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2017年6月の35件の記事

2017年6月26日 (月)

サッカー少年最終回終わりに

サッカー少年最終回終わりに(reboot)

体格、体力、運動能力、運動神経に恵まれず性格もおとなしく闘争本能も持ち合わせずまったく試合で活躍出来ないのになぜかサッカーをすることが大好きなお子様をお持ちの親御さんの皆様、タイトル「サッカー少年の親御さんへ」の本ブログはいかがだったでしょうか。

幼稚園の息子のBチーム(弱弱チーム)の子供達のほとんどが卒園とともにサッカースクールを去りました。息子が幼稚園の2年間で得点したのは年長の12月の1点だけです。たぶんBチームの子はみな同じようなものだったでしょう。

1試合で5得点も簡単にゴールする子がいるのに私の息子は幼稚園の2年間で1得点です。得点するどころか試合中に2回位しかボールに触れられません。この差が埋まるとは到底思えませんでした。
したがって小学校では姉と同じスイミングスクールに通わせ体を鍛えさせるつもりでした。そのころ私の心の中では息子には合わないサッカーはやめてくれよと思っていたからです。息子がサッカーを続けたいと言った時も私は嬉しくありませんでした。

入学してすぐの1、2年生合同の土曜日のサッカースクールを見に行きました。その中で息子が一番小さかったです。1年上の2年生と身長を比べると肩位しかありません。
帰り道でのことです。スクールの友人が息子に「今日は何点入れた?」と聞いてきました。その子は息子が得点出来ないことを知ってからかってきたのです。 息子は何も答えられずにうつむいたままでした。

息子が得点出来ずにうつむいたあの日からの2年間です。

この2年間に息子は、

センターリングをシュートして、108得点。

ドリブルからのシュートで、41得点。

ヘディングでのシュートで、10得点。

押し込みシュートで、55得点。

その他で、13得点。

合計、227得点。

この227得点が2年間の私と息子の親子練習の成果です。

エピローグ

少し風が強い春の日でした。チームメイトのヨウ君のシュートをキーパーが弾いたボールを詰めていた息子がすかさずシュートしゴールしました。ドキドキしながら観戦していた私は笑顔でセンターサークルに戻る息子に指でVサインをおくりました。 この日の2得点は君らしく両方とも押し込みゴールだったね。君はセンターリングを出したり相手のドリブルに体を張って止めたり味方のゴール前でクリアーしたりしていたね。私はわくわくしながらの観戦だったのですよ。息子の2年生最後のサッカースクールでのことでした。

今はサッカーが一番大事と言った君。お父さんは本当は嬉しかったのだよ。これからもいっしょに練習をがんばろうね。

短い間でしたが皆さん読んでいただきありがとうございました。

では、さようなら。


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子供のサッカーを上手くしたいとわらをもつかむ思いで勉強してネットで検索すればきっと私のブログにたどりつくでしょう。

小1から開始した親子練習のおかげで私の息子は小6まで試合で活躍して得点しサッカーを大いに楽しんでいました。まったく下手で運動神経があるとも思えない息子がですよ。これは事実です。
でも残念ながら中学ではだんだんその親子練習のアドバンテージが無くなっていたようです。しかたがないですね。
息子はプロ選手にはなれません。ごく普通の子です。そんな息子は高校生となり部活ではないけれど友人と週末は公園でサッカーを楽しんでいます。妻からそのことを電話で単身赴任の部屋で聞き私はそれだけで幸せな気持ちになれるのです。
よっサッカーバカ僧。
サッカー下手な息子さんをお持ちの親御さん、がんばってください。 私はこころより応援致します。



 

2017年6月25日 (日)

26.サッカー終了宣言

26.サッカー終了宣言(reboot)  

小学2年生の2月の終わりに息子は、私たちにサッカー終了宣言をしたのです。

息子:「3年生から吹奏学部に入る。友達と約束した。」と言いました。 学校の吹奏楽部は朝錬や授業後の練習が多くサッカークラブとの両立は出来ません。3年間吹奏楽を続けている姉の影響で興味をもっていたのでしょう。

息子が吹奏楽をしたいのなら寂しい気持ちがありますが尊重します。
「そうかい、がんばれよ。」と私は答えたのでした。

その数日後のことです。息子との風呂上りの妻が言いました。
妻:「吹奏楽とサッカークラブはいっしょには出来ないと言ったら、今はサッカーが一番大事だって。吹奏楽部には入らずにサッカークラブを続けるって。」
どうも息子はサッカークラブも吹奏楽部もいっしょに出きると思っていたそうです。妻に真意を尋ねられサッカーが一番と答えたのでした。

で、私は喜んだのでしょうか。そうでもなかったのですよ。吹奏楽部で演奏する息子を見てみたかったです。子供に色んなことを経験してほしかったからです。

息子に「そうかい。君にはサックスが似合うんだけどね。」
と意地悪く言った後で「サッカー練習をがんばろうね。」とポンと頭をたたいたのでした。

副題「息子はサッカーが一番大事」でした。


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息子が中1のころ、「お母さん、僕はいつまでサッカーをするんだろう。」とポツリとつぶやいたので妻は「***(息子の名前)がやりたい時まででいいだよ。」と言ったそうです。
思えば息子は幼稚園の年中から中3までサッカー一筋でよくかんばってきました。あきっぽい私とは大違いです。
そんな息子も私と市の体育館を借りて特訓(学校の体育の授業対策)したバトミントンに興味がわいていました。(特訓の成果で負け無しだったそうです。)

さて中学では息子はこのまま部活のサッカーを続けました。でも高校になったとき果たして何部を選んだのでしょか。サッカー部?まさかのバトミントン?文科系?私はそんな息子を見守っていただけです。



25.トムさんへ

25.トムさんへ(reboot)

トムバイヤーさん申し訳ございませんでした。

平成21年1月25日、幕張で開催された「次世代ワールドホビーフェア」会場のスポーツコーナーの「トムさんのサッカーテクニックス」でのことです。

せっかくのトムさんのサッカー教室だったのに息子は直前でプレッシャーに負けて参加しなかったのです。

いや私は息子の様子から薄々こりゃあかんと感じていました。しかしKY妻が嬉々と整理券を入手して来たのです。集合時間の10分前です。
息子は「やらなくていい?」と私に哀願したのです。すかさず姉が噛みつきました。当時娘は人見知りや大舞台での緊張が全くない特異体質な持ち主でした。
娘は弟に色々な人に教わることが良いだとか情けないとか言い容赦しません。涙目息子が弱ちくて可愛いです。私は気が進まないなら参加しなくていいよと優しく言ったのでした。でも心の中ではトムさんが息子を覚えているかとか色々と楽しみだったのに。

トムさんのサッカー教室中にブースを横切りましたけど息子に配慮して練習を覗きませんでした。覗きませんでした。覗きたかったです。ボケ息子め。トムさんに会いたかったよ~。また息子を褒めもらいたかったよ~。整理券が無駄になりました。こんな情けない息子でトムさんすみません。

ちなみにその時の「次世代ワールドホビーフェア」の会場内の音量は少しボリュームを下げたようです。きっと昨年近所から「うるさくて赤ちゃんが目を覚ます。」とか苦情が来たのでしょう。それでも会場を出てしばらくはドンカンドンカンと耳鳴りがしたのでした。  

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弱い。息子は心が弱っちいです。サッカーの試合でよくもまあ相手のゴール前まで行ってシュートしてくるものです。なのでこの先私は息子の心を鍛えるために何度か泣かしました。 息子にはフォワードに必要な「俺が全体シュート打つぞ」というメンタルの強さはありません。仕方が無いけど心優しいのです。これはこれで私は不満ではありません。

24.サッカー選手への道

24.サッカー選手への道(reboot)  

小学2年生のころに息子は「どうしたら、サッカー選手になれるの?」と2度私に尋ねたのでした。

一度目は体力作りのランニングの後です。
私は、「サッカーチームの人が試合を見てスカウトしたりチームのテストを受けて合格するとなれる。」と答えました。

二度目は夕食の時です。
息子の質問にいきなり妻が「才能。」と一言。
おいおい身も蓋もありません。すかさず私は「才能も大事だけど努力と運だよ。」とホローしたのです。
その後、話しはtotoビックで6億円当たったらジェフ千葉に1億円も寄付すればジェフ貧乏だから何試合かスタメンで出場出来るかもとかJリーガー養成ギブスを開発すればとかで盛り上がったのでした。

息子の小学一年生の文集で将来の夢は「大きくなったらサッカー選手。」でした。私は「大きくなったら、身長が大きくなりたいです。」なんてからかったものです。ひどい親です。

ちなみに私のその頃の夢はなんだったのでしょう。まったく思い出せません。小学6年でうけ狙いか卒業文集に「科学者」なんて書いたけど根拠も何もありませんでした。情けない親です。

さて、子供の夢を叶えてやるのが親の役目です。息子が幼稚園の時の「ゴールするにはどうしたらいいの?」はこの私の力で時間は掛かりましたが完璧に叶いました。小学1年から現在までの約2年間に197得点しています。次の息子の望みはサッカー選手です。ちょいとハードルが高いですが息子をサッカー選手にするための方法の情報収集をしてこのたび結論に達したのです。

結果発表:息子がサッカー選手になる可能性を高めるためには親子練習に力を入れる。現在の練習量の4倍をやるです。
ヒエー、ガンダムのシャーだって3倍なのに4倍ですか。でも現実問題4倍はやらねば息子はライバル達とのスタートラインに立てません。

で、お正月のテレビ番組にまさにサッカー漬けの同じ世代の少年が登場したのです。それを見た息子は「こんなのは嫌だ。」とポツリ。そうです息子は夜間練習よりアニメのポケモンが優先ですし私が少年サッカー練習本を読んでいる横で星のカービィのマンガ本を読んでいました。したがってサッカー選手への道は遠いです。

でも息子に「サッカー選手になりたかったら今の4倍練習しろ。」なんて言えませんでした。息子は幼稚園の2年間に比べて試合でいっぱいパスしてドリブルしてシュートしてサッカーを楽しんでいます。ドッチボールもキャッチボールも練習して大好きです。私は練習量を4倍にすれば必ずやサッカー選手への道が開けると確信してそれで良しとしたのでした。

以前メジャーリーガーのイチロー選手がテレビで子供達の質問に答えていました。「野球選手になるならいっぱい練習していっぱい勉強してその後でチームメイトと比べてみよう。」私は単純にいっぱい練習をしようと言わないイチロー選手に感心したのでした。 

では、息子のサッカー選手への道のまとめです。

才能:もって生まれた能力としたら幼稚園の2年間で1得点です。多くは語りません。

努力:当社比、練習量は今の4倍必要です。

運:我が家の福引担当です。わりと良い方です。

お金:スクール費用、合宿、遠征、用具、などなどたんまりかかります。我が家は貧乏ぽいです。

コネ:キムタクの子とか有名人や名のあるコーチ監督の子はなりやすそうです。息子にまったくコネ無し。

このように我が息子の将来はJリーガーに間違いなしです。(嘘です。)ホントにサッカー選手は皆すごいってことです。でも元日本代表の武田選手は?Jリーグ始まりの頃だからってわけないでしょう。
元日本代表の武田選手はテレビで見ると超おちゃめですけどすごかったのでしょう。 私の義理の弟に息子は「プレイが武田に似ている。」と言われた時にバラエティ番組の武田を思い浮かべたのか困った顔をしました。Jリーガーはものすごい競争率の中を勝ち抜いてサッカー場のピッチにたっているのです。
ああ練習量4倍か。しかし息子がいつしか練習を望む時がきたのならば私は必ずや受けて立つと思っていました。

ちなみに息子は、「僕、サッカー選手になれなかったらお父さんと同じ仕事がしたい。」と言ったことがありました。ではサッカー練習も勉強もがんばりましょう。私はすごく嬉しかったです。


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このブログを書いたのは息子が小2の時です。息子の「どうしたら、サッカー選手(プロ)になれるの?」の質問にどう話を誤魔化そうかと考えたことを思い出しました。
私は練習をがんばればプロ選手になれるとは微塵も思っていなかったからです。でもプロ選手を目指すことは良いことです。私の親子練習の張合いになります。

娘の同級生の母親が「小6になっても息子はプロのサッカー選手になりたいと言ってるがそろそろ現実に気付いて欲しい。」と嘆いていると妻から聞き私は我が息子もいつまでプロ選手になりたいと思うかと興味がわいたのでした。
息子の将来の夢は小5ではサッカー選手です。でも小6の職業体験で息子は建築士を選びました。

プロ選手は無理と思っている私なのにいざサッカー選手を諦めたことを知ると私は寂しい気持ちになりました。

その6年生の11月のことです。息子はサッカークラブのセレクション1次に合格してしまいました。1次合格後クラブを見に行くと家から通うには困難です。
まあプロ選手になる訳でもないし息子には中学では部活にしろと言いました。
息子は泣きました。あれ、まだプロ選手になりたかったのだろうか。でもその時私は息子にプロ選手を目指しているのか?とは聞けなかったのです。




23.一矢を報いる

23.一矢を報いる(reboot)

ある日、息子が姉にサッカーのミニゲームで得点を重ねられ引き離されてしまいイジケてやる気が無くなりました。私はゲームを中断して息子に強く
「ふて腐れるな。全力でやれ。君はゲームが終わるまで決して諦めるな。」
と叱ったのです。

幼稚園の夏の大会でのことです。息子のBチームはスコアーがいつも0-7くらいで負ける本人いわく「よわよわチーム」でした。
試合は息子のチームが相手チームに団子で押されての失点の繰り返しです。勝てる気が全くありませんでしたが私は大声で応援していました。
その試合も5点は入れられていたことでしょう。またまた失点され息子が味方のゴールからボールを左腕に抱えセンターサークルへ戻っていく時、それまでいつものことと笑いながら声援を送っていた私は一瞬にして凍りつきました。息子が右の袖で目を拭ったからです。

