リフティング記録(reboot)

体格、体力、運動能力、運動神経に恵まれず性格もおとなしく闘争本能も持ち合わせずまったく試合で活躍出来ないのになぜかサッカーをすることが大好きなお子様をお持ちの親御さんの皆様、朗報です。

小学3年生で体格、体力、運動能力、運動神経に恵まれず性格もおとなしく闘争本能も持ち合わせずまったく試合で活躍出来なかったのにサッカーをすることが大好きな我が息子の左右交互インステップリフティングの連続回数が悲願の100回を突破したのです。

左右交互インステップリフティングの連続回数記録

平成21年8月10日(月)18:30

小学3年生

連続回数:112回

このように息子は小2の11月5日(水)に利き足の左足で100回越えから左右交互リフティング練習に変えて交互100回越えに9か月かかりました。

体格、体力、運動能力、運動神経に恵まれている子は安々と100回なんて越えることでしょう。

でも、我が息子はそうは問屋がゆるしませんでした。 その年の夏休みに入ってから息子に発破を掛けていましたがなかなか連続記録の更新が出来ません。ヤキモキ。区切りの100回をはよ越えろと。

で、当時息子にリフティングでさせたことです。

・その日の最高記録をノートに書かせた。

・その日の最高記録に1回を1円で賞金とした。(連続50回は50円)

・早朝練習で親子リフティング対決をした。(私が勝てるわけはないが)

・自主練は15分間(キッチンタイマ使用)とし集中して練習させた。

息子の記録は交互で100回を越えましたが、この夏休みの息子の目標の一つに「常にリフティングを交互で連続100回出来る」がありました。常に連続100回出来るためには最高記録が200回いかなくてはなりません。(だいたい最高回数÷2が常に連続出来る回数でした。)

幼稚園年長だったころはゴム風船でリフティングしていた息子。小2の8月10日は左足で最高38回でした。息子にとって左右交互インステップリフティングの連続回数112回は通過点に過ぎないのでしょうがいつでも100回を目指してがんばっていったのです。


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中2の息子のポジションは左サイドバックでした。インテルの長友選手と一緒でした。

長友選手にある体力とスピードを息子は持ち合わせていませんでした。身長が低いので相手ゴールでのセットプレーではゴール前にいられません。これでは息子は得点が出来ませんでした。

当時、私が帰省した日曜日の対外試合でそんな息子が1点入れたのです。ドリブルで駆け上がり相手DFをかわしシュートしたそうです。単身赴任から帰宅した私に息子は得点のプレゼントをしてくれました。今では得点記録をつけていませんが私の心のノートにこの得点を書き込んだのでした。



新2.オシム氏へ

新2.オシム氏へ(reboot)

息子が幼稚園のクラブ活動でサッカーを始めた年中の4月17日。
家族でFC東京対ジェフ千葉のサテライト(2軍)の試合を江戸川区陸上競技場まで観戦に行った日のことです。

ジェフの応援のためアウェー側メインスタンドに座った私たちの右後方わずか3m位の場所に大柄な外人が座っていました。
当時ジェフの監督のオシム氏(元日本代表監督)がスタッフと観戦していたのです。

生オシム氏に会えたドキドキの私は試合中に幾度も頭の中で繰り返しました。
「息子が今年からサッカーを始めました。将来ジェフでプレー出来る様、親子で練習してがんばっています。オシム監督、宜しくお願いします。」と言いたかったのです。
でも威厳に圧倒されて勇気無しの私は最後まで言い出せなかったのでした。

私は果たしてオシム氏の威厳で挨拶出来なかったのでしょうか。
私はオシム監督に
「息子をジェフの選手にするためにがんばっています。」なんてウソは言えません。
当時、息子のサッカーはコーチにおまかせで私は一切関わっていなかったからです。

息子が幼稚園児のころはサッカーの練習をしなかった私はその数年後の小3の夏休みは早朝練習しシャワーを一緒に浴び朝食の後の出社前に一連の親子練習が日課となりました。私が出社後に息子は一人で日中にラダー、リフティング、フェイントを練習でした。