姉に点差をつけられやる気の無くした息子に続けました。
「お父さんは、年長の夏の大会で悔し涙を流した君を忘れないよ。君は覚えているかいあの試合の終了まじかに味方がドリブルで抜け出して敵のゴール前にせまったね。皆の期待を一身に集めてのドリブルシュートだったよ。残念ながらゴールにならずに試合は終了したけど最後の最後まで君たちはがんばっていただろう。
君はあのドリブルした子と同じ気持ちにいつもなるのだよ。どんなに点差がついた辛い試合でも一矢を報いるために1点を取りにいけ。勝ち目がなかろうが審判の終わりの笛が鳴るまでゴールを狙うんだ。味方が諦めていてもだ。君だけは最後までゴールを狙い続けろ。」
息子は泣きながらうなづいたのでした。私がサッカーで初めて息子を叱った一年生の秋の公園のことです。

息子はどんな時でもゴールを狙い続けていました。  


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本当にこの頃の息子は素直だったです。私の言う事を真剣に聞いてくれました。また私も「最後まであきらめるな。」とあたりまえだけど良い台詞言ってました。今ではちょっとくさい台詞です。



2017年6月24日 (土)

22.ドッチボールが下手な少年の親御さんへ

22.ドッチボールが下手な少年の親御さんへ(reboot)

全国では分かりませんが息子の小学校ではドッチボールが盛んでした。授業でも業間でも息子も娘も楽しんでいました。
娘にしたように息子にも小学校に入学してから私はドッチボールのコツを伝授し練習したのでした。
これまたサッカーと同じでほっといても運動神経が良い子や体力がある子は上手くなります。 小学校6年間のドッチボールが上手くなったほうが楽しいに決まっています。 そこで今回は私が娘と息子にしてきたドッチボールのコツについて最近息子のお向かいの友達に(息子の許可を得て)していることを参考までに公開します。

コツを伝授する前にお友達とのお約束です。

1.教わったことは学校で話さない。上手い子は対策をとるから。上手い子に教えても感謝されず「知っているよ。」と言われるだけ。

2.私に教わっていることをお家の人に決して言わない。

3.ここではコツだけ教えるので練習は家や学校でやること。

4.絶対に反論はしない。とくに「聞いたことがある」、「知っている。」、「やっている。」は言わない。

5.身体を使うことはテレビゲームのようにはいかない。すぐには上手くならない。3ヶ月以上はかかる。

6.ドッチボールは上級生になってもやるので上手くなったほうが得だ。

7.何度でも同じことを話す。「前に聞いた。」は言ってはいけない。

8.家にボールがなければ買ってもらう。 守備と攻撃はそのつど状況に合わせて教えました。でも最初は守備を重点的にやりました。

守備

1.替え歌を歌わせた。カッコーの「静かな湖畔の~」を「取れないボールは取ってはいけない。取れそうなボールも取りません。」絶対に取れるボール以外は手を出さない。避ける。逃げる。

2.上手い子から逃げる時は相手が投げる時に踏み込んだ瞬間にもち手の側にすっと横に移動する。左右に投げさせてもち手側に投げるのが難しいことを実感させた。

3.手を出していいボールはワンバンド、仲間に当たったボールとお腹に来たボール。

4.お腹取りを徹底的に教えた。両手を前に出して来たボールを腕と体(足)を引きお腹をへこませてスピードを落とす。吸収動作をすればどんな速いボールも取れる。手をつっぱってわざとボールを弾いて見せた。

5.体の中心のお腹は避けにくい。だからお腹に来たボールは取る。ここだけ取れるようにすればOK。あとは、避けよ。

6.相手がコントロールミスした速いボールに欲を出して自分から手を出し落とすことが多いい。手は出さない。コントロールされた(スピードの落ちた)お腹に来るボールを待つ。

7.ボールが来たら顔はしっかりボールを見続けること。顔を背けない。顔を振りながらボールを取らせ難しいことを実感させた。

8.顔付近に来たボールはおにぎり取りで取る。両腕を前方伸ばし親指と人指し指で三角形を作りこれまた吸収動作で胸の位置までボールを導く。練習はしておく。試合でしなくてOK。(本日、緩いボールで練習。緩いボールだけおにぎり取りを挑戦することを勧めた。)。

攻撃

1.投げ方は上投げ。横投げ禁止。横投げのコントロールの難しさを棒の先端で相手を叩く実験をして確認させた。

2.上投げは普段日常で使わない筋肉を使うので練習が必要。練習しないと女の子の投げ方のままで不恰好。

3.上投げを練習すれば野球や記録会の遠投競技、他の種目で活躍出来る。

4.遠くに投げるには45度が基本だが真上に投げる気持ちで投げさせて角度を調整する。

5.投げる時は常にコントロールを意識してスピードは70%で投げること。

6.相手の特徴を観察して投げる。こちらが投げる瞬間に背中を向ける、ジャンプする、かがむ、足元や難しいボールに手を出す子がいる。

7.時々投げるふりフェイントをいれて投げる。

8.投げる時に手首が負ける場合は手首を固定して投げる。

上記の内容について実技だけでなく座学をよくやりました。
座学:私が能書きをたれます。子供達が純な目で私を見つめます。小2の小僧にドッチボールを熱く語ってしまいました。ま、頭で理解させボールを使うことで習得させ上達をはかりました。

練習中、息子がおにぎり取り時に顔を少し背けました。まってましたと私はもちろん叱ります。すると隣にいた娘が「私も泣いたっけ。」とぼそっと言いました。息子の友達を叱るわけにはいきませんでした。せいぜい「はい君、駄目だぞ。抜けて。」と言う位です。私はグッと我慢でした。ストレスがたまります。叱らずに練習して息子の友人はドッチボールが上達するのでしょうか。興味津々でした。

あと、ドッチボールの前には入念に指のストレッチをさせました。
娘がドッチボールの私との練習で突き指捻挫をしてしまい一週間通院したことがあります。鉄棒落下での指負傷から続いてです。連側通院となりお医者さんに笑われました。息子をキーパーにして私のインステップキック時に息子はキーパーグローブをしていませんでした。
今考えるとよくも息子は指を捻挫せずにいたものです。イヤ時々手を痛がっていたっけ。私は笑っていたっけ。思い出してぞっとしました。

サッカーもドッチボールも上手くなれば楽しさ倍増です。  


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息子の友人達にドッチボールを教えてみようと思いました。そこで息子に許可を得ました。普段からドッジボールの練習方法と作戦は門外不出とし息子には絶対に人には言うなとしていたからです。体力的に劣る息子が他とドッジボールを戦うための練習方法であり作戦です。他に真似されたら意味がありません。それなのになぜ息子の友人達にドッジボールを教えようと思ったかと言うと小3から息子をサッカー少年団に入れたかったからです。

2年間の親子練習で息子は十分サッカーが上達しました。少年団だってやれるでしょう。私のイメージでは少年団では親御さんが子供達に練習を教えるでした。したがって息子が少年団に入れば必然的に私が子供達の練習の相手をしなくてはならないと考えていたからです。

つまりドッジボールを息子の友人達の教えるのはその予行練習だったのです。果たして私は息子以外に教えることが出来るかと。
結果、すごくストレスがたまりました。怒鳴りたい。怒鳴れない。ムカムカ。無理です。私には息子以外に教えることは出来ません。
結局小3になっても息子は少年団には入りませんでした。
また少年団って全ての親御さんが子供達を指導するわけではないと知ったのは息子が小6になってからです。




2017年6月23日 (金)

21. 続インステップキック

21. 続インステップキック(reboot)

テレビの番組でオリンピック水泳金メダリストの北島選手が水泳の魅力について
「自分の記録が更新出来た時の喜びです。」
と話していました。水泳は自己タイム記録越えが次の目標となります。

息子のリフティングも同じです。両足リフティングにしてから苦労していますが回数記録の更新を目指しがんばりました。またジグザグドリブルでは、記録をつけるようになってからの上達が以前と明らかに違いました。漠然と練習するよりこのように記録をつけた練習の方が身につく技術があるということです。

さて、当時の私には息子のサッカー練習について悩み事と言うかなんと言うか
「インステップキック」が、上達せずにちょこっと困っていたのです。
当時小学2年生の息子がJリーガーだって難しいインステップのPK練習です。
長い目で見るべきです。練習の結果ボールのスピードは速くなりゴロになることも少なくなりました。しかし球筋が安定しませんでした。8m離れた場所からのキックが私の両手をひろげた1.5mくらいに収まることを希望しているのに時々とんでもない方向にボールが飛んで行ってしまったのです。そのたびに気長で温厚な私はぐっとこらえていたのでした。

ある日、ドリブルタイム測定と同じくインステップキックも数値化ができないか、と思い立ったのです。そこであれこれ思案し「エリア得点記録」をつけることにしたのでした。

エリア得点記録:エリアを赤、黄、青、白(中央)、青、黄、赤と50cm毎に分ける。8m先より蹴ったボールが通過した場所を記録する。得点は白4点、青3点、黄2点、赤1点、外れ0点のとする。5本蹴り合計点数を計算する(20点満点)。ゴロになった回数も記録する。エリアの目印はロープに各色のビニールテープを巻き使用した。

で、エリア練習方を開始2回目で白3本、青1本、黒1本と完璧な白キックをしての高得点と徐々に上達する思惑も外れてしまいました。したがってこの方法でインステップキックが安定するかは不明でした。しかし息子はキックフォーム等を調整しながらトライしているので結果がでるまでエリア得点記録をゲームを楽しむような気持ちで継続して行ったのです。

その頃の親子練習メニューです。

朝練習(毎日)

・準備体操(足中心)。

・ジグザクドリブル(イン側、アウト側、右、左、足裏を各1回)。

・ジグザグドリブルタイム測定3回(アウト側)。

・マーカー片付けタイム測定1回。

・インステップキック練習3本。

・インステップキックエリア記録5本。

・フェイント(エラシコ8回、キックフェイント4回、シザース4回)

・リフティング(友人のお向いが来るまで) 夜練習(週2~4日)

・準備体操(足中心)。

・ジグザグドリブルタイム測定3回(アウト側)。

・マーカー片付けタイム測定1回。

・インステップキック練習3本。

・インステップキックエリア記録5本。

・フェイント(エラシコ8回、キックフェイント4回、シザース4回)

・リフティング(3分)


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息子のサッカーを色々と記録してきました。得点の経過を図と文章にしセンターリング等の得点方法をグラフ化。ドリブルはジグザグと円周のタイム測定値。リフティング連続回数。インステップのキックエリア得点です。そして息子のサッカーについての一言も記録しました。
一言の記録は息子に内緒です。その一言はブログを書くうえで役立ちました。記録は息子のサッカー技術の上達を後押ししたでしょう。しかし記録しているので駄目なときは頭から離れません。ひと月間得点が出来なかった1年生の12月。この先息子は得点出来ないのではないかとグラフを見つめ心配したのでした。


20.つらかったかい

20.つらかったかい(reboot)

息子が小1の初めの頃、サッカークラブで得点してきた日は半分本気半分冗談でこう聞きました。
「つらかったかい?」すると息子は甘えるように
「つらかったよ。」と答えたのでした。

私が試合を観戦していると小柄な息子は相手のゴール前にポツンといてゴールをねらっていました。しかしなかなか得点に結びつきません。

4月の親子練習から初ゴールまで一ヶ月かかりました。相手のゴール前で息子は心細かったでしょう。味方のコーナーキックでゴールエリアから弾き飛ばされまたエリアへ戻る息子を見ました。得点をすることがどれだけ大変かが分かります。
息子にはドリブル突破からのミドルシュートは無理でした。あの頃は相手のゴール前でひたすらボールが転がってくるのを待つしかなかったのです。

なので私は息子の貴重な得点につらかったかいと話しかけずにはいられませんでした。そして息子のいつものように答える「つらかったよ。」の言葉に安心したのです。

そんな息子も半年を過ぎると試合での得点が多くなりいつしか「つらかったかい?」と聞くことがなくなったのです。

相手のゴール前にいた息子は小2になりサイドをドリブルで駆け上がり味方にセンターリングを出したり中央からスルーパスを通したりと試合で活躍したのです。またその頃キックフェイントが初めて決まりました。切り返しでディフェンス3人をかわしたと嬉しそうに私に話すこともありました。こうして息子はサッカーを大いに楽しんでいたのです。

ある日、5得点した息子に久々に聞いてみたのです。
「つらかったかい?」すると息子は何のことか分からずに不思議そうな顔をして私を見たのです。
私が「5得点よかったね。」と言うと息子は「うん。」と答えました。
その得点の記録をつけてひとりお風呂に入った私は湯船の中であのゴール前の息子を思い出し
「つらかったかい?」ともう一度つぶやいたのでした。    

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息子の小1の始めの親子練習は手探りでした。ただあの頃の息子が得点するには相手のゴール前にいなくてはなりません。目の前に転がってくるボールをゴールに蹴りこむ。これが息子の主な得点パターンだったからです。

小さい息子はゴール前で相手にも味方にも押しのけられていました。そんな中での貴重な得点です。私は思わず「つらかったかい?」と息子にたずねてしまったのでしょう。このようなことがあったことをまた思い出せるのもブログに残しておいたからです。ブログに感謝です。


19.サッカー練習

19.サッカー練習(reboot)

私は息子が幼稚園児のある時期に「シュートを打て。シュートを打ったか?」とサッカークラブの日は必ず言っていました。
これは息子が尋ねたどうしたらゴール出きるのかの私の答えだったからです。私の言葉に息子はその度に顔を曇らせたのでした。タイムマシンに乗ってあの時の私に、
「バカを言うな。精神論だけですますな。いっしょに練習しろ。サッカーの勉強をしろ。」と言いたいです。
今思い返すと危なく息子がサッカーを嫌いになるところでした。あの時、少しでも息子といっしょにサッカーボールを蹴りあい練習をすればよかったのです。

息子が小学一年生になりたての春のことです。息子のクラブでのサッカーを見た帰り道で私の頭の中で突然親子練習スイッチがカチリと入ったのでした。

では親子サッカー練習についてです。

1.息子は下手くそだった幼稚園の2年間があったおかげで練習の重要性を理解していた。練習したから上手くなったと自覚していた。

2.上手い子は試合中に絶えずボールに絡んでいるのでなおさら上達していた。絡めない息子は練習しか上手くならないと言い聞かせた。

3.私との練習が楽しかったらしい。(練習中の私は怖いのに。)

4.毎日やった。5分でも時間を作り練習をやった。夜だって工事用の電灯を点灯してやった。まったく継続は力でした。

5.練習用にマーカー、ボール、ラダー、サッカー本を恩着せがましく購入してやった。

6.リフティング、インサイドキック、インステップキック、フェイントと私が先に会社のお昼休みに練習して上手くなった。その後息子に練習させて親を抜かす喜びを与えた。

7.ドリブルタイム、リフティング回数は数値化されるので上達が分かりやすく励みになっていた。ドリブルタイムはグラフにした。

8.練習中に足が痛むとすぐに中止にした。絶対に無理をしない。また私はスポーツマッサージを覚えた。息子が寝る前にマッサージを施した。

9.パス、トラップなどの基本練習の他に期間限定の特別練習をやった。(フェイントのシザース)

10.ドッチボールにキャッチボール、バトミントンなどもやった。ドッチボールはクラスで活躍した。

11.道でサッカー少年団帰りのヒロ君に会った日。息子が気合の入ったドリブル練習の後で一言、「ヒロ君は、汗だくだった。」とつぶやいた。最近ヒロ君も朝練していることを知った。

12.公園でご近所の野球少年親子と会った時にサッカー練習している親子を指して「毎朝、練習しているよ。」と教えてくれた。息子より小柄な子が一生懸命にリフティングをしていた。

13.息子には家の前の路地での練習なのでじゃまになるので近所の人にはちゃんと挨拶をさせた。

我が家では息子のサッカー練習が生活の一部になっていました
。 親子練習は私の楽しみでした。
妻も息子のクラブのお迎えでエースのヨウ君のお母さんから息子が上手くなったと褒められたことで練習に好意的になったのです。
つくづくあの日私の親子サッカー練習のスイッチが入り良かったです。息子はしっかりとサッカーが上達したのです。

練習を始めた当初は息子がクラブの皆のレベルに追いつきサッカーが楽しめるようにと考えていたのでした。すぐに熱くなってしまう私ですが無理をせず気長にしかし真剣に息子とサッカー練習を楽しみたいと思いやっていました。


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趣味は何ですか?と聞かれたら私は「サッカーの親子練習です。」と即答するほどのめり込んでいました。
親子練習は息子のためではなく自己満足のためだったのでしょう。下手糞な息子が私との練習で上手くなりシュートを決めてくるのです。サッカーは相手のゴールにボールを入れるという単純なスポーツですが練習して技術を身につければ身体能力の差を埋めることができます。
親子練習のおかげで息子は試合で活躍し得点を増やせます。親子練習ほど面白いことはありませんでした。



2017年6月22日 (木)

18.フェイント

18.フェイント(reboot)

私は息子が小学校に入学してから息子のためにサッカー勉強を始めました。 その初っ端、図書館の小学生向けサッカー雑誌を読み、驚いたのです。本の内容はフォワードのパスの受け方です。フォワードがパスを受ける前にディフェンスに体をぶつけて相手のバランスを崩してからパスを受けるようにと書いてありました。
「相手に体をぶつける。」私にとって衝撃の記述です。だってこれってファールでしょう。体をぶつけろと平然と雑誌に載っていることが信じられなかったです。

私は小学校の道徳の時間に「やわらかなボール」を習った世代です。

やわらかなボール:テニスの国際試合中に転んだ相手に日本人選手がやわらかなボールを返して試合に負けだけど観衆から賞賛を受けたってお話しです。

したがって体をぶつけて相手のバランスをくずすなんてもってのほかなのです。

私のサッカーの思い出です。私が小学生の体育のサッカーでドリブルをしてディフェンスをぬく練習がありました。ドリブルでディフェンスをぬかせずに皆サイドに追いやられたのです。
私には、どうやったらぬけるのか分かりませんでした。私の世代ではドリブルでのスピードの緩急とかフェイントについては、まったく知識も概念もなかったのです。
中学校でもフォワードは力任せにドリブルでボールを蹴って来ました。ドリブルの緩急とフェイントはいつからこの日本で一般的になったのでしょうか。 ただ私が知らなかっただけかもしれませんが。

その他、リフティングも知りませんでした。リフティングが出きる同級生や知人はいません。ここ20年くらいまでリフティングって言葉さえ私には存在していません。

また、私の小学校の担任はオフサイドのルールを当初理解出来ず相手の位置に関係なくボールを待ってパスを受けた場合にオフサイドにしていたので試合中にオフサイドの変な笛が何度も鳴ったものです。
また、当時のディフェンスはセンターラインより越えて相手陣地へ行くことはありませんでした。ディフェンスの浦和の闘莉王選手が得点をするのは不思議な気持ちでした。

このように私の持つサッカーについての知識やイメージがどんどん変化していったのでした。

フェイントについて。小2の11月からの息子のサッカー特別練習をフェイントにしました。 インサイドキック、インステップキックと続いたので次はインフロントキックと思われた方もいると思われますがインフロントキックはまだ封印です。(息子が以前の蹴り方に戻ると困るので。)
しかし生意気な息子は最近左サイドをドリブルで駆け上がった後にゴール前にボールを上げたい。と言ったので冬休みはインフロントキックの練習をする予定としていたのです。

ドリブルについて。小柄な子が大柄な子と足と足で押し合えば小柄な子が押し負けます。その足と足の間にボールを挟みボールを押し合うとボールは大柄な子の前方に転がります。こうして大柄な子はボールを押しながらドリブルでどんどん突破して行くのです。

したがって小柄な息子のドリブルは止められるので息子にはフェイントが必要となりました。小2の頃はまだスペースが無くフェイントが決まらないでしょうが息子がドリブルで相手を突破するのにはフェイントを使うしかなかったのです。そこであれこれ調べて二つのフェイントをピックアップしたのでした。

小2の11月は「キックフェイント」にしたのです。
路地での練習中に私が両手を広げて息子がボールを蹴るのに待ったをかけました。すると息子は時々ボールを蹴るふりをしたのです。私はその時、ドキリとしました。
これってキックフェイントです。ドリブル中のキックフェイントを息子が体に染み込ませる為に毎朝8回させたのです。そして12月からは「シザース」でした。ボールをまたぐやつで名前がかっこいいです。私はフェイントを覚えるためには名称を意識して練習する必要があると考えていました。まずはこの二つのフェイントの取得を息子に試みてみたのです。

当時のことです。布団に入った息子が私に「お父さん、ドリブルって楽しいね。」とささやいたのでした。

コメント追加

ドリブルとフェイントには偏見がありました。
特にフェイント。息子がマスターし試合で使えるようになるとは思っていませんでした。まあフェイントの練習はしないよりましだぐらいに考えていたのです。
なぜなら親子練習中にドリブルで向かって来る息子にフェイントで私がかわされることは絶対にありませんでした。
フェイントは才能が必要であり凡人が練習してものに出来るものかと。
でもドリブルは親子練習のおかげで息子が「楽しいね。」と言っているようにそれなりに試合でしていたのです。これから半年後、ドリブルとフェイントの親子練習に力を入れることになったのでした。



17.インステップ

17.インステップ(reboot)

私は息子と練習するようになってから常々不思議に思っていたことがありました。それは私がボールを遠くに飛ばそうと蹴るとボールは途中で必ず左に曲がってしまうのです。

インサイドキックの勉強中に原因が分かりました。私はインフロントキックで蹴っていたからです。
真っ直ぐに遠くに蹴るにはインステップキックで蹴る必要があるのです。このことはサッカーの物凄く初歩の初歩です。自動車のアクセル、ブレーキ、クラッチくらいのことです。インステップキックは知っていたのに(蹴り方のレパートリーほどに)長い人生で一度も自分がインステップキックで蹴ったことがないことに気付き驚いたのでした。

そこで驚いているばかりではおられずインステップキック技術の収集を徹底的にやることにしたのです。そして十分に知識がそなわった息子が小2の7月のある日、会社のお昼休みに公園のネットに向けて試しに蹴ったのでした。

蹴った瞬間:「ズドーン」
私の蹴ったボールは一直線でネットに突き刺さりました。インステップキックの初蹴りで見事にボールをミートしてしまったのです。驚くことにこれだけ衝撃的なスピード、威力、弾道なのに蹴り足には何の負担もありませんでした。 破壊力満点なインステップキック。
初めて鉄砲を目のあたりにした種子島の島民はこんな気持ちだったのではないでしょうか。
また「インステップキックでシュートしてゴールが決まればどんなに嬉しい気分になれることだろう。」と思ったのです。

そしてこの衝撃インステップキックを8月1日より小2の息子に伝授したのです。

では、息子にしたことです。

・インステップキックは難しいので気長に教えようと思った。

・足を捻挫する可能性があるので土日はテーピングを巻いてやった。結構出費。

・初めのボールは4号軽量を用いた。

・初めはボールをマーカーの上に置いて蹴らせた。

・蹴る前にイメージをえがかせた。

・靴に両手に入れ蹴る動作を示した。

・70%の力であくまでも蹴るホームを身につかす練習をした。

・軸足のブレの対策にラダーを購入してしまった。出費。

・10月に入りイライラしてチョッと泣かした。

・夜間練習用に工事ライトを購入し使用した。出費。

・ひたすら低い弾道を要求した。上がるとスピードが落ちるため。

インステップキックの練習の当初、公園で息子を立たせ15M位の位置から蹴ってみました。
飛んで行ったボールに膝で合わせた息子はすっ飛びました。面白がって再度蹴ったところまたもや息子がすっ飛んだのです。

すごいぞインステップキック。私は蹴ったときに蹴り足の親指の左側がスーと地面に触れると一番強力なボールが打てます。これって失敗したら地面を蹴ってホントに捻挫ものです。

こうして時々公園で息子を標的いやゴールキーパにさせてインステップキックで蹴りました。私は捻挫の恐怖と弾き飛ぶ息子に快感を覚えてしまったのでした。

さて、8月からの練習で息子のインステップキックは上達していきましたがまだまだなのでミートポイントの確認後に朝夜4本づつ蹴らせました。 練習開始から3ヶ月でやっとコースが安定したのです。

不思議なことに公園ではキーパー役の私からペナルティーキックPK練習でがんがんゴール出きるのですが路地ではイマイチなのでした。

PKで息子のボールに手が弾かれてゴールされるのを体験するとプロのキーパーが同じように手に当てながらもゴールされることがよくわかりました。インステップキックは強力なキックです。息子がいつかインステップキックをものにしてミドルシュートでもゴールを狙えるようになってもらいたいと練習していたのです。


コメント追記

当時参考にしていたサッカー練習のHPに
「インフロントキックは運動能力が高い人にまれに練習しなくても蹴られるがインステップキックは練習しなくては蹴れない。」
と載っていました。
おっしゃる通りです。まあ、私の運動能力はそこそこですが昔からインフロントキックはなぜか蹴れていたのです。高校の体育の授業の試合で私はインフロントキックで見事なセンターリングをあげたこともあります。しかしインステップは蹴ったことがありませんでした。いやインステップの蹴り方を知らなかったのです。

親子練習の勉強でインステップキックを学びました。息子とのインステップキック限定PK合戦は楽しかったです。あの蹴ったときの足の感触、そしてボールスピードに破壊力。懐かしいです。またサッカーボールを思いっきりインステップキックで蹴ってみたいです。



16.フォワード

16.フォワード(reboot)

息子が小2の時のことです。帰宅した私に息子が「今日1点とったよ。」
よしよし。
息子:「すごかったよ。えーとチーム全部で11点も入れたんだよ。」
そうかい。
私は妻がお風呂に入ったのを確認して息子の前に座り言いました。
私:「君は今日の試合結果に本当に喜んでいるのかい?」
突然のことでわけも分からず驚く息子に続けます。

私:「11点も取れた相手に君の得点は1点なのか。」あーまた私のお説教が始まりました。
そして、1点が今の君の実力だったらしょうがないとか俺は何のためにシュート練習ばっかり君とやっているのだと言ったのでした。くどくどと。息子は目を真っ赤にし涙を流し私を見ているだけでした。

息子が呼ばれお風呂に行くと、娘が擁護しました。
娘:「11点だったら、1人1点づつ仲良く入れたと思えばいいじゃない。」
私が「キーパーもか?」と言うと。
娘は「キーパーだってたまには入れたいわよ。」と言ったので二人して笑ったのでした。

妻がお風呂からあがって来たのでこれ以上お説教は出来ません。したがって寝る前に入念に息子の足にマッサージを施したのでした。

次の日のことです。帰宅した私に息子がサッカーの夜間練習をせがみました。私は練習を始める前に昨日のお説教のおさらいを言いました。
私:「もう一度言う。みんなで11点取れた試合を喜ぶのはいい。しかし自分が1点しか取れなかったことをくやしいと思う気持ちがないといけないぞ。」
またも泣きベソをかく息子です。
この日の夜の涙目練習はインステップキックとキックフェイントをしたのでした。

息子は1年生で76点入れました。2年生のこの日までで94得点です。でも常にゴールを狙う気持ちをもち続けないといけません。コーナーキックの時には小柄な息子はゴール前で相手だけじゃなく味方からもポジション争いで突き飛ばされていました。それでもゴール前の混戦の中に向かいました。
私は息子の試合を観戦するのが苦手でした。腕組みをしてゴール前の息子を見ると目頭が熱くなったのです。

私の息子は、フォワードの心で試合をしていました。


コメント追記

なんていいがかりなのでしょうか。息子はちゃんと試合で1点入れられたのだから良いではないでしょうか。
それがたった1点かと難癖をつけて私はマジに怒ったのです。よくもまあこんな私についてきたものです。あの頃の息子は本当に純粋でした。可愛かったな。今でも時々息子は可愛いのですよ。



2017年6月21日 (水)

15.リフティング(土屋健二先生)

15.リフティング(土屋健二先生)(reboot)

小2の7月、ジグザグドリブル対決でエースのヨウ君に敗れた息子を見て私は思ったのでした。何か一つでもチームの中で息子が一番になればきっと自身がつくと。
リフティング回数はどう?