オシム氏へ

「息子はサッカーが大好きでした。将来ジェフでプレー出来る様、練習してがんばっていました。」

オシム氏の教え通り、息子は最後まであきらめずに走るようになったのでしょう。


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オシム氏は名監督でした。ジェフはヤマザキナビスコカップ2連覇したしリーグ優勝狙える位置までチームを強化していた。で、日本代表監督になって倒れてしまったのです。
残念でした。オシムの息子がジェフの監督に就任したけで駄目駄目でした。
オシム氏は名言もいっぱいあります。時々メディアで見かけると元気な姿に嬉しく思います。我家はオシム氏のファンです。今でも彼の名前が家族の会話で出てきます。偉大な監督でした。



新1.パスは禁止とします。

新1.パスは禁止とします。(reboot)

小3のサッカースクールの帰り道に息子に言いました。
私:「次の試合からパスをすることを禁止する。」
息子は突然のことで驚いたのです。
「いいかこれからは試合中にパスなんかするな。て言うかお前のパスは前方にキックだろう。みんながドリブルで突破をしようとしているのにお前だけ敵がきたらすぐにキックで逃げている。たまたま味方に渡るとナイスパスになっているだけじゃないか。
なんの為に毎日フェイントの練習をしているんだ。試合で試さなくては上手くならないだろう。」

私は続けます。
「なぜにお前はオフサイドにならない。ゴールしたいんじゃないのか。前に行かなきゃ駄目だろう。」
私は試合中の息子が守備をしていることが多く唖然としたのでした。

「あとPK練習でキーパーの正面ばっかり蹴りやがって。コースを狙えよ。」
これには息子が反発しました。
息子:「そんなことない。ちゃんとねらっている。」
泣かすぞ小僧。
「何を言う。俺が見た限りほぼ正面ばっかだった。お前はどこにボールが行ったか忘れるほどバカか。どこを狙ったらキーパーの正面ばかりいくのか。何のため毎日PK練習をしているのか考えろ。」

涙目息子。追い討ちを掛ける私。
「それに味方のゴール前で寝そべりやがって。1年生の時言っただろ。ボールを採りに行って転ぶな。一生懸命にやっているポーズはするな。」

息子のスクールでは先日から3年生はオフサイドルールが適用となりました。たぶん相手のゴール前にいた息子はオフサイドに引っ掛りまくりだったのでしょう。するとバカ真面目な性格から審判から「オフサイド」と言われるたびに萎縮し息子は前方に行けなくなったのです。

前には行けないはドリブルで勝負しないはで困った息子です。たまたま私が仕事で外出先から早く帰宅してスクールを覗いて良かったです。息子はオフサイド、ドリブルとPKと難問を抱えていたのです。

今回の件で息子に私が言ったこと。

ドリブルについて

・相手を抜く練習はお父さんとの親子練習では上手くならない。試合中にフェイントをいっぱいして上手くなれ。

・エースのヨウ君だってドリブルを捕られるんだぞ。でも後ろからチャージされて倒されても何度も挑んでいるんだぞ。

・1年生の終わりからドリブルの練習を初めて夏からジクザクタイムを計かって冬からR5R10(円周ドリブル)とフェイントをやっているんだぞ。上手くなっている自覚をもて。必ず抜けるようになる。 オフサイドについて

・オフサイドは反則じゃない。だから何回なろうがイエローカードもレッドカードも出ない。

・相手ディフェンダーとギリギリで勝負するからオフサイドになるんだ。

・オフサイドのルールとはディフェンダーと勝負してからシュートを打ちましょうってことだ。

・そのディフェンダーとの勝負は2種類だ。ディフェンダーと勝負してドリブルで突破すること。ディフェンダーとキーパーの前に転がったボールを競争して取り合ってシュートを打つ。この二つだ。