このようなわけで息子のリフティング練習を強化することにしたのでした。目標連続回数は夏休中に連続20回としました。一年以上練習してやっと10回が出来たころなので20回はとてつもなく高い目標です。しかし私は心を鬼にして息子にこの夏連続20回出来るようにしようと告げたのでした。

リフティングの難しさは十分に身を持って知っています。私はリフティングの練習をしたことがあります。始める前は1月間も練習すれば100回くらいは出来ると思っていました。大間違い。たったの5回が無理。ボールはあっちこっちに飛んで行きました。連続20回には半年かかったのです。  

したがって私には息子にリフティングを教える技術はありません。そこであちこちの本屋のサッカーコーナーを物色しこれはという本をみつけました。

「ジュニアサッカーリフティング教室:土屋健二著」
です。

付属のDVDは毎日息子と見ました。DVDには笑いのつぼが何箇所かあり楽しみながら二人で勉強したのでした。

暑い小2の7月27日でした。お昼寝中の私を娘が起こしました。路地でリフティングをしていた息子が夏の目標の連続20回を達成したのでした。
息子は姉に20回出来るまでやると宣言してからリフティングを始めたそうです。汗だくの息子に私はコップの冷えた水を渡し労をねぎらったのでした。

息子は私の予想を上回る日にちで連続記録を更新していきました。そしてその年の8月10日にとうとう私の持つ記録32回を越えたのです。  

8月中旬、息子が「クラブでリフティングのことはもう話さない。」と言ったのでした。
「39回出来ると言ったらタッ君にはうそつきといわれたし、ヒロ君には腹パンチされた。」ですって。

チームのNO2,3は息子に嫉妬してしまったのでした。チームみんなが息子のリフティングに注目してきたのです。
おかしなもので、その後、この二人は遠回りして我が家に寄ってから息子といっしょに仲良くクラブの練習に行くようになったのでした。  

当時私には密かなたくらみがありました。夏休みの終わりのクラブのサッカー大会でコーチやチームメイトやその保護者に息子のリフティングを見せ付けるのです。まーいやらしい。息子のリフティングテクニックを「男子三日会わざれば刮目して見よ。」です。
残念なことにその大会は雨で中止でした。

リフティングは難しいです。順調に記録を息子が更新するばかりではありません。
息子の更新がとどこおると私はやきもきしました。
そして私は息子に「今の記録で満足か?」と言いました。すると息子はやる気を出しその日に更新することが多々ありました。
その日も朝練で「早く100回越えろよ。」と言ったのでした。小2の11月5日の夕方です。息子は区切りの連続100回越えを達成したのでした。  

息子のリフティング練習を強化したあの日からチームの中で息子がリフティングで一番になれたでしょうか。息子はエースヨウ君には回数を聞きませんでした。でもそれでいいのです。息子はサッカーが大好きで、リフティングが上手くなることが嬉しかったからです。あの頃の息子は毎日リフティングの左右交互練習を苦労しながらがんばっていたのです。

小学2年リフティング連続回数記録更新日

7月

17日(木)17回  

25日(金)19回  

27日(日)20回:20回宣言して行う。  

29日(火)22回

8月  

1日(金)23回  

3日(日)24回  

4日(月)26回  

10日(日)38回:記念ボール購入。  

12日(火)39回  

21日(木)50回  

9月  

17日(水)52回  

21日(日)53回  

28日(日)72回  

10月  

4日(日)95回  

11月

5日(水)112回:100回越えで左右交互練習にかえました。

コメント追記  

サッカークラブのお父さんの中にサッカー経験者がいて華麗にリフティングを披露していたのです。 羨ましい。
そこで会社のお昼休みにリフティングを練習して私も華麗にと考え始めたがそうは問屋が卸しませんでした。華麗とは程遠く5回連続出来ないぶざまなリフティングだったのです。

見ているとリフティングって簡単そうなんですけどね。実際はボールも足も言うことを聞きません。頭にくるは情けないやらでした。

結構長い期間練習したのですがものになりませんでした。やっとこ最高記録は32回。それも片足だけでまったく華麗ではありませんでした。
なのでリフティングの上達については息子に寛容でした。難しいですもの。それに息子の連続回数記録が伸びるのも楽しみでした。

サッカーを続ければいつかはリフティングがある程度できなくてはなりません。
コーチはリフティングで色々と子供達に競わる時期が必ず始まります。したがってチーム内で早めにリフティング練習を開始した息子はこの先試合に出られるとか休みに早く入れるとでちょっとだけ得し続けるのでした。



14.インサイドキック

14.インサイドキック(reboot)

小2の5月のことです。それまで私は息子がどんなキックでパスをしているか知りませんでした。てゆうか、気にしていなかったのです。
キックとは、インサイド、インステップ、インフロント、アウトサイドなどのボールの蹴り方です。てっきり短い距離のパスはインサイドキックだろうと思っていたのです。

息子のキックはインサイドキックではなくインフロントで引っ掛けるように左足先で蹴っていることが分かりました。蹴った後の左足が軸足の右足とクロスするなんともへんてこりんな蹴り方です。

この蹴り方で息子は器用にボールをねらった場所にコントロールします。しかし時々ボールが大きく右側にそれました。そこで正しいインサイドキックを私も学び息子と練習することにしたのです。

インサイドキックはボールキックの基本中の基本です。息子もすぐにマスターすると思っていましたがいつまでたっても全く出来ません。
インサイドキックは股関節の使い方があり初めては難しいようです。しかし息子が出来ない理由はそれだけではありません。息子はインサイドキックを覚える気が無いからです。
なぜなら息子は今の蹴り方のインフロントキックで上手くコントロールが出きると思っています。また3年間蹴ってきた蹴り方を否定されるので面白くないのでしょう。

そこで私は息子とコントロール対決をすることにしました。お互いの前にマーカを二個置きボールを蹴って間を通す試合です。
さすがに自信がある息子のインフロントキックに素人の私のインサイドキックは勝てませんでした。しかし私はインサイドキックの蹴り方を学習しフォームを修正することで徐々に息子に勝てるようになったのです。

インサイドキックは魔法のキックです。10mだろうが20mだろうが私のキックはピタリと息子の足元に収まりました。近い距離なら息子の右足または左足を狙うことだって出きるようになったのです。こうしてコントロール対決で勝てなくなった息子のインフロントキックは封印しました。
そしてここからが本当の息子との戦いが始まったのです。

3年間についた息子の蹴り癖は治りません。どうしても息子はインフロントで蹴ってしまいます。
息子のキックが少しでもインフロントぎみになろうことなら私は怒鳴り声をあげました。私が息子に浴びせた言葉です。
・お前のパスは変な回転がかかっていてトラップしにくい。チームメイトは皆嫌がっているぞ。
・強めに蹴ると必ず右にそれるだろう。
・蹴った後に足を変にクロスさせるな。
・大会の試合のシュートがなぜゴール右ポストの横に外れたか思い出せ。

なんてことを練習中息子に言っていました。

また叱られてやる気が無い態度やふて腐れたときには私は自転車を蹴り倒し練習を中断し出勤しました。気の弱い息子はいつもべそをかいていました。毎日泣きながらのキック練習です。ご近所の方から怒られながらよくがんばっていると褒められるし妻には怒るのをやめてと何度も言われたのです。

しかしインサイドキックが上手くなりません。私はあせりました。片っ端からサッカーの参考資料に目を通したのです。地面にはだしになり靴を手に持って蹴り方を示したことも何度もあります。

そんなある日のことです。息子の蹴り方の名称が分かったのです。そして息子に言いました
。 私:「君の蹴り方は、“オンナゲリ”と言われているのだぞ。」(女性の皆さんすみません。)
「お前の蹴り方はオンナ蹴りだ。」
まだ小学2年生なのに「オンナみたい。」に反応したのです。効果がありました。その日から息子はすすんでインサイドキックの練習をするようになったのです。

今思い返してもあの小2の5月からの3ヶ月間は息子と私にとって試練の日々でした。
7月で特別練習が終わりましたが息子のインサイドキックはまだ不恰好です。最近私が得たインサイドキックの蹴り方によるとヒザを支点にして振らなけばならないそうです。息子は足の付け根を支点にして振ってしまっているのかもしれません。

今朝の練習の時に息子に注意してみました。やはりまだ不恰好です。でもあわてる必要はありません。息子と二人で毎日練習して少しずつ修正し上手くなっていけばよいのですから。

コメント追記

息子の親子練習で私が怒鳴った回数が一番多かったのはこのインサイドキックの練習だったでしょう。小2の息子はいつも涙目でした。私は簡単なインサイドキックが出来ない息子にイライラがつのっていたのです。なぜに足を直角にして出せないのか。なぜに足を振り回すのか。まったく分かりませんでした。へんてこりんな蹴り方をしあがって。怒りまくりでした。

3ヶ月くらい息子を泣かせたある日、ふと私は息子のインサイドキックがどうでもよくなったのです。向きになって怒るのが馬鹿らしくなってきたのです。何をそこまで怒る必要があるのか。息子はちゃんとゴールを続けています。徐々に直していけばいいのです。あれから息子のインサイドキックの蹴り方を私は気にしたことがありませんでした。したがってその後は息子が正しいインサイドキックせ蹴れているかは分かりません。




13. ドリブル

13. ドリブル(reboot)

息子が小学1年生から始めた親子サッカー練習ですが練習項目にドリブルは入れませんでした。
理由としては、息子のプレイスタイルが相手のゴール前にいてボールを蹴り込むなので長い距離のドリブルは必要ないからです。また、小柄な子がドリブルしても体当たりや長い足でボールを奪われるので一生懸命に練習しても割に合いません。
むしろドリブルに対してコンプレックスを持たれるとまずいと考えドリブル練習はしませんでした。もちろんサッカークラブの練習ではドリブルがありますから親子練習ではシュート、トラップ、パスを基本に重点的に行ったのです。

方針転換。息子が小1の3月25日のことです。私は階段を踏み外して左足首を捻挫し息子といっしょに練習が出来なくなってしまったのでした。
そこで息子が1人でも出きるジグザグドリブルをしばらくさせてみたのです。練習はマーカーを0.7M毎に6個とその前方5Mに1個置き、足は左右、左、右、イン、アウト、足裏を1セットして2セットやりました。息子がドリブル練習中の私は暇なので家のゴミ出し、花壇の手入れ、ザリガニとメダカのエサやりをしていました。

所詮息子のドリブルでは大きい子にかなわないだろうで熱心でなかった私でした。
大きい子にかなわない。あれ?気付いたのです。もうじきイタイケナ子供が小学校に入学しサッカークラブにやって来るのです。その子達は息子と同じサイズです。彼らには十分息子のドリブルが通用することでしょう。こうしてジグザグドリブル練習は息子の朝の必須練習としたのでした。

息子が小2の7月4日のクラブの練習を見に行ったときのことでした。
息子達の練習は一対一のジグザグドリブル対決でした。なんと息子の一回戦の相手はエースヨウ君でした。しかし私はひそかに3ヶ月もの間ジグザグドリブル練習している息子が勝つのではないかと注目していたのです。結果は負け。おしかったけど息子は負けたのです。その後の他の子との3回は勝ったけどヨウ君だけには負け。勝ち残り戦で4回とも勝ち全勝したエースヨウ君にあらためて力の差を見せ付けられたのでした。

その日から息子のドリブル練習に熱が入りました。
「足元を見るな。もっと顔を上げろ。ボールを蹴るな。押し出せ。」
とか
「サッカーが上手いと言われるのはドリブルが上手いってことと同じだ。」
と息子に声をかけます。

またドリブルのセット練習の後に3回タイムを計測し平均をグラフにするようにしました。そしてクラブのあった日の夜はどのようなドリブルをしたか息子に聞きます。

小2の11月からはフェイントを練習に取り入れていたのです。こうしてエースヨウ君へのリベンジとサッカー技術向上にむけドリブル練習をしたのでした。

いつの日か息子がドリブルで駆け上がりフェイントでディフェンスを切り裂きシュートを決める姿を見てみたかったのです。

コメント追加

サッカーの花形選手と言えばストライカーの次にドリブラーでしょう。
親子練習で取り合えず息子はゴールをするようになりました。でも当時本当に私の頭の中に息子のドリブルを強化しようなんてありませんでした。
根本的に息子は小柄だし足は遅いし弱っちい子でした。ドリブルが上手くなるなんて私はこれっぽっちも当時思っていなかったのです。

子供の可能性を信じない私は親として失格だったのでした。  

2017年6月20日 (火)

12.トム・バイヤーさんに褒められて

12.トム・バイヤーさんに褒められて(reboot)

当時、我が家の朝はテレビからの「オハー!トム・バイヤです。」の声で始まりました。朝の6時45分にテレビ東京にチャンネルを合わしトムさんの元気な朝の挨拶を聞いたのです。私は番組が始まる少し前になると息子に「トムさん始まるよ。カーテンあけろよ。」と言いました。息子は目をこすりながらのそのそと起きカーテンをあけてテレビに向いて座ったのです。

トム・バイヤーさんはテレビ東京の子供向け朝の情報番組「おはスタ」のサッカーコーナ「トムさんのサッカー研究所(ラブラトリー)」を担当していました。番組コーナーは月曜から金曜日の毎日、「みんな起きたー!」でお馴染みのサッカーエクササイズ、かなりマニアックな用語紹介もあるサッカー豆知識、まれに技術ハードルがメッチャ高い一対一のフェイントテクニックなどでした。またアニメCGのボールくんの言葉とクチの動きが合わず笑えました。

そのようなトム・バイヤーさんに我が息子は、小2の1月に、サッカーが上手いと褒めて頂いたのです。幕張メッセでのトムさんのサッカー教室に参加した時のことです。トムさんが息子に「上手いね。」って言ったから。1月19日は、トムさん記念日となりました。幼稚園の頃の息子を知る人の息子が上手くなったの話しは以前に比べて上手くなったくらいに思っていました。しかしトムさんとはあの日が初対面です。息子の学年を聞いた後に皆の前でサッカーが上手いと言ってくださったのです。

その頃私は息子のクラブでのサッカーを夏から見ていなかったのです。したがってチーム内でのメンバーとのサッカー技術の比較はわかりません。私は息子に恐る恐る聞いてみまたのです。
私:「いまチームで何番ぐらいだ。」
すると息子は「一番はヨウ君、次にヒロ君、そしてタッ君。」少し間をおいて
「僕かな。」
えーーーーー4番目。幼稚園のBチームのベンチ小僧が1年足らずに4番かいな。実際の順番はともかく息子の中で自分が4番目に思えるとはたいした成長です。またこの2月は特に得点を量産していたのです。きっとトムさんの「上手い。」の言葉で息子は自信を持ってサッカーのプレイをするようになったのです。

いつものとおり元気なトムさんの声を聞き一日が始まりました。その日の「1vs1テックニック」は現在息子が強化しているフェイントの練習に参考になったのです。いつかまたトムさんに会えた時はさらに上手くなっている息子の姿を見ていただくようサッカーの練習に親子励むのです。こうしてトムさんに会える日を楽しみにしている私でした。  


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トム・バイヤーさんは本当に優しい方でした。テレビで見ていた笑顔のまま子供達に接していたのです。
また息子はトムさんに「サッカー上手だね。」と褒めて頂きました。私はトムさんからの言葉で親子練習の効果に確信がもてたのです。嬉しかったですよ。 息子は学校でトムさんにサッカーを教わったことを友人達に羨ましがれたそうです。皆にとってトムさんはテレビの中の有名人ですもの。ブログにはいつの日かトムさんの目にとまるであろうと思い私は感謝の気持ちで書いたのでした。



11 .プレイステーション

11 .プレイステーション(reboot)

当時、息子のサッカー技術向上のためには一流選手のプレイを見せることがよろしいかとJリーグや日本代表(なでしこ)の観戦に連れまわしました。ていうか、ゴールネット裏に陣取る熱いサポーターではないのですがジェフのゆるいサポーターを家族でやっていたのです。
ジェフのホームゲームが開催されるフクダ電子アリーナのサッカー場は素晴らしいです。ピッチが近く選手の動きが間近で見られ迫力満点です。女子日本代表なでしこの試合も入場料がお手軽なので観戦に行ったのでた。

なでしこがワールドカップ予選のメキシコに勝利した2004年4月の試合後のウイニングランでのことでした。あの沢穂希選手が目が合ったスタンドの私に手を振りながら大声で話しかけてきたのです。
一斉に周りの視線が私に集まります。一瞬自分が沢選手と知人に思われ小旗を振り返しました。周りから注目をあびる私。沢選手はたしかに私を見ながらしかし私の後ろの通路を挟んだ上の段の人に話し掛けていたのです。私は少しずつ小旗の振りを小さくしていったのでした。

サッカー場での観戦中に息子と娘がたびたびあることを言ってくるので不思議に思っていました。それは「お父さん、今ボールはどこにあるの。」です。学力はともかく視力は娘も息子も私と妻に似てめっぽう良いです。でも、あのでかいサッカーボールを試合中にどこにあるか分からなくなり二人は見失うのです。観戦に飽きてくるのではありません。ちゃんと見ています、でも時々二人はボールを見失ってしまうのでした。

原因の判明。一つは、息子と娘がまだサッカーのルールをよく理解しておらずスローイングやコーナーキック、反則後のフリーキックがピッチのどこからリスタートするのか分からずボールを見失うのです。
二つ目に試合の展開が分からない。つまり私などは知らず知らずのうちに試合中の展開を予測しながら観戦しているのでしょう。したがってボールが次にどこにいくか予想出来ずに見ていると早いボール回しやサイドチェンジの際にボールを見失っていたのです。

ひょんなことから二人のサッカールールと試合展開の予測の向上につながると思われることを発見しました。それは我が家の押入れから取り出したゲーム機プレイステーション初期型です。そのウイニングイレブン3のサッカーゲームをすることにより、それはそれは、ルールやらシステムやらプレイスタイルやら二人のサッカー知識の良い勉強になったのでした。

当時は時々出しては遊び息子は「3-3-4」だの「4-2-4」だのシステムを語りました。またガンバ大阪のナニワの黒ヒョウエムボマがお気に入りでゴール前の動きはとても参考になっていたのです。こうしてプレイステーション様様となったのでした。

小2の息子のサッカー

11月3日(月)公園でのシュート練習用に使用していた軽量ツルッパゲサッカーボール君達に卒業しました。息子の足の負担を考慮して使用してきましたが軽すぎて練習にならないと息子が言うので検定球に切替えたのです。

その検定球でゴール幅5m、距離6mのペナルティキックのシュートを私はことごとく息子にゴールを決められました。

「11月5日(水)リフティング連続112回達成」

悲願の連続リフティング100回越えが出来ました。10月4日に連続95回達成してからやきもきしていたのです。その日の朝、中々支度をせずに路地に現れない息子を叱り泣かしたのでした。夕方妻からeメールで「リフティング今112回達成とのことです。(11/0515:04)」と届いたのです。

レッドカーペットをいっしょに隣で観ている娘の近状報告です。
・新体操の発表会が無事に終わりました。
・小学校の文化祭の始めの言葉を全校児童と保護者の前でしっかり言えました。
・鉄棒から落下し利き手の左手を捻挫しました。(新体操の発表会の前日)


コメント追記

新婚当時、妻とゲーセンで遊んだのがタイトーの「パズルバブル」でした。雑誌でソニーのプレステ用にソフトが販売されると紹介されていたので我家でプレステを購入したのです。すると会社の同僚から「家庭用ゲーム機と言えばセガのサターンでしょ。プレステはもうすぐ無くなる。」と皆に言われました。

誰一人プレステを所有してない。なのでソフトの貸し借りが出来ない。また「パズルバブル」は販売日程が延びるは延びるはで一向に手に入らない。またプレステ用ソフトは皆しょぼかったです。
そんな訳で私はプレステで肩身の狭い思いをしていたのでした。

風向きが変わりました。ある日スクエアーから次期「ファイナルファンタジー」がプレステで発売されると発表があったのです。それからはあれよあれよという間にプレステは注目を浴びて家庭ゲーム機ナンバー1になったのです。 で、目出度く「パズルバブル」も手に入れて妻と対戦をしたのでした。我が妻は主婦(専業)でした。当初は「パズルバブル」は私の方が上手く妻に負けることは無かったのです。が暇な主婦(専業)は毎日やっているうちに力をつけ私はまったく勝てなくなったのです。

私ははらわた煮えまくりです。私が仕事している間に上手くなりあがってです。で、私はやらなくなり妻もあきたのでしょう。いつしか我家のプレステは押入れに仕舞われてしまったのでした。

親子練習が始まりサッカーの知識を得るため私がインターネットでブログやらHP(ヒューレットパッカードではありません。)を見まくっていた時に
「サッカーの勉強にゲームが良い。」との書き込みを見つけたのです。
で、早速押入からプレステを取り出し中古のサッカーゲーム「ウイニングイレブン3くらい」を購入して息子と対戦をしたのです。

息子娘「えー家にゲーム機があったの。」我が子供達よあるのですよ旧型だけど。
で、息子とサッカーゲーム対戦です。私は負ける訳が御座いません。情け容赦なく息子をボッコボッコにしてやりました。息子とはゲームの年季が違います。 で、あれよあれよという間に息子はサッカーゲームの力をつけて気がつくと私はボッコボッコにされるようになったのです。
デジャブー。

そんなサッカーゲームもむかしはたまに息子と対戦していました。私はジェフ市原で息子はガンバ大阪です。まったくなにわの黒ヒョウエムボマにやられまくったのでした。

追伸:「プレイスタイル」の次は「プレイステーション」でした。ちょっとねらいました。


10. プレイスタイル

10. プレイスタイル(reboot)

初期の息子のプレイスタイルは、「相手のゴール前で待ち構えてコーナーキックなどのこぼれ球を蹴り込む。」でした。私が腕組みをして観戦していると息子はこわばった表情をし我慢して相手のゴール前にいたのです。

息子が小1の夏の大会でのことでした。我が家の隣にチームのエースのヨウ君親子が座りました。私は試合の合間のヨウ君パパとヨウ君の会話に聞き耳を立てていたのです。
ヨウ君パパ、「もっと、周りをつかえ。1人では大変だぞ。」
その時、私と息子は心の中で、「そうですよ。うちの息子(僕)をつかってください。」と思ったのでした。
後日、息子にこの時の会話を聞いていたかに
息子:「聞いていたよ。」と答え二人でニヤリと笑ったのでした。

エースヨウ君のプレイスタイルは「オンリーディフェンス、オンリーミッドフィルダー、オンリーフォワードでピッチの中を1人で駆け回っている。」でした。
すごいですよ。まずは味方のゴール前で相手からボールを奪い相手のゴールまで1人でドリブルしてシュート。そしてコーナーキックは相手選手を狙って蹴り当ててゴール。ヨウ君はオンリープレイでガンガンゴールを量産していたのです。

したがいましてエースヨウ君はお疲れ気味でした。そこへいくと体力を温存?している我が息子は元気ハツラツです。
「周りを使え。」とは、ヨウ君パパは良く言ってくれたってものです。
「そんなのいないよ。」と言い返すエースヨウ君。ヨウ君、お隣にそんなのがいますよ。

この後、我が家の思惑通りに徐々にヨウ君からゴール前でラストパスが息子に出るようになったのです。

平成19年9月10日(月):ドリブルする味方の右を並走してゴール前でボールを要求しパスをもらい左アウトフロントでダイレクトに押し込む。

息子の得点をエースヨウ君はアシストしてくれたのです。

息子のプレイスタイルに「ドリブルする味方に並走してパスをもらいシュートする。」
が追加となりました。こうして息子とともにエースヨウ君もプレイの幅が広がっていったのでした。

平成20年9月26日(金):中央右サイドからのスルーパスを受けドリブル。ゴール右側より右インサイドでシュート。左下にゴール。」ヨウ君にとっても息子はサッカーの良いパートナーになったのです。

平成20年10月31日(金):3ゴール。そのうちの2点は、ヨウ君の蹴ったコーナーキックをヘディングでシュートと左サイドからのスルーパスを受けドリブルシュートでの得点でした。

コメント追加

小3の4月30日の試合で息子がヨウ君からのボレーパスをボレーパスで返すと再度きたボレーパスをトラップしてシュートしゴールしました。
息子いわく「やばいゴール。」ですって。いつもつけている得点経過にヨウ君の名前が良く出てきました。幼稚園時代はAチームのエースだったヨウ君にBチームのベンチ組みの息子がパスをもらいゴールする。ヨウ君とこのように楽しくサッカーができるようになったのも親子練習をいっぱいやったからです。



9.ゴールキーパー

9.ゴールキーパー(reboot)

私の通った小学校では5年生になると放課後、サッカーのクラス対抗での試合がありました。

クラスには男子が20名ほどいるので小柄な私は試合に出られません。その日も、補欠組みの私は鉄棒に登って味方の大柄なゴールキーパーが敵のシュートをコロコロとゴールされているのを観戦していたのでした。

すると審判をしていた担任教師が補欠組みの私達の方に走りより「誰か、ゴールキーパーをやってみたいもの?」と声を掛けたのです。

私はためらわずに手をあげました。ゴールキーパーの経験があるわけでもなく興味もないのになぜその時私は手をあげたのでしょうか。たぶん暇で、お調子者だったからだと思われます。
担任教師は思いがけない小柄な私が手をあげたことで困った表情をしたあと私の名を告げました。代わったその試合で私は何回かのピンチでも得点を許さずゴールを守りました。この日から私は、クラスのAチームのレギュラー選手である正ゴールキーパーになってしまったのでした。

その頃のサッカーは5年生でも団子サッカーが多くゴール前で敵味方入り乱れてボールを蹴りあっていました。ゴールキーパーの私は団子の中に思いっきり良く飛び込みボールを抱えおさえます。したがって敵にも味方にもボコボコに体中を蹴られました。でも絶対にボールをはなしません。

もう一つのプレイはフリーで抜けて攻めてくる相手選手のドリブルの間合いをはかり蹴って離れた瞬間のボールに飛び込み抱えるのです。これまた相手選手に思いっきり体を蹴られるのです。そうして上級生の6年生との試合でも無失点記録を続けゴールキーパーとして活躍したのでした。

小学6年生の時、市内で最強と言われていた学校をむかえての試合がありました。この試合でも何回かのピンチをゴールキーパーの私は防ぎました。
試合は味方のシュートを敵のDFディフェンスがゴール前で手を使い防ぎファールでPKペナルティーキックとなりましたが味方が外してしまい結局0対0でPK戦に突入したのでした。
ゴールネットの裏には下級生も含め沢山の人が観戦していました。PK戦はゴールキーパーの私が相手のシュートを完璧に防ぎ味方が次々とゴールする展開で相手の最終キッカーを待たずして勝利が決まりました。

本来なら途中で勝敗が決まったのだから終わりのはずですが審判が相手チーム選手を不憫に思ったのか最後までPKをやるというルールとなり最終キッカーの相手選手の涙と怒りの表情で蹴ったボールを私はとらず試合は勝利で終わりました。
その瞬間、大歓声があがり皆、私に駆け寄り揉みくちゃにされました。皆、興奮して私をバチバチたたきます。でも、私はさめていました。「最後の相手のPKはすごかった。」なんて口に出したのです。