・オフサイドになれ。シュートを打つからボールが外れるようにディフェンダーに挑んでオフサイドにどんどんなれ。

・オフサイドルールのことを待ち伏せの卑怯行為の防止とか言うのがいるけどそれは違う。相手陣地に1人居ることがどれだけ大変だったか思い出せ。

・君の好きなACミランのインザーギ選手は何度もオフサイドに掛かってもディフェンダーと勝負し続けているんだ。

・今のルールではオフサイドポジションにいたからといってボールに関わらなければオフサイドじゃないんだ。つまりオフサイドはパスの出しての味方により決まるんだ。

PKについて

・枠を外れてもいいからコースを狙って蹴ろ。ボールがキーパー正面に行ったら恥だと思え。

・練習でも一球一球大切に蹴ろ。

・ゴール正面に蹴って外れたボールがゴールするようなやり方だと上手くなったら正面に飛ぶことになるんだぞ。上手くなればなるほどキーパーに捕られる。コースを狙え。

メンタルについて

・ミスをしたりボールを相手に捕られたりすることを恐れるな。チャレンジしなくては上手くならない。

・試合中の声を出せ。マイボールとか遠慮せずに声を出してパスを要求しろ。

翌朝の親子練習の前に息子に再度言いました。

「試合中は常にドリブルで勝負する心を持たないといけないぞ。相手を抜かす技術はお父さんとの練習では上手くならない。だから上手くなるには試合で勝負しろ。失敗を恐れるな。成功するのは10回に1回かもしれない。でもチャレンジし続けろ。

小学校1年生からいっしょに練習してきてお前は上手くなった。最初は相手のゴール前にいろと俺に言われて心細かったよな。我慢してゴール前にいたよな。お父さんが腕組みして睨んでいたよな。(私はここで涙が出てきて声が震えてきたのです。)

2年生になって毎日君は泣きながらインサイドキックを練習したよな。そして3年生になってプロ選手と同じオフサイドのルールで試合をしているんだぞ。すごいよな。かっこいいな。

オフサイドルールでゴールを決めるのは難しくなったけどサッカーは1点を争う競技なんだ、がんばれよ。お父さんといっしょにオフサイドを勉強しような。」

そして親子して目を真っ赤にしながら朝の練習を始めたのでした。

平成21年6月
オフサイドルール適用(しばらくは得点出来ないと思っていました。)

19日(金):1ゴール相手陣地でボールを奪いドリブル後、ゴール前で右からキーパーをかわし左インサイドでシュート。中央下にゴール。

25日(木):1ゴール右サイドからのパスを受けドリブル。1人目をキックフェイントで2,3人目を切り返しで抜く。左インステップでシュート。右上にゴール。

26日(金):1ゴール左サイド奥からのセンターリングをダイレクト左インステップでシュート。左上にゴール。

ここから娘

そして、お父さんと弟は毎日一生懸命に練習しているのを私はいつも見ていてときどき練習に参加をしているのです。ときどき弟が涙目になりながら練習をしているのをお母さんの自転車のサドルに腰掛けながらサッカーの練習に口を出したり、アドバイスをしながら、ときどき遊びながら見ているのでした。

弟に応援・・フレーーフレーーおとーと(せーの)フッレ・フッレがんばれフッレ・フッレ弟イェーーイ!ファイト弟負けないであたりに強くなるんだ。沢山食べようね!私みたいに。

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この日は会社の健康診断の日でした。お昼から鶯谷の健康センサー(こんな名前)で検診を受けてちょっと早いけど支店に寄るのは中途半端なので帰宅し息子のサッカーを覗いたのです。

焦りました。思ったとおりオフサイドルールに息子は対応出来てなかった。相手のゴール前に行かないはPK練習ではキーパーの正面だはで私のはらわたは煮えくり返ったのです。次の日の朝練の路地で二人して泣きました。声がうわずったのを思いだしました。また泣けてきました。



2017年7月 1日 (土)

新 私と息子とサッカー

新 私と息子とサッカー

小1の春から親子練習を初めて2年間で息子は227得点しました。
それが3年生の一学期のある日をさかいに得点がピタリと止まったのです。
私はその原因を薄々気付いていたのですが息子の試合をみて確証をつかんだのでした。

先日、会社の健康診断を受けました。
身長、体重、視力、聴力、血圧、採血、尿、肺とバリウム飲んでのレントゲ検査、心電図、腹部エコー、触診、問診。私は採血とバリウムが苦手です。
採血時は血を抜かれるところを見れません。レントゲンの台の上で技師に右に左に言われるままにまわされるのも嫌いです。

あの日は鶯谷検診センターでの健康診断の帰り日暮里駅前のラーメン屋さん馬賊で坦々麺を食べて直帰して息子のサッカーをみに行ったのでした。

私はそこで恐るべき光景を目の当たりにしたのでした。

ああ、これでは息子が得点できるわけがありません。

新たな親子練習の挑戦が始まったのでした。

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