小学校の2年間での何十回かのサッカーの試合で私は2点しかゴールをゆるしませんでした。したがって他の小学校への遠征でも私のAチームは負けたことがありません。
私は学校で「名ゴールキーパー」と呼ばれたのです。何年もたってからのことです。妹が同級生から「お前の兄さん、名ゴールキーパーだったよな。」と聞かれたそうです。私の結婚式で幼馴染だった友人はスピーチの中に当時Jリーグがあれば私がゴールキーパーで活躍しただろうと話したのでした。

しかし中学に入るとサッカー部も無く私はテニス部に入ったのです。その後はもともとゴールキーパーが好きだったわけでもないので授業のサッカーでのポジションはディフェンスをやりました。
高校の授業でのクラス対抗で小学校の同級生からの推薦でゴールキーパーを一度やりましたがすぐに失点してしまい次からはミッドフィルダーあたりでちょろちょろしていました。その後は競技としてのサッカーは息子が始めるまでほとんど無かったのです。

息子は幼稚園の年中からサッカーを始めました。幼稚園の帰りにも毎日サッカーで遊んでいましたが、おとなしい息子は皆に命じられて誰もやりたがらないゴールキーパー役ばかりしていました。そんな息子に妻も義理父もゴールキーパーは地味で応援のしがいがないと言います。私は「義父さん、小柄だった私も子供の頃はゴールキーパーでしかレギュラーポジションがなかたのです。」と言ったこともありました。

そんなある日、息子が「お父さん、僕ゴールキーパーをやりたい。」と言ってきたのです。私はそうかと言って公園でお手本を見せました。何度もボールに飛びつき、これでもかとダイビングキャッチを繰り返し見せたのです。そして私は泥だらけになり後頭部をぶち倒れました。
息子よ、本当にゴールキーパーになりたいのかい?これがゴールキーパーだぞ。その後の息子はゴールキーパーの練習はしてもゴールキーパーになりたいとは言いませんでした。でもゴールキーパー役をしたおかげで息子はサッカーの上手な子達と友達になることができ小学校に入ってもサッカーを続けることを選んだのです。

2005年11月5日JリーグヤマザキナビスコカップFINALのジェフ対ガンバの決勝戦を国立で観戦しました。試合は0対0のままPK戦となりジェフの守護神ゴールキーパー立石選手がPKの名手遠藤選手を止めジェフの勝利の瞬間をいっしょに応援した家族と周りの皆と共に歓声を上げ喜びました。

遠い昔、サッカーの試合の勝利に仲間といっしょになり喜び盛り上がらなかったことを後悔している私ですが、いつの日か息子が選手として出場した試合のサッカー場で歓喜の歓声をあげたいと思うのです。

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このように私はサッカーのポジションではキーパーに思い入れがあります。それなのに当時息子は万年キャッチャー(野球で出来るポジションがなくキャッチャーをずっとやらされている)のごとくキーパーをやっていました。
なので妻から息子が「今日もキーパーしかやってない。」と聞かされ私は苦苦しく思っていたのです。

気が弱い息子は友人から命じられるままかキック力がないからか誰もやりたがらないキーパーをしているのです。で、息子の「僕、キーパーになりたい。」と言われちゃんちゃら可笑しく思ったのです。
つうか当時怒りさえ感じていました。キーパーは弱ちいお前には無理だ。で、私の泥だらけで脳震盪になったキーパーの実演です。 なんて私は意地悪だったのでしょう。こんなのではお母さん子の息子が私になつく訳がありません。あの時息子と親子キーパー練習を始めていたら今の息子はどんなになったのでしょうか。親子練習の開始は息子が小学生になるまで待たねばなりませんでした。


2017年6月19日 (月)

8.ポジション

8.ポジション(reboot)

息子には試合中コートを駆け回る体力はありませでした。ドリブルで抜け出すスピードもありません。小柄なのでボールの取り合いは押されて負けました。そんな息子にふさわしいポジションはセンターベンチですがここはあえてFWフォワードとしたのでした。

私が高校の時にあげた唯一の得点は私が上手くなったからではなく相手のゴール前にいたからです。下手くそでゴールするには相手のゴール前にいなくてはなりません。

したがって私は息子をFWとして扱いました。そして「君の試合での役わりはFWとしてシュートを打つことだ。」とか、練習はシュート中心にすることでいかにFWとして息子を前方にいかせるかばかりを考え実践したのです。

しかし、この息子をFWにしよう作戦は問題があります。攻めるだけで守らないプレイスタイルではいつかクレームがくると思っていたのです。コーチ、チームメイトから守備もやれと言われることでしょう。その日のために、パスとトラップの基本練習をして息子を上手くする必要があったのです。

クレームがとうとうきたのです。小1の10月頃、息子が言いました。
「前にいこうとしたら、3年生に上がるな、守れって言われた。」
ほうら来た。相手は3年生です。無視して上がることは出来ません。
同級生ならば「コーチにFWをやれと言われている。」と大会の時なぜかFW登録だったことを盾に言い切ることができますが。
どうしたものかと考えていると息子が続けました。
「でも、後半上がっていいよって言われて、ゴール前で3年生にパスをもらってゴールできて嬉しかった。」
そりゃ良かったね。いいチームじゃないかい。守備もがんばろうね。その後の試合も息子は得点をし続けたので安心したのです。基本練習の成果も出てきていました。息子はバランス良く守備でも貢献出きるようになっていたのです。

小2の2月のことでした。
「お父さん。今日、強いチームと戦って僕も守っていたらみんなから上がっていろと言われて僕が3点とって3-2で勝ったよ。」
そりゃ良かったね。その3得点の記録をとった後、私は息子の頭をポンとたたいてお風呂に入ったのです。お風呂の中で涙が止まりませんでした。  

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息子はサッカーチームのコーチから自由にプレイさせてもらっていました。息子の試合を見ると私のいいつけを守り相手のゴール前にポツンと一人でいたのです。
相手のゴールキーパと息子しかいない光景に違和感たっぷりでした。私はそんな息子が試合中にコーチから味方のゴールに戻れと声がかかるのではないかとひやひやしながらの観戦でした。でも心配は無く息子は前方にいられたのです。
サッカーが下手で小さな息子は相手のゴール前にいても許されたのでしょう。

7.「ごっつぁん」と言うな。

7.「ごっつぁん」と言うな。(reboot)

息子が小1の時のことです。
妻が息子に「今日の得点はごっつぁんゴールだったの?」と聞いたところ息子は「ちがうよ。センターリングをシュートしたんだよ。」と怒ったのでした。

ごっつぁんゴールとはキーパーがはじいたこぼれ球を押し込むゴールをいいます。私はその話しを聞き慌てたのです。その少し前の息子のゴールに「また、ごっつぁんか。」と口が滑ったことを思い出したからです。私は知らず知らずの間に息子に華やかなドリブルシュートを期待していたのでした。

当時のオリンピック予選の試合後のインタビューでのことでした。得点者が「いやー。ごっちぁんです。」と答えていたのです。貴重な一点で試合が決まったのに選手は謙遜しました。日本ではトップ選手の意識でもゴール前で押し込んだ得点は評価が低いです。案の定、その年のオリンピック本戦で、ゴール前で押し込めず負けたのです。

私は反省し息子にごっつぁんゴールについての重要性をその後繰り返し話すことにしたのでした。

・「ごっつぁんゴールを狙うのはとても大切なことだよ。味方のシュートはキーパーやゴールポストに当たり跳ね返りチャンスになると信じてゴール前に詰めるプレーなのだ。チャンスが来るのは10回に1回かもしれないしたいていは無駄に終わる。でもFWは一番ゴール前にいるポジションなのだからごっつぁんゴールを狙い続けなくてはいけないのだよ。」

・「ドリブルシュートもミドルシュートも押し込みゴールも1点だ。」

・「君にDFを切り裂くドリブルのスピード、技術がまだない。ミドルシュートを決める力もないのだから、常に押し込みゴールを狙う必要がある。」

・「我が家でごっつぁんゴールと言うことを禁止する。これからは、ごっつぁんは押し込みゴールとする。」

こうして押し込みゴールの大切さを息子に話しその後は押し込みで得点した時はいつも以上に喜ぶようにしたのでした。

イタリアのACミランにインザーギという選手がいました。彼は常に貪欲にゴールを狙っていたのです。
息子にはインザーギがボールの上に倒れたまま、はいつくばってゴールを目指した話しをしました。インザーギのDVDは息子のお気に入りでした。私は息子のサッカーボールに「インザーギになる。」と書いたのです。

息子は押し込みゴールを狙っていました。

コメント追記

当時息子がサッカークラブの雨の日の座学でコーチから
「このメンバーで一番ごっちゃんゴールが上手いのは***(息子の名前)だ。」
続けてコーチに息子には「***、家でごっちゃんゴールの練習をしているのかい?」
と聞かれたそうです。
息子はコーチに「いつもごっちゃんゴールの練習をしています。でもお父さんからごっちゃんと言うのは禁止されています。ごっちゃんゴールは押し込みゴールと言っています。」
と答えたそうです。 コーチは「そうか。」とだけ言ったとのこと。
コーチに我家の真意はきっと伝わったことでしょう。



6.ボールがゴロゴロ

6.ボールがゴロゴロ(reboot)

我が家ではサッカー練習のさい、いくつかのボールを使い分けていました。

では、息子が小2の当時の我が家のサッカーボール一覧です。

1.サッカークラブ練習用:今年の8月に息子のリフティングが連続30回越えたことを記念して購入しました。(そろそろ新しいボールにしてあげたかった。)

2.リフティング用:去年の6月にハットトリックをしたお祝いです。(嬉しかったですよ。)

3.朝練用:アスファルトで練習するので安いボールです。硬くて重くて息子からの評判が悪かったけど妙に愛着がわき剥がれた表面をボンドで修理しながら使用していまそた。我が家のボールの中では一番の働き者でした。

4.シュート練習用1:軽量ツルッパゲ君です。インステップと公園でのシュート用です。リフティングはこのボールで始めました。

5.シュート練習用2:軽量ツルッパゲ君です。公園でのシュート用です。練習密度を上げるため2個でシュート練習をしていました。我が家で一番の古株です。使用時に若干の空気を入れました。長くお役にたっていたのです。

6.室内用:黄金色ボールです。足裏で転がしたりしています。ネットに入れてのキック練習もしていました。お外を知らない箱入り娘でした。

7.室内遊び用:2号の小型ボールでPKをやって遊んだりしていました。

8.お父さんリフティング用1:5号で大きいです。すみっこでいじけていました。

その他、お父さんリフティング用2:お昼休みの練習用です。会社のロッカーに保管でした。

しばらく練習を怠けていましたが小2の9月15日に息子とのリフティング対決に負けたのでリベンジを誓い練習を再開しましたのです。

ボールは息子の足への負担を考え使い分けていました。夜寝る前に息子の小さく繊細で弱々しい足をマッサージするとこの足でよくがんばっているなと思ったのです。週末は一日100本以上のシュート練習をしました。しかし息子が足に違和感を感じたらすぐに練習は中止とました。

我が家の玄関先にはドッチボールも含めボールガゴロゴロと転がっていたのです。。

コメント追記

基本サッカー用具の購入は私のお小遣いからです。
まあ私は酒(外飲み)煙草ギャンブルはしませんのでお小遣いはもっぱら家族サービスと花壇、キャンプ用具に消えていきました。

その中で息子のサッカー関係は練習本、雑誌、用具と買いました。なんでしょうね我が息子は遠慮深いというか家が貧乏としってか余り用具を欲しがりませんでした。娘と違って欲しいものをねだったり駄々を捏ねたりすることがまったくないのです。なので親として息子の行動から欲しいものを察しなくてはならず面倒くさいです。

息子はサッカーボールもスパイクもソックスもぼろぼろになっても平気です。したがって私は息子になにか買ってあげることに喜びを感じていました。これが娘だとまたかという気持ちになり腹立だしく思えることもあるのです。
あ、これって息子の戦略でしょうか。なんやかんやで結局息子は欲しい物をゲットしています。まるでイソップ物語の「北風と太陽」の太陽のようにです。 ちなみにアホな娘は北風です。



2017年6月18日 (日)

外1 番外編

外1  番外編(reboot)

親子練習をはじめてからの一年半で私が得たサッカーのことです。

1.実家に帰省して食事の時、義理弟から息子の背番号を聞かれました。 それまで背番号に意味があると余り考えたことがありませんでした。息子のサッカークラブは空いている番号を順番のつけていると思われます。一年生の大会で息子は9番をつけてプレーしたのです。

2.小学生がサッカーをする組織として「サッカースクールクラブ」と「サッカー少年団」とかがあることを小2の2月にトムバイヤーさんが息子に「チーム、クラブ?」と聞かれるまでは考えたことがありませんでした。スクールクラブの子供達の中に土日も他でサッカーをやりに行っていて大変だなくらいに思っていたのです。 

3.小2の4月まで息子が私との練習でパスをする時に足のどこで蹴っているか知りませんでした。てっきりインサイドキックと思っていたのがインフロントで引っ掛けて蹴っており驚いたのです。

4.自分が今まで一度もボールをインステップで蹴ったことがないことに気付きました。

5.一か月も練習すればリフティングが10回位連続で出きるようになると思っていたのに打ちのめされました。ちなみに、妻娘に連続5回出来たら1万円好きなものを買ってあげると言って目の色を変えさせましたが早々に二人とも挫折したのです。

6.リフティング記念で購入したサッカーボールが硬くて重たいとサッカークラブの日のお風呂でボールを洗う妻から話しを聞いてので、ネットでボールを調べました。すると種類が大きさの他に「皮縫い」、「合皮貼り」、「軽量」、「検定球」などがあることが分かりました。「軽量」を買い直すかと息子に聞くと検定球じゃないとクラブではダメだそうです。ボールの空気を少し抜いたら柔らかくなりました。

7.当時よく分からない「トレセン」というトレーニングセンターがあります。でも、推薦がないと入れないらしいです。

8.息子が左足で蹴っていたので右足に治そうとして失敗したが義理弟にリフティーでかっこいいと言われたのです。リフティーは貴重だとのこと。

9.サッカーの練習をしているのに一向にやせないことを妻に言ったところ「あなたは、パスを出すだけでしょう。」と言われました。走り回っているのは確かに息子だけでした。

まだまだサッカーについて知らないことがいっぱいあったのです。  

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息子と親子練習を開始した時の私は余りサッカーについての知識はありませんでした。
妻と恋愛中からたまたま観戦したジェフの試合で一時Jリーグファンになったけど娘が生まれて観戦する機会がなくなると次第にサッカーから気持ちが離れていきました。

で、息子が幼稚園の年中からサッカーを始めてもそれほど私はサッカーに興味を示しませんでした。なぜなら息子はまったくサッカーで活躍していなかったからです。
まあサッカー=運動でした。運動して息子の体が鍛えられればいいのです。

尚、世間と同じく日本代表のテレビ観戦はしましたがサッカー知識とは結びつかなかったのです。
当時番外編にあげた1~9の項目に懐かしさも恥ずかしさもあります。

5.朝練しました。

5.朝練しました。(reboot)  

当時、通勤前の時間を利用して朝、息子とサッカー練習をしました。当初は通学の友人待ちまでの時間つぶしでした。したがってパスとトラップを10分位です。
またサッカーだけではなくキャッチボールにバッテング、ドッチボール、オリンピックのオグシオの影響でバトミントンを娘も交え3人で楽しんでいました。

では、小2のサッカー練習メニューです。各名称は普段息子と使っている呼び名です。

1.ジグザグドリブル:マーカーを使用しての各ドリブル後計測3回。

2.インステップ:インステップキックを8本。

3.ワントラパス:ワンタッチ後のトラップがキックしやすい場所にコントロールしてパスをする。3回。

4.パスパス交換:ダイレクトでパスをする。40回。(私が右手を上げて出したジャンケンを出す。)

5.180度回転:パスを受け反転する。3回。

6.ロングインサイド:長い距離のインサイドキックをする。3回。

7.ゼントラドリパス:前進しトラップしドリブルしてパスを出す。3回。

8.浮き玉3発:スローインをトラップする。3回。

9.ロン玉(旧名称ヨウボール):距離の長い浮き玉をトラップする。3回。

練習メニューの中の3~9を基本ワンセットとしました。1番のジグザグドリブルは私がゴミ出しや花壇の手入れメダカとザリガニのエサやりをしている間の自主練です。2番は期間限定で8月から10月いっぱいまででした。基本ワンセットメニューは子供の集中力が持続する15分位としました。

サッカー練習とは面白いもので練習効果がすぐには出ませんでした。3ヶ月後にふと「あれ、上手くなったな。」なんて感じです。また昨日はキックが上手くコントロールされていたのに今朝になったらまたアッチコッチにボールが飛んでしまうことも多々ありました。でも、確実に息子と私のサッカーは上達していたのです。

妻が、チームで一番の子供の母親から、息子が上手くなったと言われたのです。私は「上手くなったのではない。すごく上手くなったのだ。」と答えたのでした。

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私の出社と息子の通学前の毎朝、自宅の前の路地で親子練習しました。その路地は今の家から通勤途中にあったのでいつも眺め息子との練習の日々を懐かしく思い出していたのです。
狭い路地でした。なので練習メニューは工夫をこらしました。一番の問題はご近所さんに迷惑をかけないことです。息子がミスキックをすれば隣の家に当たります。したがって私は息子のミスキックを強く叱ります。
結果、息子は広い公園よりは慎重にボールをコントールしていたことでしょう。

また、通行の邪魔にならないようにとか近所の人と挨拶をしっかりとするとかを心がけていたのです。あ、朝だけではなく夜は照明をつけて路地で親子練習をしました。したがって息子のサッカー技術が上達しないわけはありません。

ある日息子が「お父さん、僕っていつからサッカーが上手くなったんだろう。」と聞いてきたのです。私はそれには答えずにニヤリと笑ったのでした。



4.得点を記録しました。

4.得点を記録しました。(reboot)  

息子がサッカーの試合で得点した日の夕食後は私が状況聴取をしたのです。折り紙を用意させ裏にコート半分の画を描き、右上に日付を入れ、息子に大まかな シュートまでの流れを聞きました。
そして息子、相手のキーパー、相手味方の位置、ボールの軌跡を記入していきます。次にトラップ、シュートの足と蹴り方を聞 き

「1. 左サイドからのセンターリングをゴール前でトラップし左インフロントでシュート。右にカーブがかかりゴール中央。(9月12日)」 と記入します。 日付下に得点順番の「3」と得点方法の「センターリング」
と記入して完成です。

得点を記録することで

1.再度ゴールシーンを思い出しゴールまでの成功体験の復習となっていた。

2.ゴールへの意欲が増した。

3.得点方法を「センターリング」、「ドリブル」、「ヘディング」、「押し込み」と区分わけすることが出来、現状の息子のプレイスタイルが分かった。

4.チームメイト個人の役わりや実力が推測出きた。

5.親子のコミュニケーションが得られた。

6.キーパーの股抜きやパスがそのままゴール、お腹に当たってゴールとか笑えた。

私はお風呂に入りながら先ほど聞いた息子のゴールシーンを思い描きニヤニヤする時間がとても楽しみでした。また風呂上りに得点記録をパソコンのワードに書き写しました。  

得点の正式な記録は小1の8月からでした。それ以前の記録は得点した日はデジカメで記念写真を撮っていたり、私が観戦していたり、そもそもゴール数が少なく私も息子も記憶していた記載内容でした。

当時小2の息子が幼稚園の唯一の得点シーンを覚えていることが分かり得点記録に追記したのです。

「平成18年12月21日(木):キーパーのパントがミスキックとなりゴールエリア前に転がる。ダイレクト左インステップでシュート。中央上にゴール。」

小学校に入ってから当時小2で140得点、幼稚園の1点を加えて総得点は141点でした。

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息子の得点を付け出したのはここにも書いたように小学1年の8月からでした。

なぜ得点を記録しようとしたかというと始めたばかりのブログが関係しています。息子の1年の終わりにブログに得点をUPしたら自慢にもなるし面白いかなと考えたのでした。そうです。ブログが理由です。

不思議なものです。偶然始めたブログが親子練習、得点やドリブル記録などに影響を与え息子のサッカー上達を後押ししていたのです。

幼稚園で1得点(たったと書いて消しました。息子の大切な1点です。)が小学生の6年間で合計643得点でした。息子のサッカークラブがあった日は仕事中に妻からeメールが入るのです。

「本日、(サッカーボールの絵文字)×2」

おお、やったと私はeメールを見て安堵しました。安堵でした。喜びより安堵感が強かったです。で、帰りの最寄の駅から息子に電話で「2得点おめでとう。得点は何?」と聞くと息子が「センターリングと押込み。」と答えたのです。

私:「帰ったら得点経過な。」と言って帰宅したのです。
こんなやり取りを妻と息子と続けたのでした。

2017年6月17日 (土)

3.マーカーを購入しました。

3.マーカーを購入しました。(reboot)

マーカーとはサッカーの練習時に地面の置いて目印にする直径20cm、高さ10cmくらいの富士山形をしたビニール製の練習用具です。我が家では10枚千円黄色を購入しました。公園でフェンスをめがけてのシュート練習でしたが私のサッカー知識の向上で練習方法も進化していたのです。

では、当時のシュート練習の考え方です。

1.横4m、奥行き1.5mにマーカーを合計4個置きゴールとする。
2.シュートはサイドネットを狙う。
3.狙うサイドネットは蹴る位置からファアサイド(遠い方)とする。
4.グランダー(低い弾道、ゴロ)でシュートする。
5.蹴った後は、こぼれ玉を狙いゴール前に詰める。

サイドネットを低いボールで狙う。したがって、ボールがゴールの真ん中に入るよりポストスレスレで外れたシュートを褒めてあげました。
子供達の試合を見るとシュートがよくゴールキーパーの正面にいきます。きっと蹴るときにゴールキーパーを意識してしまうからです。
ゴールキーパーの位置を確認するだけで意識して狙うのはサイドネットにする必要があります。公園のシュート練習でサイドネットを狙うにはゴールに奥行きが必要です。マーカーを4個使用することでサイドネットが出来ます。

その他、マーカーを購入して良かったこと。

・サッカー練習用具の購入が息子の練習へのモチベーションアップとなった。
・マーカーを公園に置けば練習スペースが確保出きる。
・左右の耳にマーカーをつけ宇宙人ごっこで楽しい。
・ドリブル練習、インステップ練習のボール台に使用している。

マーカー購入はわずか千円の出費ですが(一枚百円と考えると高いぞ)息子といっしょに練習してサッカーが上手になる私の意気込みの原点だったのです。

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マーカーを購入する前のサッカーゴールは公園の隅にころがっていた木片をつなげてつくりました。
で、私がマーカーを購入したスポーツショップも状況も今でも良く覚えています。
恥ずかしかった。店員さんに本格的に親子練習するんだなと思われると恥ずかったです。だってマーカーってサッカークラブや学校が使用するもので一般人の私が親子練習に買おうとしているんですよ。店員さんにこのお父さんはやる気満々だなって目で見ることでしょう。
ほんとに恥ずしかったです。その後の私は息子との親子練習にのめりこみあの時の羞恥心はなくなりました。親子練習でマーカーがボールにつぎに活躍しました。でも今ではマーカーは何年もベランダの用具入にしまわれたままになっています。


2. シュート練習しかしませんでした。

2. シュート練習しかしませんでした。(reboot)

私自身の小中高のサッカーの記憶です。キーパーをやってみたい人はいるか?の担任の問いかけに無意識に手をあげてしまい2年間キーパーになってしまった小学5,6年。
中学ではデフェンスでした。左サイドを駆け上がる相手のドリブルのボールを何本も間合いだけでとりました。
高校3年の時、相手のゴール前にいた私の目の前を左からボールが転がってきました。私がスルーして得点にはならずクラスメートから非難の声があがりました。次の日、まったく同じ様に目の前をボールが転がってきました。今度は私はボールをゴールに蹴りいれることが出来たのです。小中高で私のサッカーの総得点はこの1点です。

親子練習をはじめたころは公園のフェンスの前に息子を立たせ私が出す左右、前後からのボールを息子は黙々とフェンスにむけて蹴りました。
こうして毎週週末はゴールに蹴り込む練習をしていたのです。パス、トラップ、ドリブルはまったくといってしませんでした。息子は私が転がすボールをひたすらダイレクトでゴール方向に蹴ったのでした。

そして小2でも週末はシュートを中心に練習でした。
練習メニューは
・左右のサイドからのパスを受けてからの直進ドリブル後のシュートを各8回
・左右のサイドからのセンターリングをダイレクトでシュートを各8回
・後方からのセンターリングをトラップし反転後のシュートを8回
・キーパー役の私が弾いたボールをシュートを8回」
でした。

当時、日本代表の高原選手が速いセンターリングをトラップしてからシュートをしたのを見てダイレクトシュートばかりの息子に「ダイレクトだけじゃなくトラップをいれてからシュートもしてみたら。」と言ったところ。
息子:「お父さん、ゴール前でトラップするなんてそんな暇なんてないよ。」
と反論されたのです。調子にのって私は息子がぎりぎりの中で得点をしていることを忘れていたのでした。

その時に幼稚園の時に息子に言ったアドバイスを思いだしました。
私:「ボールが来たらとにかく前に蹴れ。誰よりも早く蹴れ。みんなが戸惑っている間に蹴れ。」
試合中に1回でも多くボールに触れるにはそう言うしかありませんでした。そして息子は誰よりも早くボールをゴールに向けて蹴っていたのです。

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息子との練習は家の近所の空き地(広場)から始めました。

軽量ボールを2個使い娘に手伝わせての息子との親子練習です。息子は黙々とシュートを続けました。ゴール前でのシュートの動きや感覚を息子の体に覚えこませたのです。

私が高校の時に目の前に来たボールをシュート出来なかったのはゴールの経験がないので体がこわばっていたからです。私の体はまったくシュートに慣れていなかった。

なので息子にはまずはシュートの動きと意識から始めたのでした。
親子練習の途中で近くの自動販売機でスポーツ飲料を購入して休憩しました。息子と娘とベンチに座って学校やサッカークラブのことを私は聞いたのです。そのひと時も私は楽しみにしていたのでした。




1.相手のゴール前にいました。

1.相手のゴール前にいました。(reboot)

息子が幼稚園の時に私にどうしたらゴールが出きるの?と聞いてきたのです。私は積極的にシュートを打つことを勧めました。しかしゴールは出来ません。もっと大事なことがあったからです。息子は試合中に相手のゴール前まで行くことがなかったからです。

サッカーの上手い子は味方のゴール前でボールを奪いドリブルし相手のゴールまで1人で持ち込んでシュートしました。息子は味方のゴール前から中央付近までがプレイエリアでした。
私は今ではメタボぎみですが小中学年ではクラスで前から5番目以内の小柄な子でした。小学5年生から始まった授業のサーカーのポジションはデフェンスです。クラス対抗戦では補欠組み。試合にお情けで後半出てもセンターラインより前に行ったことがありません。だからといってシュートが打てない不満はありませんでした。なぜなら味方のゴール前は居心地がよいからです。 

小1の息子に相手のゴール前にいさせるために言ったことです。
・俺がクラブに金を払っているのだから君は好きなようにサッカーが出きる。だから試合中は相手のゴール前にいたっていいのだ。
・君は幼稚園2年間、一生懸命守備をやったのだから攻めたっていいのだよ。
・ゴールを君1人多く守ってもなんにもならない。それよりも相手陣にいられる方が相手は嫌だぞ。
・君にはまだ守備も攻撃も両方やれる体力が無いのだから相手のゴール前にいろ。
・君は味方のデフェンスを信じろ。守備は彼らにまかせてやれ。
・たまたま大会の試合で攻撃的ポジションになったのでそれ以降は「コーチは君に攻撃をしろと言っているのだぞ。」
なんてことを思いつくまま一年生の初めから言っておりました。

始めて見た小1の息子のゴールシーンです。

平成19年6月2日(土):右からのセンターリングがキーパーの股抜きとなりゴール前にころがる。ダイレクトで押し込む。
息子は相手のゴール前にしっかりと詰めていたのでした。

こちらは、平成20年7月4日(金)のゴール:左サイドからのセンターリングをゴール前で右インサイドダイレクトで合わせシュート。中央下にゴール。 コーチから「ナイスポジショニング!」と声を掛けられていました。

私の息子は相手のゴール前にいました。  

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小学2年生では息子の通っていたサッカークラブはオフサイドルールが適用されていませんでした。
息子には「相手のゴール前にいろ。ゴール前にいろ。」と1年生の当初より年中言い続けたのです。足の遅い息子は見方のゴール前からの攻撃参加では間に合わないのでした。

あと、こんなことがありました。息子が5年生のサッカークラブでのことです。クラブの下級生クラスの試合で小さい子が相手のゴール前にいたのです。おお、むかしの息子だ。で、見事にその子がゴールしました。するとコーチがその子に「***(その子の名前)、初めてのゴールだろう?」と聞いたのです。うなずいたその子はそして涙をぬぐったのでした。


0.サッカー少年プロローグ

0.サッカー少年プロローグ(reboot)

はじめまして、こんにちは。息子がサッカーバカ僧だった父親です。

では、このブログの目的を言います。体格、体力、運動能力、運動神経に恵まれず性格もおとなしく闘争本能も持ち合わせずまったく試合で活躍出来ないのになぜかサッカーをすることが大好きなお子様をお持ちの親御さんに私が息子に実践してきたことを書いものです。

ただ、私のサッカー競技歴は学校の授業だけでした。したがって日々サッカーの勉強をしたのです。なので新しい知識から書いていくことは変わっていきます。

現実として息子は私がドキドキするほどサッカーが上手くなりました。幼稚園年中からスポーツスクールクラブでサッカーを習い小学2年生のある日は4得点してきました。

私のサッカーの知識はほとんどがインターネットからでした。そのお礼をこめて皆さんのヒントになりますようにこれから息子に実践したことを書いていきました。どうぞ宜しくお願いします。

私が初めて観戦した息子が幼稚園年中さんでの試合でのことです。息子は味方のキーパーの前にチョコンと座っていました。そこへ味方がやってきて真面目にやれと頭を蹴られたのです。
コーチからは体が小柄なので団子に入るのを禁止されていまいた。Bチームでなおかつ試合は前後半のどちらかしか出られません。試合中に2回くらいしかさわれません。幼稚園2年間で1得点です。
なので小学校に入学してもサッカーを続けると言い出したときはビックリしました。もっと、君にむくことがあるのではないかと。

小学校の一、二年生合同スクールの息子のプレイをみてここで何もしないで一年間たったとしたのならばきっと来年の新一年生に息子はバカにされることになるでしょう。
こうしてサッカー初心者の私は一緒に練習してみようとその時、決意したのでした。  

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平成20年9月12日、これを書く数日前のYAHOO!知恵袋で「僕は小学校からサッカーをしていますがデフェンスなので一度もゴールしたことがありません。どうしたらゴールできるのでしょうか?」を読んだのです。
ああ、幼稚園のころに息子が私にたずねたことと同じだ。
幼稚園時代にまったくゴールができなかった息子は私との親子練習でゴールが沢山できるようになりました。
ゴールができない悩みを抱えている子供達や親御さんに少しでもお役にたてればとこの連載を始めたのです。でも10回くらいで終わりにする予定だったのですよ。また私はちょいとサッカーで活躍しだした息子を自慢したかったのかもしれません。



2017年6月16日 (金)

私と息子とサッカー

私と息子とサッカー

息子は幼稚園で2年間、小学1年~5年までスクール、6年で少年団、中学3年間を部活でサッカーをしていました。
そのうちの小1から6年の1学期まで親子練習をしたのです。(息子が小学4年生の時は私が1年間単身赴任)

親子練習の期間は5年と少しか。あっと言う間でした。
よく泣かせたな。自転車を蹴り倒しながら息子を怒ったこともありました。
小柄な息子と二人してサッカー漬けになっていたものです。

今年で親子練習をはじめたのがちょうど10年前となります。
10年前のあの日、サッカースクールの帰りの道でうつむき歩いていた息子。そんな息子の姿に私も一緒にサッカーを勉強し練習するぞと決意したのでした。

あれから10年か・・・。

2017年6月14日 (水)

こんにちは冷蔵庫さん

こんにちは冷蔵庫さん

我家の電源抜きっぱなしの冷蔵庫さん。最近は単なる収納箱として使用していました。

ふと気付いたのです。冷蔵庫って保温性がよいのでスーパーでもらった氷袋2個を入れとけばそこそこ冷やせるのでは。

第1回目:小型2ドア冷蔵庫の上部冷凍室に氷袋2個と冷やす対象のペットボトルの水を収納。
結果:水は冷えていたが袋に穴があいていたのか時間がたつと冷凍室内が水浸し。冷凍室を使用するには氷袋をのせとく容器を用意する必要あり。

第2回目:下部冷蔵室の透明プラスチック箱内(野菜入れ)に氷袋とペットボトルの水を収納。
結果:1日くらいでしたら今のところ良い塩梅に水は冷えてます。

私は会社からの帰宅時に毎晩スーパーに寄りますので氷袋は手に入ります。
スーパーでレジ後に氷製機から袋に氷を入れて縛って2個作り帰宅後に冷蔵室のプラスッチック箱の水となった氷袋を台所のシンクにおんまけキッチンバサミで袋に穴をあけて水を出して袋をゴミ袋に捨てる。そして新しい氷袋を設置。 まあこの手間を考えたら冷蔵庫の電源を入れても良いんじゃない。と悩む日々です。

こうして氷袋で冷やしこんにちは冷蔵庫さんなのです。

2017年6月11日 (日)

今年の流行語大賞は

今年の流行語大賞は

今年の流行語大賞は早稲田実業野球部の清宮くんが試合後にこの先気が利いたことを述べた言葉です。

清宮くん:部活の野球でホームランを打ちまくっている高校生。部活通算ホームラン本数が100本越えですって。すごいですね。すごいですか?
なんだか100号のホームランボールは殿堂入りだとか記念展示されるようです。すごいんですよね。
マスコミは部活の練習試合だろうが清宮くんの全打席をテレビで流します。こうしていつもの通りマスコミが一人の野球選手にスポットをあてこぞってあおるのです。
清宮くんのルックスは京成パンダ似とちまたではいわれこれもマスコミ的には人気者にしたてる要素です。
彼には早稲田大学に進学すると裕ちゃんみたいになっちゃうよ。と現在プロ野球球団があの手この手で入団交渉を行っていることでしょう。

今年の流行語の選考委員を俵万智さんは間違いなくまた引受けます。俵さんは一昨年の流行語大賞の「野球用語:スリートリプル」、昨年の「野球用語:神をも恐れぬ」で友人知人家族親戚から2年連続でボロクソに言われようが彼女は広島カープ女子なので野球愛を失いません。俵さんはあの変態選考委員のやくと同じに野球豚でした。なので野球関係用語を大賞にすべく今年も選考委員を引受けることでしょう。選考委員を引き受けて委員かいです。
まあ大賞候補の野球小僧清宮くんの名前の清はあの往年の巨人の大選手清原とキヨつながりなのはちょっと嫌ですね。かっとばせ!キヨミヤくん。

まあ「キヨミヤくん」なんて一般人は興味がないけど野球マスコミはゆるしてくれません。今後も「キヨミヤくん」をテレビであおりつづけることでしょう。こうして野球用語「スリートリプル」、「神をも恐れぬ」と同じ様に今年の流行語大賞は「野球キヨミヤくん関係」に決まるのです。

キヨミヤくんか。典型的な野球顔の野球体型です。あの素朴感にジジババは孫を見てるようでたまらないのでしょう。それに学校はマスコミ出身者が多い早稲田大学の付属高校です。無理やり流行させようとするのがあたりまえです。
でもマスコミ脳内での流行で終わり世間には浸透しないかもしれません。 これで3年連続一般に知られていない言葉が流行語大賞ならばそれはそれで楽しいかもしれませんが。



2017年6月 8日 (木)

さよなら冷蔵庫さん

さよなら冷蔵庫さん

学校を卒業し会社の寮暮らしは冷蔵庫がありませんでした。朝夕の食事は寮の食堂または外食、お昼は仕出し弁当。
マンションでの一人暮らしは冷蔵庫がありませんでした。毎日すべて外食でした。
結婚して最初の一年間の単身赴任は冷蔵庫がありませんでした。朝夕の食事は寮の食堂または外食、お昼は仕出し弁当。
3年前からのマンション暮らしの単身赴任からは初めて冷蔵庫を設置しました。理由:外食するお金がもったいないので自炊をするため。

さてこの一年の私は食材を毎日帰宅時にスーパーで1日分だけ購入しほぼ使いきっています。
したがって冷蔵庫の中は豆腐、たまご、調味料(味噌、ダシのもと、マヨネーズ、ケチャップ、コンソメ、ねりからし、ねりわさび、ねりしょう)、冷凍室に小分けご飯だけです。

で、出張があると数日前から計画し豆腐、たまご、ご飯を食べきり冷蔵庫の電源コードをぬいているのです。

そして私は気付きました。この家に冷蔵庫は必要ないのじゃない。スーパーでは、たまご、味噌は常温で販売しています。お豆腐だって3個パックは常温で3日は持ちそう。なのでご飯さえ冷凍にしなければ冷やす冷蔵庫はいりません。

で、小分けご飯はお昼のお手製お弁当用です。しかし私の最近のお昼はご飯のストックがつきたのでフジパンのバターロール6個入りを2日に分けて食べているのです。このままお昼をパン食またはコンビニおにぎりにすれば冷蔵庫は電源ケーブルをぬいたままでも良いのじゃない。
次の朝まで冷やしたい食材はスーパーで袋氷をもらい保温バックに一緒に入れておけば良いのじゃない。

こうして私は現在冷蔵庫の電源ケーブルをぬきっぱなしにしています。

まあ収納に使えますので廃棄はしませんがさよなら冷蔵庫さんです。


2017年6月 4日 (日)

ご飯を食べないなんて変だよ

ご飯を食べないなんて変だよ

「ご飯を食べないなんて変だよ。」

いまから5年ほど前に炭水化物ダイエットでお茶碗に半分しかご飯をよそらない娘に私が言ったことです。

ご飯は主食です。つまり主従関係でいえばご飯を食べるために従食のおかずがあるのです。その主のご飯を食べないなんてどういうことか。そもそも主食のご飯とは遠い弥生時代から稲作として先祖が受け継いできた食べ物です。(諸説あり)
米の字は八十八と書きます。お百姓さんが八十八回作業してお米が収穫できるのです。(諸説あり)

その尊いご飯を食べないなんて娘はなんてやつだ。まあ年頃の我家のお嬢様はネットとかの間違った情報でご飯を減らしているのでしょう。

で、現在。私はご飯を食べません。まさか私がこの日本でご飯を食べなくなるなんて思いもよりませんでした。
ご飯を減らしてから78kgの体重が57kgまで落ち今は62kgです。この62kgが私にとってベスト体重なのでここを基準に体重管理をしています。すると日常では私にご飯は必要ありません。
まあ炭水化物は蕎麦やファミコロまた出張先でラーメン、定食、千葉家で通常のご飯有り食事で摂取しています。

ご飯について

子供の頃に親戚のおばさんが料理をしてくれました。その時に
おばさん:「ごはんは余り食べないでおかずを沢山食べてね。」
ハア~何を言っているの。ご飯のためにおかずはあるのではないか。ご飯を食べないでおかずを食べろと言うおばさんを不思議に思いました。

結婚当初、驚いたことに夕食が焼きそば、うどん、ラーメンだったときに妻はご飯をだしません。実家ではあたりまえに必ずご飯が出ていたというのに。実家では100%三食ご飯付きです。

漫画クッキングパパの食事でおかずを楽しみごはんは最後にふりかけをかけて食べるシーンがありました。もしかしたらこれが正しい食事なのではと一瞬私は思ったものです。

フランス料理とかは料理そのものを楽しみます。パンはお腹が物足りない時の足しだそうです。

ご飯と料理を同時にお口に入れるということはお口の中で新たな調理をしているのです。味気がないご飯のために必然的におかずは濃い味付けとなります。

ご飯を食べなくても知らず知らずの内に炭水化物は摂取しています。ごはんを食べるのは過剰摂取ではないでしょうか。

わたしの決まりごと:ご飯依存症から脱出。料理を楽しむ。食事時間を長くする。たとえご飯を食べたとしても料理と一緒に口に入れない。

子供の頃はお腹を満たすために率先してご飯を食べていたのではないか。今の私にその必要は感じられません。ご飯を食べると体内に蓄積されてしまいます。

3食きちんと食べるって。私の土日は夜しか(朝はヨーグルト)食べていないことが多いけど何も体に問題はありません。むしろ良いです。きちんと食べて太るのならば食べない方が良いに決まってます。

このようにここ一年の私はご飯について色々と認識をあらためています。まあ単身赴任の一人暮らしだからご飯を食べないを実践できますが家族と食卓を囲むとちょっと無理ですね。
きっと妻に
「ご飯を食べないなんて変だよ。」
と言われてしまうことでしょう。

やっぱり変かな? 

炊き立てご飯美は味しいものね。


私は何もしません。

私は何もしません。

彼女の余命が長くないことを友人からの電話で知りました。

その友人から以前彼女が結婚して子供に恵まれたことを聞いたのです。そのときに私は祝福と冷やかしをかね会えるかと訊ねたのでした。そのことを友人は気にかけ私に連絡をしてきたのです。

いつの日か私が実家に戻り街で偶然会えたときに彼女からののしりを受けても無視されてもそれはそれでかまわないと思っていたのに。もうかなわないことなのです。

そう彼女と私は縁がなかったのだから。
祈ることもしない私は薄情者なのです。

私は決して何もしません。

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